萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

月山登山 ~速報~

2009年08月16日 | 日々の記録
連休最終日、山形の月山(1984m)に登ってきた。朝5時台の電車で山形まで行き、後はバスを乗り継いで登山口まで行った。

リフトを利用したが、標高差は約500m。登りだしは10時半。山頂を極めてからリフトに戻って来たのが2時過ぎ。往復で4時間弱の山行であった。

天気はずっとよかった。晴天の山登りは気分上々である。続報は明日にでも。

(以上、止まり木においてあるパソコンの調子がイマイチなので携帯電話から投稿。)
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列島攻略! 第7回 『関東』 その2 ~攻略編~

2009年08月15日 | 列島攻略!

<緑色でぼかした部分が自転車の旅予定の箇所>

【自転車の旅】

①宇都宮~白河間
 昨年の夏休みに大宮~仙台間のランを計画したが、小山あたりから膝が痛み出し宇都宮で断念。輪行で白河まで行く。翌日、白河から走るが膝の痛み消えず、郡山であきらめた。後日、仙台から走って郡山までは走破したので、結局、宇都宮~白河間が走り残しとなった。ここは「関東」の中で真っ先にカタをつけねばと思っている。

②外房
 関東の中で“轍”の跡が極端に少ない都県が「千葉県」だ。学生時代、「初日の出ラン」と称して、年末に九十九里浜まで仲間と行った事があったが、小生は伴走車組で自転車には乗っていない。犬吠崎から館山までの外房をいつかは走ってみたい。

③利根川下り
 関東平野は“坂東太郎”とよばれる利根川の“たまもの”である。それは、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスの名言「エジプトはナイルのたまもの」に似る。何度も氾濫を繰り返した“坂東太郎”が日本で一番広く肥沃な平野を形作ったのである。江戸や東京の繁栄はこの平野抜きでは考えられない。
ということで、この恵みの河の上流群馬県北東部から走り出して、河口の銚子まで走ってみようと考えている。

④「おくのほそ道」を走る!
 芭蕉の旅の後追いを自転車で辿る旅である。旅立ちは本所深川から始めるつもりであるが、なかなか出発できないでいる。「御免丸」を主に使うことになるが、とりあえず出発しないことには旅と言うのは始まらないのだ。この秋の内には旅立ちたいものである。


【登山】

 前回も書いたが、未踏の山は「男体山」(栃木)、「皇海山」(栃木・群馬)、「丹沢山」(神奈川)、また、群馬長野の県境ににまたがる活火山「浅間山」の4座である。

 どれも、大宮からは行こうと思えば「日帰り」もしくは「一泊」で行ける山である。もっとも、浅間山は今行っても頂上までは行けない。小生が生きている内に火山活動がやめば別だが。ここは最後の方までとっておくことになるだろう。それ以外の3座は機会を見つけて登ろうと思っている。但し、北海道や東北の山が最優先であり、関東の山の優先順位は低い。
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盆帰り

2009年08月14日 | 日々の記録

<お盆の空。>

今日は母が亡くなって、初めての盆なので、叔父叔母たちをはじめ、従兄弟達が大挙して来てくれた。総勢10人だ。久々に賑やかな一日を過した。叔父叔母はみんないい年齢(66歳~83歳)になっているが、達者であり、よくしゃべるので賑やかである。

クルマの運転とか、これから仕事なんて人もいて、ビールを呑める人は二人しかいなかった。もちろん、小生はお付き合いをさせてもらう。なんだかんだ一番呑んでたのは小生だった。

小生自身も覚えていない、子供の頃の話を叔父叔母から聞かされて赤面することもあった。ま、ガキの時分から、恥じ多き人間であったことを改めて知らされた。連日、昼から酒を呑んでいるので、皆が帰った後はさすがにくたびれ、軽く昼寝をした。

長いと思っていた盆休みも後残すところ二日。明日の夕方には仙台に戻らねばならない。
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熱闘甲子園!序盤戦

2009年08月13日 | 野球
2006 栄冠は君に輝く 夏川りみ


夏はやはりこれだ!

