もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

奈良にも?

2007年03月19日 | Weblog
これは何でしょう。一辺700メートルの方形で7段に積まれた、土の塔です。これは必見ですよ
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大和郡山

2007年03月17日 | Weblog
日本一の補佐役、豊臣秀長が町作りをした町。金魚生産も日本一の町です。
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大和郡山

2007年03月17日 | Weblog
日本一の補佐役、豊臣秀長が町作りをした町。金魚生産も日本一の町です。
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大和に来ました

2007年03月17日 | Weblog
二上山山麓にあの大津皇子の墓があると云う。当麻寺のご本尊は何か? ナント当麻曼陀羅だと…
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山茱萸の木

2007年03月15日 | 持芳庭

タイトルは山茱萸(さんしゅ又はさんしゅう)と読むらしい? 宮崎県民謡「ひえつき節」の出だし
庭の山茱萸(さんしゅう)の木ー~ 鳴~るすーず~掛ーけ~て~~よぅー と唄われていますね。あれのことらしい

この字はは知りませんでしたが、鎌倉は「竹の寺報国寺」のお庭で教えてもらいました。 写真の山茱萸は我が自慢の「持芳庭」にて輝いています。
鎌倉広島宮崎 合作の1ページでございますよ

3/15日 まったく閑、何もする予定のない日。骨休みのタイミングに合わせ、雨がザンザン降っています。心置きなくゴロゴロです。

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ルーチンの活動?

2007年03月14日 | Weblog
3/13日 第二火曜日は昔の勤務先仲間との月例懇親会(泥酔会)の日。後は不定期に宿泊旅行や海外遠征など…
気の置けない仲間と云うことで、どうしても深酒をしてしまう傾向あり。

3/14日 第二水曜日は地元「落合郷土史研究会」月例の定例会。後は概ね月1回の歴史探歩と随時に宿泊遠征も含む研究会がある。
最近こちらも懇親会の開催頻度が増している。しかし泥酔会にはあらず…比較的アカデミックな活動なのだ。

何とか農水大臣が連日話題を賑わしているが、
オイラのミネラルウォーターは山の自然水を汲んでいる。
用途は焼酎、ウィスキーの割り水とお茶、コーヒーに利用している。

神社も祀られる本格的なもの、なんてったって御神水なのだから
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足立、R.Cティファニー美術館

2007年03月13日 | Weblog
3/12日は我が家の財務省のお供で、山陰が誇る二つの美術館を巡るツァーに出掛けました。何でも一方のティファニー美術館の方が、3月末で閉館するのだそうで見納めであります。理由はヤッパリ金銭トラブルかな?
オイラの知識としては、この美術館前の駅が「ルイスシーティファニー庭園美術館前」と云う、日本一長い駅名であることぐらい。立派な施設をもったいないと思うが、さしたる感慨はなし。

反対に安来市にある「足立美術館」は益々意気盛ん 今回も自慢の横山大観コーナーに24点と充実した展示がされていたが、彼の代表作「山海二十題」の内八題を所有したと云う。素晴らしい
こちらはこれから何度でも楽しむ事が出来ますね。

写真は足立美術館の鯉魚
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鎌倉まとめ

2007年03月13日 | 歴史探歩

3/5~7日 春の鎌倉探歩のまとめをしてみると、次も又訪れてみたくなる思いに駆られます。

広島の祖:大江広元の屋敷跡(現在は個人の住宅が建っている)でいにしえをを偲び、源頼朝の墓からロープを頼りに急坂をよじ登ると、やっと大江広元の墓に辿りつきます。安らかにお休み下さい 合掌
良く観察するとナント隣には島津家の墓が建てられているのです。薩長連合は鎌倉時代まで遡りますかね? それとも考えすぎですか

鎌倉の特長は幕府・侍屋敷・寺地域は山側、庶民の住居地は海岸側と明確に分離されており、中でも寺は判で押したように谷(ヤトあるいはヤツと呼ぶ)に建てられています。谷の最奥には岩をくりぬいてやぐら(身分の高い人の墓)が建てられており、意外な方がこの場所に葬られています。

代表例として縁切寺・駆込寺として有名な東慶寺を紹介します。寺内には用堂尼(後醍醐の皇女)や、豊臣秀頼の息女天秀尼の墓も建てられ、四季美しいお花が咲く癒しの尼寺です。
写真は用堂尼のやぐらです。

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広島の祖

2007年03月11日 | 歴史探歩
鎌倉探歩の際、大江広元とその子毛利季光の墓を源頼朝墓の直近で見つけた。京の公家であり学問に秀でた大江家は、菅家(菅原道真)に対し江家と称され学問の一方の大家てあった。(よって頼朝の近くに葬られたか

源頼朝に実力を認められて京から鎌倉に呼ばれ、幕府開府に貢献するとともに、以降政権の実力者として君臨した。

大江広元本当の終焉地は現在墓とされ、比定されている場所ではなく、数キロ離れた滑川沿いにあった屋敷跡であるといわれている。いずれにしても広島の祖と云われる人の人生大いに興味がある。

何方か広島在住のもの書さん、安芸のローカル部分のみ取り上げるのでなく、「広島の祖:大江広元」の系譜から明治維新に続く大河ドラマを綴ってたもれ

写真は大江広元の墓、鎌倉独特のやぐらである
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鎌倉だよ

2007年03月11日 | 歴史探歩

3/5日 鎌倉探訪の最初は、「鎌倉五山 第二位 円覚寺」であります。
本当に鄙びたJR北鎌倉駅から徒歩1分の場所にある円覚寺。縁起は?

