鎌倉探歩の際、大江広元とその子毛利季光の墓を源頼朝墓の直近で見つけた。京の公家であり学問に秀でた大江家は、菅家(菅原道真)に対し江家と称され学問の一方の大家てあった。(よって頼朝の近くに葬られたか)
源頼朝に実力を認められて京から鎌倉に呼ばれ、幕府開府に貢献するとともに、以降政権の実力者として君臨した。
大江広元本当の終焉地は現在墓とされ、比定されている場所ではなく、数キロ離れた滑川沿いにあった屋敷跡であるといわれている。いずれにしても広島の祖と云われる人の人生大いに興味がある。
何方か広島在住のもの書さん、安芸のローカル部分のみ取り上げるのでなく、「広島の祖:大江広元」の系譜から明治維新に続く大河ドラマを綴ってたもれ
写真は大江広元の墓、鎌倉独特のやぐらである
源頼朝に実力を認められて京から鎌倉に呼ばれ、幕府開府に貢献するとともに、以降政権の実力者として君臨した。
大江広元本当の終焉地は現在墓とされ、比定されている場所ではなく、数キロ離れた滑川沿いにあった屋敷跡であるといわれている。いずれにしても広島の祖と云われる人の人生大いに興味がある。
何方か広島在住のもの書さん、安芸のローカル部分のみ取り上げるのでなく、「広島の祖:大江広元」の系譜から明治維新に続く大河ドラマを綴ってたもれ
写真は大江広元の墓、鎌倉独特のやぐらである