羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

1Q84……換骨奪胎、そして、文学に宿る音楽

2009年07月18日 09時32分54秒 | Weblog
「1Q84」を読み終わって思うことあれこれ。
 
 全体を通して、たくさん音楽を聞いた。
 ジャズの名曲、バッハ、そして私の身体の底から聞こえるシューベルトの歌曲。
 突発性難聴を患って以来失いかけていた音の世界を、村上ブンガクによって再発見(再発聴)させてもらえたことにひたすら感謝である。

 そして言葉の表現の巧みさや物語構成の職人技とはこうしたもの、とたくさんのことを教えられた。
 息つくひまなくグイグイと物語に引っ張られた。
 そして神話的に語られた‘純愛’を楽しませてもらった。
‘愛こそ命! 愛こそ希望!’
 現代における愛の復権を気持ちよく堪能させてもらった。
 そしてその裏側には、ドストエフスキーの悪の論理も読ませてもらえた。

 にもかかわらず……
 しかし、しかし、……、正直申し上げて、今ひとつの感動が得られなかった。
 もしかする物語が面白すぎたからかもしれない、独断にすぎないが。

 ただし、次の言葉を知ったことはもの凄い収穫だった。
「換骨奪胎」
 BOOK1の49ページ三行目、‘かんこくだったい’とルビがふってある四文字熟語に、目が貼り付けられた。手元にあったiPhoneから『大辞林』を取り出す。そして‘かんこつだったい’と打ち込んだ。
 それから広辞苑も引いた。
 ここには広辞苑によるところを抜粋しておきたい。

《冷斎夜話一、骨を取り換え、胎を取って使う意。漢文をつくる際に、古人作品の趣意は変えず語句だけを換え、または古人の作品の趣意に沿いながら新しいものを加えて表現すること。俗に「焼き直し」の意にも誤用》
 胎(タイ、はらご=肉体のできはじめ。転じてものごとのもととなるものだそうだ。
 ナルホド!
 今は秘密だが、私もやってみたいことがある。

 ご免。
 感動はない、と乱暴に言ってしまったが、非常に上出来なブンガクを読ませてもらっただけでなく、楽しませてもらった。
 好きな作品の一つであることには間違いない。
 そして読みやすさの内側に隠された深淵を捉まえるためには、再読が必要かもしれない、と今朝は思っている。
 音楽を文学を通してこれほど聞かせてもらえたのは初めての経験かもしれない。
 それはもの凄く大切なこと。
 古の『源氏物語』も当時の宮廷人が読めば、今では失われた音楽が聞こえてきたはず。
 シルクロードを遠路はるばる運ばれ、中国で花開き、朝鮮半島を経由して日本に齎され‘わが国化された音楽の至宝’を聞いていたはずなのだ。
 日本人の感性にとっては、文学と音楽は不可分のものだったはず。
 その世界が現代の「村上神話文学」によって再開花したのだ、と思っている。
 それがなければこれだけの長編を飽きさせずに読ませることは、間違いなくできなかっただろう。
 新作を願う。
コメント
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