もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

広島の祖

2007年03月11日 | 歴史探歩
鎌倉探歩の際、大江広元とその子毛利季光の墓を源頼朝墓の直近で見つけた。京の公家であり学問に秀でた大江家は、菅家(菅原道真)に対し江家と称され学問の一方の大家てあった。(よって頼朝の近くに葬られたか

源頼朝に実力を認められて京から鎌倉に呼ばれ、幕府開府に貢献するとともに、以降政権の実力者として君臨した。

大江広元本当の終焉地は現在墓とされ、比定されている場所ではなく、数キロ離れた滑川沿いにあった屋敷跡であるといわれている。いずれにしても広島の祖と云われる人の人生大いに興味がある。

何方か広島在住のもの書さん、安芸のローカル部分のみ取り上げるのでなく、「広島の祖:大江広元」の系譜から明治維新に続く大河ドラマを綴ってたもれ

写真は大江広元の墓、鎌倉独特のやぐらである
コメント (2)
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鎌倉だよ

2007年03月11日 | 歴史探歩

3/5日 鎌倉探訪の最初は、「鎌倉五山 第二位 円覚寺」であります。
本当に鄙びたJR北鎌倉駅から徒歩1分の場所にある円覚寺。縁起は?

日本はおよそ700年前大陸蒙古から二度に亘って攻撃され、未曾有の国難を迎えた。時の権力者は、源氏が開いた鎌倉幕府を継いだ執権北条時宗。
文永・弘安二度の蒙古襲来を、日本の総力を挙げて撃退した北条時宗は、この合戦における死者を手厚く弔うため禅に帰依し、この地に寺を建立したと云う。
正式には「瑞鹿山大円覚興聖禅寺」臨済宗の古刹である。現在も山内に18の塔頭があり、人々の心の支えとなっている。

源実朝が中国から請来した仏舎利を納める国宝舎利殿を初め、1301年に鋳造された洪鐘(おおがね)も全国に数少ない国宝の梵鐘である
仏殿は寄棟に茅葺屋根と花頭窓を持つ典型的な禅宗様式で、荘厳な佇まいを今に伝えている。

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