大宮に帰ってきていいことのひとつはテレビがあることだ。いつもはあまりありがたいとは思わないが、甲子園のこの時期はありがたい。今年は小生の仕事上のテリトリーである、北海道から北関東の1道9県、11校プラス埼玉県の聖望学園を贔屓に応援しようと思っている。

早くも、北海道一校、山形、茨城、栃木、そして本日埼玉聖望は姿を消した。情けない限りであるが、岩手「花巻東」、宮城その名も「東北」は一回戦を勝ち抜けた。今後の展開が楽しみである。明日以降も陸奥(みちのく)&北海道のチームを中心に応援する所存。

負けるな、みちのく!

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いくらか夏らしく

2009年08月12日 | 日々の記録

<大宮公園。蝉も鳴いていた。>

昨日の晩、大宮に戻ってきた。今日は珍しく朝から晴れ間が出ていた。午前中、ちょっとした買い物のついでに、大宮公園に寄ってきた。日差しはあるが強烈ではなく、蝉は鳴いているが、真夏の激しさはない。シオカラトンボやアカトンボを見かけた。

雨模様の天気が続いているうちに、真夏のピークは通り過ぎてしまったようだ。昨晩寄ったいつもの居酒屋のマスターが、「今年は天気が悪かったから、米も不作だろうし、果物も甘みがないだろう。」と言っていた。

午後からは妹が来てくれて、盆の準備を手伝ってくれた。一人だと何をどうしていいか皆目わからなかったので、助かる。先日、叔父達が来て庭の草むしりなどもやってくれたので、庭も綺麗に片付いている。庭木の方はさすがに叔父達も手を出せないほど繁繁と伸びており、秋になったら、業者にでもたのむしかなさそうだ。
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天変地異?ようやく晴れた仙台。

2009年08月11日 | 日々の記録

<ベランダから。ようやく雨上がる。>

まだ、仙台にいる。本当は仙台近郊や北上川源流下りなど、自転車で出かける予定を組んでいたので仙台に居座っていたのだが、天候不順で結果的に“止まり木”に潜む結果になった。早めに大宮に戻らなかったことで、立て続けに起きた地震の恐怖は避けられた。今年は皆既日食の所為なのかどうかしらんが、自然界の動きが妙である。もっと、大変な天変地異が起こるのかもしれない。

連休突入後に天気がはっきりしなかったのは悪いことばかりではなかった。テレビもないこの部屋で過ごしたおかげで、読書ははかどった。また、無聊の慰めに昼過ぎからはいつも酒を呑んだ。なんとなく、“バカンス”という気がした。

ずーっと雨が降っていたので、国分町あたりに出かけて行って呑むという気にもなれず、この二日半は珍しく“部屋呑み”で過ごした。呑んだ酒は缶ビール、ワイン、日本酒、焼酎のホッピー割(近頃、仙台のスーパーにもホッピーが置いてある)などだ。

肴は出来合いを買ってきたものは、「刺身」「ポテトサラダ」「ゴボウサラダ」「マカロニサラダ」「ミニトマト」「中華春雨」「麻婆豆腐」「餃子」「パン類」など。自分で手を加えたものは「ポテトとハムの炒め物」「ハムエッグ」「ゆで卵」「水煮サバ缶の大根おろし添え」「キャベツのスライス」「ペペロンチーノスパゲッティ」「ご飯」「トースト」など。

朝飯は食べない主義なので、午前中は読書、午後から上の酒と肴で音楽を聴きながら、時にネットを見たり、また、本を読んだりして過ごした。暗くなって眠くなったら寝る、という二日半であった。

これはこれで、小生的には仕事をしている時の日常とは違う生活ができたので、有意義と言えば有意義だったし、これが本当の“休み”“休養”というものかもしれない、と思ったのだった。

今から、部屋を片付けて、大宮へ帰る。
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今夏はどうしようもないね。ニュースは“のりピー”一色。

