気ままな思いを

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綴る雑日記です 

「若者に友達プレッシャー」

2008-09-11 | 言葉の意味は


「便所飯=べんじょめし」という言葉を、ご存知だろうか・・・・・


で始まる新聞記事、私には、初めて聞く言葉でした。


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昼休みに、一緒に食事する相手のいない学生が、ひとりでいる姿を、
周囲に見られないよう、トイレの個室にこもって、食事を取る。


そのことを指した若者言葉だ。


真意のほどの疑わしい、都市伝説とみなす向きもあるが、どうやら、
本当にある話のようだ。


「そこまでしようとは思わないけど、気持はわかる」、
という学生も少なくない。


友達のいない寂しい人に見られそうで、とても耐えられない。
のだという。


若者たちが恐れているのは、ひとりでいること自体よりむしろ、
そこに向けられる、ピア・グループ(同輩集団)の視線なのである。


その視線のプレッシャーの中で、彼ら、彼女らは、
人間関係に、かなり神経を使っている。


なぜ、このようなプレッシャーが、強くはたらくようになったのか。
人目を気にすること自体は、以前から日本社会の特徴とされてきた。


限られた関係の中で、友達を作らねばならず、それに失敗した者は、
孤独だけでなく、「友達のいない変な人」、という烙印の視線にも、
絶え続けなければならない。


友達などいなくとも、人に認められ必要とされる関係は、いくらでもある。

社会は広い。

そこには、トイレの個室に代わる居場所が、誰にとっても必ずあるはずだ。



   辻 大介・大阪大准教授( コミュニケーション論 )



   *** 朝日新聞より、抜粋にて ***




私には友達は?。

なにか有ったとき、離れる友達、情勢がよくなればまた、近づいてくる友達。
なにか有ったときに、本当の友達か、そうでないかがよく分かります。


生涯に、本当に友と呼べる人は、ひとりでいい・・・と聞いたことがあります。

真の友・・本当の友、と呼べる生涯の友は、私にいるだろうか?。



  


庭のタマスダレ・・・寂しく、一輪のみ咲き始めました。


別名=レインリリー
              雨のあと、一斉に咲き始めることから・・・。