羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

テレビの音量40

2010年10月23日 11時01分41秒 | Weblog
 お年寄りと同居している人の悩みの一つにテレビの音量問題がある。
 我が家もご多分に漏れず、ガンガン響く設定がなされている。
 年をとっても内容を理解したい思いからなのだ、と余裕がある日は好意的に受け取れる。声を荒げずに‘ちょっと小さくしてもいい’と聞きながら音量を下げる。
 それでもしばらくするとまた元の木阿弥ってことが多い。

 先日のこと、テレビ画面に「字幕」と文字を発見した。今までだって気づいてはいた。しかし、その日に限ってその文字が大きくなって目に飛び込んできた。
「もしかして……」
 リモコンのスイッチを‘オン’にしてみると、聴覚障害者向けの字幕の文字が、話す人によって色分けされ、文字も大きく表示されていることに気づいた。

 一緒に見ていた母も文字を読んでいるらしい。
 そこで音量を気づかれないように下げてみた。
 まだ目は大丈夫そうだ。視覚からの情報で理解を補っているらしいことがわかった。思ったとおりの結果が得られた、と嬉しくなった私。

 それからしばらくの間は、字幕表示で見ることにした。
 そのうちに目も不自由になるのは時間の問題だ、としてもこれはいい方法をみつけた。つい懇切丁寧な字幕を私も読んでいる。

 ある日、NHKの美術新番組「ミューズの微笑(ほほえみ)」の再放送を見ていた。 ラリックのガラス芸術を展示している箱根の美術館を、ピアニストが案内するものだった。
 こここで問題発生。
 好きなBGMにのって映し出されるラリック作品の真ん中に字幕の文字が乗ってしまう。半透明の上に描かれているから文字を透かして、作品が見え隠れする。
「こりゃまずい」
 思わず‘字幕オフ’に切り替えた。
 すると音量を上げる羽目に陥ったのだった。
 
 というわけで字幕復活である。
 それでもかなりの音量がキープされているのだ。
 いつかは私も歳をとる、としても結構辛い。

 明日の「龍馬伝」は、字幕なしで、丁度いい音量でみるぞ!と今から臍を固めている。それだけは許してね。お願いね、おっ母さま。
 
コメント (2)
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