羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

おぼろげながらみえてきたこと

2014年05月11日 14時47分33秒 | Weblog
 野口三千三の十七回忌と生誕百年に関連した、いくつかの講座や催しが一段落して、本日は、オフ。
 ちょっとお疲れモードで、朝からぼーっとしてます。
 ぼーっとしつつ、勉強したい!って殊勝なことを考えてました。

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 日経新聞に「三島由紀夫のローマ 下」に長編エッセー『太陽と鉄』が引かれていた。
 肉体と死の問題を論じる作品に、作家の心をとらえた美術作品として、ティツィアーノ「聖愛と俗愛」、ギュスターヴ・モロー「若者と死」、2世紀中ごろ、大理石、100センチローマ、ヴァチカン美術館蔵「アンティノウスの胸像」等々がカラーで掲載されていた。

 なるほど、胸囲1メートルに憧れて、玉利齋氏の指導のもと、ボディービルに励んだ三島。
 その玉利氏は野口三千三を芸大に訪ねボディビル協会の理事として協力を頼み、野口は快諾した。
 間接的に三島の指南役・玉利氏にアドバイスしていたという。
 
 鉄の重さに比例して、日ごと、ふくれあがる三島の筋肉。
 古代ギリシャへの憧れは、肉体の肯定感につながる。と同時に肉体が衰える前に、壮絶な死を希求する思いがべったりと付着してくる。

 しかし、避けて通れない、老、病、死。
 魂の救済を解くキリスト教ではおさまりきれない「はみ出した救済」は、自決を持って完了したのだろうか、と思いつつ「美の美」を眺め、読んでいる。そして『太陽と鉄』を手元に引き寄せている。

 人間復興、文芸復興のルネサンス。
 そして近代が求めた健全なる肉体とは、果たして……。

 そうだ、思わず膝を打つ。納得したからではない。これからのライフワークを見つけたからだ。
 それは幻かもしれない。
 いや、たとえ幻でもいい。
 野口体操を人間の歴史の座標軸に乗せて見直してみたい。
 最後まで「体操の教師」を全うした野口の百年をこれから追ってみたい。
 
 おー、健康と時間を下さい。(笑)

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 まずは、「体育・体操」という概念が生まれて来る近いところとして「産業革命」「工業化」「勤勉革命」について、Wikipedia を当たってみました。
 が、はるかにギリシャがおもしろそうです。 
コメント
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