2009年08月10日 | 日々の記録

<ベランダの水滴>

北上する台風9号の影響か、仙台は今日も朝から雨である。しかも、時おり、激しく降る。何をする気もしないので今日も一日“止まり木”で過ごしている。台風9号は兵庫県や徳島県で大きな災害をもたらしたようだ。西日本は6月頃から雨で散々なようである。甲子園も二日続けて順延だそうだ。

ヒマなので、ネットでニュースを眺めると“酒井法子容疑者”の話で持ちきりである。のりピーと言えば小生は90年代のドラマ「ひとつ屋根の下に」の柏木小雪役を一番に思い出す。不幸な生い立ちで確か、彼女だけが血のつながった兄弟姉妹ではなく、最後は重い病気になるが、なんとか生きのびて、ラストでは“チイ兄”(福山雅治)とうまくいってハッピーエンドとなる役どころであった。

報道されている記事を読むと彼女の実人生も、ドラマの如く、だったんだと思った。複雑な生い立ちからアイドルにのし上がって、順風満帆。歌手として女優として一時代を築く。幸せな結婚をしたと思いきや、夫とは別居生活。あげくに夫が薬物で捕まって、自分は失踪。不幸な妻の役どころが一転、自らも薬物使用の容疑で逮捕されてしまった。現実の方は「ハッピーエンド」というわけにはいかなかった。

酒井法子は直前に逮捕されたO氏や以前に逮捕されたミュージシャンや元野球選手など、逮捕された時に「ああ、さもありなん」と思わせるキャラクターでは無かっただけに少々ショックではあった。


それにしても、この雨いつ止むのか。夏の太陽と青空と入道雲をはやく見たい。

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休日初日。今日も雨模様。

2009年08月09日 | 酒食・グルメ?

<最近は簡易容器の盛り付けも、そのまま食べれられるよう工夫してある。>


<であるが、小生は自分なりに盛り付けしないと気がすまない。本マグロとタイ。美味しかった。>

連休初日。今日も雨だ。昨日の予報では「くもり」であったのだが・・・。珍しくもないので文句を言う気にもなれない。ということで、食料の買出しにスーパーまで傘さして歩いて行った以外は止まり木でゴロゴロしていた。

写真は午後一時になって、さすがに腹が減ったので、スーパーに買出しに行った時に買ってきた刺身だ。最近のスーパーの簡易容器はうまくできていて、そのままで食べてもいいくらいであるが、小生は上のような皿に盛り付けなおして食べる。ちょっとした工夫で一味違う気がするからだ。旨い酒を呑む為の雰囲気づくりと言ってもいいかもしれない。

本日は午後二時過ぎから、ポテトサラダ、マカロニサラダ、ゴボウサラダを肴に缶ビールを呑み、上の刺身ともらい物の蒲鉾で日本酒を呑み、ハムとジャガイモを炒めてトーストとともに赤ワインを呑んだ。いい気分になって、ベットにころがったのは、ネット観戦でジャイアンツがヤクルトに2-0で勝利したのを確認した、夕方5時ごろか。

気がついたら、部屋はすっかり暗くなっていた。時計は8時を回っていた。
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列島攻略!第6回 『関東』 その1 ~特徴と轍・靴跡~

2009年08月08日 | 列島攻略!


「日本列島轍靴ノ図」の関東の部分>

【特徴】

関東地方の地形的特長は何と言っても、その平野の広さであろう。日本列島という山だらけの島の中にあって、関東平野の広さは際立って見える。この平野は利根川、荒川、渡良瀬川、多摩川などの大河川がもたらしたものとされる。また、人口の密集度も大きな特徴のひとつであろう。日本の全人口1億28百万人の内、関東南部の1都3県(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県)に34百万人が住んでいる。日本の人口のほぼ4人1人がこの1都3県の住民票を持っていることになる。この1都3県の人口密度は1平方キロあたり、2512人である。因みに北海道は72人だ。近畿の人口密集地の2府1県(大阪、京都、兵庫)で1145人であるから、その人口密集ぶりは異常とさえいえる。毎日の通勤・通学地獄はこの地の会社や学校に通ったものでなければわからないであろう。

