野口三千三先生がかける号令は、最期の時に向かって洗練の度を増した。
「内的・質的な動きの変化を伝えなければ号令とは言えない」
とでもいえるようなものだった。
先生の号令に合わせて動くと、実に気持ちよかった。
例えば、はじめた当初、自宅で一人で復習しようとしても、先生の号令がないとまったく動けなかった。
そのくらい動きの質と号令に一体感があった。
ちょとやそっとでは真似が出来ない。
むしろ動きの本質をつかまないで、真似すると、号令をかけられた皆は動けなくなってしまう。
つまり、野口三千三独壇場の号令だった。
従って、動きには関係なく部活動等で皆が声を揃えて「イチ、ニッ、サン、シッ」の繰り返し、無味乾燥にかけるやり方を先生は嫌っておられた。
「腕立てバウンド」という動きがある。
「いぃ~ちにのほわ~ん」。(上手く文字では書けない!)
「上体のぶらさげ」という代表的な動きがある。
これにはバリエーションがあって、
「一息で何回かおろして起きるを繰り返す動き」とか「一回放り上げて、何回かゆする動き」とか、名前だけでは、どんな動きなのか想像できない動きがある。
特に「一回放りあげて何回かゆする動き」の号令は逸品であった。
「はいッ、おとーーすッ」
「と(to)」の「t」の子音にアクセントがあって、母音の「o」はその時々の教室の雰囲気や先生の気分で長く伸ばされたり、ドイツ語の「ウムラウトのO」に近かったりしていた。
実際の動きでは、そう簡単に上体を落とすわけではない。放り上げた後に、微妙に支えながら「おろしつつ」床に近くなったころあいで「おとす」にかわる。
そして落とした弾みを上手く受け取って、次の上への「弾み上がり」の動きにつなげていく。
(あぁー、~むなしい~)いくら言葉で表現しても、つたわないわー。
気を取り直して、実は今年の春になって、はじめてこの動きの号令がかけられるようになったことを報告しよう。
「はいッ、おとーす」
先生の間合いとは違うのだけれど、しっかりした声で「おとーす」が言えるようになった。
野口体操をはじめて40年が、先生が亡くなって体操を指導するようになって16年が、すでに過ぎた。
自分でもこの遅さに呆れてしまう。
思えば、五線譜のようなものを考えて、そこに記してみたらどうだろうか、という意見が出たこともあったが、いつの間にかたち切れになってしまった。
では、号令ってなんだ?
簡単な辞書によると《1、多くの人にあるきまった行動をとらせるため、大声で命令したり指図したりすること。 2、支配者が、命令を下して人々を従わせること。また、その命令。》
なるほど。
実際に野口先生は、戦時中、群馬県内の小学校で学校全体の生徒が集まるとき、空っ風のなか地声で号令をかけて声を潰した、とおっしゃる。
天皇陛下を迎えた時にも、誰よりも大きな声を出すことができたことで選ばれ、代表で号令をかけたことあった、と伺った。
その長い歴史を持つ野口先生の号令が、野口体操と呼ばれるようになって成熟してきたころには、一層磨きがかかったことは想像にくしくない。
ところで、世にあるいわゆる西欧起源の体操には号令は付きものである。
最近ではラジオ体操の号令を、各地の方言で行うことがはやっている。DVDまでつくられているようだ。
最近見つけたものに「うちなーぐち朝のラジオ体操」や「バレエ風ラジオ体操」がある。バレエ風は、音楽まで芸術的で、途中からバレエの基本の動きが入って、素人にはまったく手も足も出ない「ラジオ体操」になっている。
他には英語版やイタリア語版等々。
見て、聞いているぶんにはなかなかに楽しい。
さて、脱線したが、とにかく「一回放りあげて何回かゆする動き」の号令がようやくかけられるようになって、今まで避けていた学生の授業でも、この動きを指導できるようになった。ただし前置きの説明には工夫がいる。
《最近、大学内でカルト集団が、言葉巧みに近づいて、……個人情報を絶対につたえないように》
このような内容のアナウンスが、授業と授業の間の休みに流れている。
「一回放りあげて何回かゆする(はずませる)動き」が、誤解を受けないための配慮は、かなり難しい。
殆どの学生は、引きますから、ネ。
それでは勿体ないと、今週は一気にハウツーで、動きのコツを教えてしまった。
最初のキッカケの取り方だけでも指南すると、案外、それらしい動きになってくる。驚きだった。
不器用な私としては、これだけの時間をかけて、自信をもってこの動きの号令がかけられるようになったことは一歩前進なのであります。
野口体操の場合、 はたして「号令」とよんでいいものだろうか、という問いかけは続いていますが……。
「内的・質的な動きの変化を伝えなければ号令とは言えない」
とでもいえるようなものだった。
先生の号令に合わせて動くと、実に気持ちよかった。
例えば、はじめた当初、自宅で一人で復習しようとしても、先生の号令がないとまったく動けなかった。
そのくらい動きの質と号令に一体感があった。
ちょとやそっとでは真似が出来ない。
むしろ動きの本質をつかまないで、真似すると、号令をかけられた皆は動けなくなってしまう。
つまり、野口三千三独壇場の号令だった。
従って、動きには関係なく部活動等で皆が声を揃えて「イチ、ニッ、サン、シッ」の繰り返し、無味乾燥にかけるやり方を先生は嫌っておられた。
「腕立てバウンド」という動きがある。
「いぃ~ちにのほわ~ん」。(上手く文字では書けない!)
