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羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

盆の週……1Q84・BOOK2

2009年07月16日 21時10分51秒 | Weblog
 今週、13日月曜日、玄関から二階まで電灯をつけ、行燈に光を入れて、‘お迎え火’を焚き、亡き人々を家に迎えた。

 連日、花を活けなおし、お供物を捧げ、お茶にお水、素麺やご飯を供えて、盆の行事を行っていた。
 本日‘送り火’を焚いた。
 ご近所では一軒も盆を行っている気配はない。

 それにしても七月の盆は、なんとなく気が乗らない雰囲気は否めない。
 東京の盆はなぜ七月なのだろう、と以前にもブログに書いた。
 不思議だ。

 そして合間をぬって『1Q84』BOOK2を読み終えた。
 私も知っている町の様子は、どこまでがフィクションかわからないが、思い当たる場所があった。
 実にありえそうな設定を読みながら、遠い昔、暗闇の路上でつい許してしまったファーストキスシーンを思い出した。
 二人で見上げた冬の月はたった一つだったが、身体の奥底まで透明に映し出すかのようにどこまでも冴えた光を投げかけていたっけ。
 その感覚の甦りは、BOOK2を閉じて、しばらく手の中に納めていたときだった。
《他者のぬくもりは冬に限る》と思ったような朧げな身体記憶は、夢だったか現だったかかわからない中途半端な境界をさまよった。
 そう、きっとあの場所から見た月に違いない。

 バッハの平均律クラヴィーア曲集は、二巻しかない。
 この物語もBOOK1とBOOK2で、閉じるのだろう。
 
 そして私は、物語の続きを自分で紡ぎ出そうと思う。
 自分の身体記憶の中に再現する作業から始める。
 私が鳴らす音楽は、すでに決まっている。
 相性のいいバロックとジャズから、ショパンがバッハに因んで作曲した「24の前奏曲」になるだろう、と。
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