歴史的には鎌倉に幕府が開かれるまでは、平将門の乱などもあり、“坂東武者”“東夷(あずまえびす)”などと都人(みやこびと)からは怖れられており、陸奥の蝦夷(えみし)とイメージ的には同じように思われていただろう。初めて武家政権を打ち立てた源頼朝は清盛に一命を助けられ、伊豆の蛭が小島に流された。30歳を過ぎてから、平氏追討をかかげ石橋山で挙兵した。紆余曲折の末、実権を握った後、鎌倉に幕府を開いた。石橋山も鎌倉も現神奈川県である。

そして、室町幕府を開いた足利尊氏の本拠地は今の栃木県足利市であり、江戸(東京)に幕府を開いた徳川家康は新田源氏系の得川氏(群馬県太田市)の流れだとしている。平将門の乱以来武士といえば、坂東であった。そういう意味では“武家政権=関東”といってもよさそうである。

平安京ができたのが西暦794年、鎌倉幕府が開かれたのが1192年、最後の将軍徳川慶喜が大政奉還したのが1867年である。この節目の西暦から計算すると公家政権は398年間、武家政権は675年間の長きに亘った。

また、家康が江戸に幕府を開いたのは1603年。江戸から東京へと名前こそ変わったが、日本の政治の中心地になって、400年以上の月日が経っている。すでに平安時代の年月を上回っている。今や東京は日本の政治、経済、文化の中心地であり、いいことも、悪いこともすべての情報は東京から発信され、東京に集まる。いわゆる“東京集中”だ。これが“日本”を歪め、偏らせているような気がしている。“東京”は肥大しすぎたのかもしれない。


【轍】

小生は生まれも育ちも埼玉県の大宮なので、関東地方は地元である。都内の大学のサイクリングクラブに所属したこともあり、自転車で出かけた先も圧倒的に関東地方が多い。身近なところでは奥武蔵グリーンラインのいくつかの峠。よく、トレーニングにも出かけた。

当然ながらロングランの出発地点も関東であった。1年の夏の東北方面と2年の夏の西日本一周のロングランの出発点は東京であった。3年の夏の中部山岳方面&北海道の出発点は大宮であった。1年の夏の東北と3年の夏の中部&北海道は以前の「列島攻略シリーズ」で簡単に紹介したので省略するが、2年の夏の西日本一周のコースについては以下の通り。

その年のクラブ合宿は中国地方で「鳥取集合、広島解散」であった。小生はその前後も自転車で走ることで「西日本一周」を計画、完走した。まずは東京から出て、山梨、長野、岐阜、福井の山岳地帯を抜け、日本海の若狭湾に出て、そこから、海岸線沿いに合宿の集合地鳥取に行った。二週間かけて中国山地を走って合宿は広島で解散。

そこからは、山陽道を西に走って、関門海峡から九州に渡り、九州をザッと8の字に回ってから、四国へ渡り、鳴門から淡路経由で大阪に渡って北上、また、若狭湾に出て、日本海を海岸線沿いに東へ行き、糸魚川から内陸に入って、長野、群馬を越えて埼玉は大宮に戻るという、約二ヶ月間のロングランを敢行した。詳細は各々の「列島攻略」で記載予定であるが、一切、自転車以外の乗り物を使わず一回りしてきたのはこの旅だけであった。そして、小生はこの種の旅の虜(とりこ)となったのであった。

また、社会人になってから、旧東海道、旧中仙道を走った。出発点はいずれも東京・日本橋であり、終着点は京・三条大橋であった。


【靴跡】

地元だけに百名山他、結構登っている。関東地方の百名山は全部で18座(県境にまたがっていても、どちらかが関東の県の場合は含む)あるが、未踏の山は「男体山」(栃木)、「皇海山」(栃木・群馬)、「丹沢山」(神奈川)、また、群馬長野の県境ににまたがる活火山「浅間山」の4座である。