「上体のぶらさげ」という代表的な動きがある。
これにはバリエーションがあって、
「一息で何回かおろして起きるを繰り返す動き」とか「一回放り上げて、何回かゆする動き」とか、名前だけでは、どんな動きなのか想像できない動きがある。
特に「一回放りあげて何回かゆする動き」の号令は逸品であった。
「はいッ、おとーーすッ」
「と(to)」の「t」の子音にアクセントがあって、母音の「o」はその時々の教室の雰囲気や先生の気分で長く伸ばされたり、ドイツ語の「ウムラウトのO」に近かったりしていた。
実際の動きでは、そう簡単に上体を落とすわけではない。放り上げた後に、微妙に支えながら「おろしつつ」床に近くなったころあいで「おとす」にかわる。
そして落とした弾みを上手く受け取って、次の上への「弾み上がり」の動きにつなげていく。
(あぁー、~むなしい~)いくら言葉で表現しても、つたわないわー。
気を取り直して、実は今年の春になって、はじめてこの動きの号令がかけられるようになったことを報告しよう。
「はいッ、おとーす」
先生の間合いとは違うのだけれど、しっかりした声で「おとーす」が言えるようになった。
野口体操をはじめて40年が、先生が亡くなって体操を指導するようになって16年が、すでに過ぎた。
自分でもこの遅さに呆れてしまう。
思えば、五線譜のようなものを考えて、そこに記してみたらどうだろうか、という意見が出たこともあったが、いつの間にかたち切れになってしまった。
では、号令ってなんだ?
簡単な辞書によると《1、多くの人にあるきまった行動をとらせるため、大声で命令したり指図したりすること。 2、支配者が、命令を下して人々を従わせること。また、その命令。》
なるほど。
実際に野口先生は、戦時中、群馬県内の小学校で学校全体の生徒が集まるとき、空っ風のなか地声で号令をかけて声を潰した、とおっしゃる。
天皇陛下を迎えた時にも、誰よりも大きな声を出すことができたことで選ばれ、代表で号令をかけたことあった、と伺った。
その長い歴史を持つ野口先生の号令が、野口体操と呼ばれるようになって成熟してきたころには、一層磨きがかかったことは想像にくしくない。
ところで、世にあるいわゆる西欧起源の体操には号令は付きものである。
最近ではラジオ体操の号令を、各地の方言で行うことがはやっている。DVDまでつくられているようだ。
最近見つけたものに「うちなーぐち朝のラジオ体操」や「バレエ風ラジオ体操」がある。バレエ風は、音楽まで芸術的で、途中からバレエの基本の動きが入って、素人にはまったく手も足も出ない「ラジオ体操」になっている。
他には英語版やイタリア語版等々。
見て、聞いているぶんにはなかなかに楽しい。
さて、脱線したが、とにかく「一回放りあげて何回かゆする動き」の号令がようやくかけられるようになって、今まで避けていた学生の授業でも、この動きを指導できるようになった。ただし前置きの説明には工夫がいる。
《最近、大学内でカルト集団が、言葉巧みに近づいて、……個人情報を絶対につたえないように》
このような内容のアナウンスが、授業と授業の間の休みに流れている。
「一回放りあげて何回かゆする(はずませる)動き」が、誤解を受けないための配慮は、かなり難しい。
殆どの学生は、引きますから、ネ。
それでは勿体ないと、今週は一気にハウツーで、動きのコツを教えてしまった。
最初のキッカケの取り方だけでも指南すると、案外、それらしい動きになってくる。驚きだった。
不器用な私としては、これだけの時間をかけて、自信をもってこの動きの号令がかけられるようになったことは一歩前進なのであります。
野口体操の場合、 はたして「号令」とよんでいいものだろうか、という問いかけは続いていますが……。
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