羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

迷惑千万 隣家の樹木

2010年10月21日 09時14分52秒 | Weblog
 以前にもブログに書いた。
 隣家の南側の塀に沿って植えられた樹木が茂ったまま放置されている。
 7月には、初夏以降こちら側に落ちてきた枯葉集めてみると、45リットル用の袋に二杯もあった。
 今は、どんぐりの実がバタバタと落ちてきている。
 見上げると十メートルはあろうか。二階の樋に枝が伸びてきている。

 真夏にも頼みに行った。
 初秋に頼みに行ったときには、暑くて切れないとおっしゃる。
 区役所に問い合わせたところ、丁寧に教えてくれたが、解決策ではなかった。
 誰も住んでいなければ、それなりの対処ができるという。
「そちらの方との話し合いです」

 一昨日のこと、三度目のお願いに行った。
 丁度、枯葉を掃いておられた。
「申し訳ありません。樋が詰まったら困るので、切ってください」
「わかってます。でも木の下を片付けないと枝は払えないんです。2メーター四方に伸びてる葉ですから大変なんです。下を片付けますからもう少し待ってください」

 ぬぬぬっ、わかってるんじゃないの。それに昨年切り落とし枝や草が生い茂って足の踏み場のないのかも。
「よろしくお願いします」
 怒りを隠して、お願いをする。
 内心、迷惑を受けている家がなんでこんなに低姿勢でなければならないのか!と思いつつも、その場を去った。でも不愉快さはおさまらない。

 極論。大邸宅の広い庭以外は、庭木はナシよね、と言いたい。とりわけ隣家との境にある塀のそばに植えてある樹木は切るべし! 因みに我が家の蔵は北側の塀から1メートルはたっぷり離れて建ててある。木が小さいときは問題はなかった。状況は時間とともに変わるのだ。それにあわせて対処してくれなきゃイカンのだ。
 チャンと枝を払って大きくならないようにして欲しい。
 それがご近所づきあいのマナーというもの。

 業を煮やした私は、植木屋を連れて訪ねようかとも思ったことがある。だが待てよ、こちらが費用を持つなんて御免蒙りたい。切り落とした枝葉を捨てるのだってお金がかかるのだから。
 いったい、ぜんたい、どうしたらいいのだ?
 しばらくは待つしかないのだが~。
 
 思い起こせば、野口三千三先生は西巣鴨のご自宅の庭を、一年中、手入れを怠らなかった。自然が大事ということは、放りっぱなしにしておくことではない。手をかけてその環境にあった状態を探りながら育てていくことなのだ。人が住む空間なのだから、人同士、樹木同士、草花同士の折り合いをつけることがハッピーな暮らしだ。
 それが「自然直伝」の本質である。
 
コメント
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