もっとも、思いが濃いのは奥秩父単独縦走である。山梨の金峰山から入って、甲武信岳、雲取山を縦走して秩父の三峰口に下りてきた3泊4日の単独テント縦走だ。11月の下旬に行ったので日が短く、日没との競争で毎日が心細かったのを思い出す。それでも、晩秋のなんともいえない枯れた風景や風にざわめく尾根の笹原や時折見える富士山の雄姿に励まされ、なんとか縦走できた。充実した山行であった。

その他、夏山と春先の山スキーの両時期に頂点を極めた巻機山(新潟・群馬)。一人で登って誰も居ない山頂で一夜をテントで過ごした平ガ岳(新潟・群馬)。などが思い出深い。
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長岡~仙台 世間は夏休み

2009年08月07日 | 日々の記録
朝、長岡駅前のビジネスホテルを出ようとすると雨が強く降っていた。昨日梅雨が明けたはずなのに、よく降るぜ。傘は持っていなかったが、幸いにも屋根ツキの歩道が駅までつながっていたので、濡れずにすんだ。

長岡~大宮間の新幹線はすんなり取れたのだが、大宮~仙台間は仙台で行われている「七夕まつり」の所為か、「はやて」は満員で一時間ほど大宮で待ってから「やまびこ」に乗り継いだ。世間はすっかり夏休みモードで新幹線の客層も大半が旅行者である。小生のようなビジネスモードの人間の割合はあきらかに少ない。

昼過ぎに仙台に着いた。こっちも雨が降っていたようで、地面はしっかり濡れていたが、小生が駅を降りた時は雨が上がっていた。午後一番に会社に着いた。小生の夏休みはあさって9日から16日までの8日間である。海外旅行に行くようなイベントはなくとも、長期の休みはやはり嬉しいし、待ち遠しい。この八日間は仙台四日、大宮四日の配分だ。

八日間をしっかりと遊んだり呑んだりするため、本日は本年31回目の一日断食をしている。よりよく遊ぶためには体調を整えておかなくてはならないのだ。とりあえず、明日は仕事仲間と連休突入の祝杯をあげることになるだろう。

楽しみなことだ
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今晩は長岡

2009年08月06日 | 日々の記録
新潟県は長岡にいる。こっちは梅雨が明けたそうで晴れていて蒸し暑かった。日が落ちて夜になってからは涼しくなった。一週間の断酒明けの反動でこの二日間は大酒呑んで、情けない日々を過ごしたが、今晩は冷静に酒と付き合えた。程よい酒が呑めた。いつも、このぐらいで済ませば、いいのだが。と我ながら反省す。

明日は大宮経由で仙台に帰る。大宮の家による暇はない。実は新幹線から大宮の家を確認することができる。何分、小さな家なので知ってる人間にしか確認できないのであるが、いつも新幹線で仙台に帰る時は、まさに「横目に見る」という感じで我が家を見てから仙台に向かう。

ちなみに仙台の「止まり木マンション」も新幹線から確認できる。どうということはないのであるが、大宮の家と仙台の止まり木を新幹線から確認できることが、小生の非常にささやかな楽しみでもあるのだ。

明日は大宮の家に寄らない分だけ、きっと目を皿のようにして我が家を確認することだろう!
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インドを走る!part2 第29話「ラジギール」

2009年08月05日 | 自転車の旅「インドを走る!」
1980年4月22日(火)晴れ

パトナのホテルを朝六時ごろ出る。まずはガヤへ行くつもりで、ガヤ、ガヤとしきりに叫んで道を確認しながら街を抜けたのだが、ついにガヤへの道はわからず、ビハールへ行くことになってしまう。私の理解力不足の所為なのか、インド人たちのいい加減さの所為なのか。ガンガ(=ガンジス川)沿いの道で気分のいいコースであったのがせめてもの救いであった。

