電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

出羽三山でアンサンブル〜金管五重奏と弦楽四重奏〜

2021年08月23日 06時00分09秒 | クラシック音楽
山形交響楽団のホームページ(*1)が一新され、WEBでチケットを購入することができるようになりました。これにあわせ、先のクラウドファンディングや「山形交響楽団×出羽三山」などのコラボ演奏なども紹介されています。蒸し暑い夏に出羽三山の涼しさをお届けできたら幸いと、動画を2つほど選んでご紹介します。

山形交響楽団×出羽三山 金管五重奏in羽黒山五重塔 
(1)「もののけ姫」、(2) J.S.Bach 「小フーガト短調」、(3)「私のお気に入り」


山形交響楽団×出羽三山 弦楽四重奏in羽黒山できるようになりました。三神合祭殿 【御奉納演奏】
(1) 「最上川舟歌」、(2) W.A.モーツァルト 弦楽四重奏曲第17番「狩」第1楽章




当地では、祖父あるいは亡父の少し上の世代あたりまで、若衆(男)が先達に導かれて歩いて月山に登り、湯殿山に参り、無事に帰宅してはじめて一人前として認められるという慣習がありました。その先達は地元の先輩がつとめ、現在の西川町、岩根沢などの宿坊に一泊した後は、宿坊の人が先達をつとめたということです。そういえば、西川町の同級生の家を訪ねた時、詩人の丸山薫記念館とともに、今は出羽三山神社の社務所となっている旧「日月寺」(*2)を見学し、かつて東日本一円に広がった出羽三山信仰文化圏(*3)における内陸側の正面入口だったという寺の庫裏の広さと大黒柱の太さに驚いたものでした。なるほど、それで当地にも「湯殿山」と彫られた石碑が残されているのだな、と納得したものです。

出羽三山と言えば、今はすっかり神道の神社というイメージですが、実はつい明治時代まで、神仏習合の山岳密教だった歴史があります。戊辰戦争の頃、明治政府から発せられたいわゆる神仏分離令によって、仏教と修験道が混じり合った独特の山岳宗教は、内陸側の真言宗寺院と庄内側の天台宗寺院の軋轢を経て、仏域と神域に二分し神域が出羽(三山)神社となりました。神域における仏教の経典は焼かれ建物は破却されることとなり、明治政府の調査が行われ、羽黒山の五重塔は仏教施設だから壊せと言われたとき、前夜のうちにあらかじめ本尊を鏡に入れ替えておき、これは天照大神を祀った神道の建物である、その証拠に仏教の五重塔は朱塗りだがここは白木であると言い逃れたために、破壊を免れたということです。

私たちは、宗教上の理由をつけて破壊行為を行う外国での蛮行に眉をひそめますが、明治の時代に日本でも宗教的バーバリズムが吹き荒れた時期がある(*4)ことなど、ふだんはすっかり忘れております。でも、戊辰戦争の脅威を間近に受けながら先人がなんとか保存することができた場所が、今や日本の文化遺産となっているわけです。そこで西洋音楽の精髄であるオーケストラ、山形交響楽団のメンバーが音楽を演奏する。それが、実にしっくりすることに驚かされます。そういえば、古来、文化は浸透していくものだと気がつきます。もちろん、伝える人たちの努力と受け入れる人たちの受容性によって、ですけれども。

(*1): 山形交響楽団ホームページ
(*2): 岩根沢三山神社(旧日月寺)〜月山朝日観光協会
(*3): 出羽三山信仰圏の地理学的考察, 岩鼻通明〜京都大学学術情報リポジトリより(PDF)
(*4): 例えば 神仏習合:神仏分離前の出羽三山、鵜飼秀徳『仏教抹殺〜なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』(文春新書) など。以前の記事では、寒河江市「慈恩寺の美仏と阿弥陀仏たち」展を見る〜「電網郊外散歩道」2015年7月


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