日本はおよそ700年前大陸蒙古から二度に亘って攻撃され、未曾有の国難を迎えた。時の権力者は、源氏が開いた鎌倉幕府を継いだ執権北条時宗。
文永・弘安二度の蒙古襲来を、日本の総力を挙げて撃退した北条時宗は、この合戦における死者を手厚く弔うため禅に帰依し、この地に寺を建立したと云う。
正式には「瑞鹿山大円覚興聖禅寺」臨済宗の古刹である。現在も山内に18の塔頭があり、人々の心の支えとなっている。

源実朝が中国から請来した仏舎利を納める国宝舎利殿を初め、1301年に鋳造された洪鐘(おおがね)も全国に数少ない国宝の梵鐘である
仏殿は寄棟に茅葺屋根と花頭窓を持つ典型的な禅宗様式で、荘厳な佇まいを今に伝えている。

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湯島聖廟

2007年03月09日 | 歴史探歩

閑谷学校に興味をお持ちの方、お待たせいたしました。なんちゃって本当はオイラが思い入れひとしおなのであります。

細かい事はさておき、今回は学問の木と言われる「楷の木」を紹介します。閑谷学校と異なり、ここ湯島では大胆に剪定(枝打ち)された姿となっています。
これで毎年紅葉が美しいのなら、閑谷学校も同様な管理をしたらと思いましたので、老婆心ながら一筆

樹高は、閑谷=湯島で甲乙付け難いと思います。

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東京にも その二

2007年03月09日 | 歴史探歩

庭園鑑賞に拘りをお持ちの方にジミー(地味)な情報
これも小石川後楽園に作られている景色の一つ。一般のお客様はほとんど興味を示さないが、大名庭園に多く配される田圃(広島の縮景園では有年場と名付けられている)もある。

写真で奥側にはしが見えるが、あれが知立の八橋で橋上からカキツバタを眺める。



 

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東京にも?

2007年03月09日 | 歴史探歩
縮景園でご活躍の皆さんとファンんの皆さんにお知らせいたします。
実は東京にも縮景園がありました 

尋ねましたるここ小石川後楽園には、木曾谷の名勝「寝覚ノ床」、愛知は知立の名所「カキツバタの八橋」「京は嵐山の渡月橋」等。そしてなんと縮景園で西湖を模したと云われる跨虹橋は、円月橋の名で園に配されていました。西湖堤も築堤される念の入れようです。

このお庭は水戸藩上屋敷に築かれたもので、初代頼房が手掛け、二代光圀(黄門様)によって完成されたと伝えられています。
写真で円月橋をどうぞ

後楽園の命名は岡山と同義で「先に憂いて後に楽しむ」だそうです
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あぁー瑤泉院

2007年03月08日 | 歴史探歩

泉岳寺には浅野内匠頭や、大石内蔵助を初めとする赤穂義士、そして瑤泉院の墓もあり、私が訪ねた時も線香があげられていました。
江戸の人情もさすがですね。

浅野家の家紋が、違い鷹の羽であるのは皆さんご存知の通りですが、広島本家と赤穂分家では紋様に明確な違いがあるそうです。私も忠臣蔵講座で「梶ケ野弘美さん」から初めて教えていただきました。
どのように違うのかと云いますと、
広島本家の紋は右の鷹羽が上、赤穂分家は左の鷹羽が上なのだそうです。

泉岳寺にある瑤泉院の墓石には赤穂分家の家紋が刻まれ、前に立てられた燈篭には広島本家の家紋が彫られています。
したの写真では分かりませんかね
ちなみに隣の内匠頭の墓石には当然の如く、赤穂部分家の家紋が刻まれていました。
意味がわかって使い分けられているのでしょうか

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東京だよ 忠臣蔵

2007年03月08日 | 歴史探歩
3/4日から7日まで東京と鎌倉の探歩三昧。手始めに赤穂義士所縁の泉岳寺です。
昨年12月14日:赤穂義士討ち入りの日から、今年2月4日:赤穂義士切腹の日にかけて、集中的に忠臣蔵講座を受講した。

単純なオイラの事、こうなるとすぐに現地探訪に出掛けたくなってしまう。思い立ったらまったくブレーキが掛からないのは、子供の時から何も変わっちゃいない。変な意味で一本筋が通っているのである。エッヘン

羽田空港から乗り換えずに行かれるので、おのぼりさん(この言葉は京都に行く時に使うのかな?)でも迷うことなく簡単でありがたい。
それなりの山門が出迎えてくれた。
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