宮本輝作『骸骨ビルの庭』を昨日から読み始めた。
今日は、下巻を三分の一ほど読み進んだ。
縁浅からぬ人にすすめられて『泥の河』『錦繍』を読み感動に涙したのは、かれこれ三十年ほど前のことだった。
その後宮本氏ライフワークである『流転の海』を最後に、このところは作品から遠ざかっていた。
作家は出世作を超えるのはなかなかに難しい、と思ってきた。
創作活動を続けられれば、円熟させることは出来る。
この『骸骨ビルの庭』は、これまでの作品に比べて、さすがに円熟期の代表作になるのではないかと思える出来栄えである、とここまで読んできて思っている。
昭和二十年の終戦後の混乱期から三十年代、そして平成時代に大人になった孤児たちのきめ細かな思いを、自立の象徴としての太陽と土と堆肥と植物といった野菜づくりを縦軸、現代に失われつつある‘情’を横軸として、個々の人間の生き様を読ませてもらっている。
半端だがこれ以上は今日は書かないでおきたい。
ブログに時間がさけなかったのは、この本が一因している。
今日は、下巻を三分の一ほど読み進んだ。
縁浅からぬ人にすすめられて『泥の河』『錦繍』を読み感動に涙したのは、かれこれ三十年ほど前のことだった。
その後宮本氏ライフワークである『流転の海』を最後に、このところは作品から遠ざかっていた。
作家は出世作を超えるのはなかなかに難しい、と思ってきた。
創作活動を続けられれば、円熟させることは出来る。
この『骸骨ビルの庭』は、これまでの作品に比べて、さすがに円熟期の代表作になるのではないかと思える出来栄えである、とここまで読んできて思っている。
昭和二十年の終戦後の混乱期から三十年代、そして平成時代に大人になった孤児たちのきめ細かな思いを、自立の象徴としての太陽と土と堆肥と植物といった野菜づくりを縦軸、現代に失われつつある‘情’を横軸として、個々の人間の生き様を読ませてもらっている。
半端だがこれ以上は今日は書かないでおきたい。
ブログに時間がさけなかったのは、この本が一因している。