「便所飯=べんじょめし」という言葉を、ご存知だろうか・・・・・
で始まる新聞記事、私には、初めて聞く言葉でした。
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昼休みに、一緒に食事する相手のいない学生が、ひとりでいる姿を、
周囲に見られないよう、トイレの個室にこもって、食事を取る。
そのことを指した若者言葉だ。
真意のほどの疑わしい、都市伝説とみなす向きもあるが、どうやら、
本当にある話のようだ。
「そこまでしようとは思わないけど、気持はわかる」、
という学生も少なくない。
友達のいない寂しい人に見られそうで、とても耐えられない。
のだという。
若者たちが恐れているのは、ひとりでいること自体よりむしろ、
そこに向けられる、ピア・グループ(同輩集団)の視線なのである。
その視線のプレッシャーの中で、彼ら、彼女らは、
人間関係に、かなり神経を使っている。
なぜ、このようなプレッシャーが、強くはたらくようになったのか。
人目を気にすること自体は、以前から日本社会の特徴とされてきた。
限られた関係の中で、友達を作らねばならず、それに失敗した者は、
孤独だけでなく、「友達のいない変な人」、という烙印の視線にも、
絶え続けなければならない。
友達などいなくとも、人に認められ必要とされる関係は、いくらでもある。
社会は広い。
そこには、トイレの個室に代わる居場所が、誰にとっても必ずあるはずだ。
辻 大介・大阪大准教授( コミュニケーション論 )
*** 朝日新聞より、抜粋にて ***
私には友達は?。
なにか有ったとき、離れる友達、情勢がよくなればまた、近づいてくる友達。
なにか有ったときに、本当の友達か、そうでないかがよく分かります。
生涯に、本当に友と呼べる人は、ひとりでいい・・・と聞いたことがあります。
真の友・・本当の友、と呼べる生涯の友は、私にいるだろうか?。
庭のタマスダレ・・・寂しく、一輪のみ咲き始めました。
別名=レインリリー
雨のあと、一斉に咲き始めることから・・・。