結局、当初予定していたガヤ⇒ブッダガヤ⇒ラジギールのコースが、ラジギール⇒ブッダガヤ⇒ガヤという逆周りになる。距離的には同じなので、まあいいか。10時過ぎには休んだ。ドライブインのオヤジさんは日本語を話す。結構うまい。この辺、余程沢山の日本人が来るようだ。10時~15時ぐらいまではすざましい猛暑なので、ここの大木の木陰にある麻で編んだ簡易ベッドに15時まで転がって休んでいた。

いくらか涼しくなった15時過ぎに出発。舗装の照り返しはまだまだ強い。イヤイヤ走る。時々、サイケレ(=自転車に乗ったインド人)が私に競争を挑んでくる。ある程度スピードを出し、相手が必死になってついてくる時間を多めに取り、相手の疲れを見てとって一気にブッ千切る。これで大体サイケレは見えなくなる。

ようやく涼しくなったころビハールの街に着く。ビハールではナーランダホテルに泊まる。食事がインド料理しかなく、ほとんど食えず。オムレツとかトーストがあればいいのであるが、大きな街でないとそれは無理だ。インドカリーを朝昼晩食べて、腹を壊した経験から、どうしてもカリーを敬遠してしまうが、これではいかん。体力がつかん。と思いつつ、ベッドに横たわる。

明日はいよいよラジギール、頑張るぞ。


1980年4月23日(水)晴れ

ラジギールへは十時半ごろ着く。ビハールから22キロの道のりであったが、向かい風の上、食わず嫌いでインド食を食わなかった為か、えらくしんどく感じた。とにかく暑い。風も強く、その風が熱風ときているからたまらん。ここはインドでは珍しく山(丘と言った方がいいかもしれぬ。)があって、景色に起伏のあるところだ。これが、せめてもの慰めか。

ラジギールへ着いて、まずは、日本寺へ行ってみる。加藤上人という人が出てきて、ここに泊まれるかどうかを訊ねたが、今はお寺ではツーリストを世話できないとのこと。残念。それでも、日本製の即席ラーメンをご馳走してくれた。ありがたし。

しかたないので、近くのツーリスト・バンガロールNO2というところに宿をとった。一泊素泊まり4RS(120円)である。食事は近くのマルケット(市場)でとる。インド料理しかない。インドカリーは食いたくない、などという贅沢はもう言ってられない。これを喰わねば、私はこの地で倒れ、ハゲタカのエサになってしまうのだ。

半分、どうにもしかたない気持ちでベジタブルカリーとチャパティをオーダーし、食べてみる。ところが、腹の減っている所為かこれが旨い。くそ暑いこの気候、この大地にはやはり、土地の食べ物が一番なのだ、今まで敬遠していた私が愚かだったのだ。

夜は寝苦しかった。如何せん、ベッドが夜になっても熱いままである。昼間は出なかったシャワーの水が出るようになったので浴びる。気持ちよし。近くに温泉がある、と聞いたが、疲れていて行けず。明日にでも行こうと思い寝る。宿に沢山の子供がおり、ものをねだりに、部屋に入ってくる。追っ払って、ドアを閉めても、外からドアをノックしてなんとか、取り入ろうとする。まったく。いつものことながら腹の立つことである。


1980年4月24日(木)晴れ

今日も晴れ。乾季のインドで晴れは当たり前のようだ。月日を書いた後に、いちいち「晴れ」と記すのが馬鹿馬鹿しいことに気づいた。晴れ以外の天気だったら記すことにする。もっと早く気づくべきことであった。

朝、目覚めて汗ばんだ身体をシャワーで流す。気持ちよし。それから、マルケットへ行き食事をしてからサンティストウパや温泉のある方へ自転車で散歩に行く。こちらの方が開けているというか、観光地ズレしているというか。とにかく、垢抜けてはいた。

しかし、食べ物は高くてまずいし、コーラもぬるい。店の主人は私がマルケットの方で食事をしていてると言うと、あそこは良くないとけなす。しかしながら、実際問題としてこっちの方がよくない。向こうは観光地化されておらず、地元のインド人たちの為の市場である。観光客から儲けてやろうという魂胆が微塵もないので落ち着けるのだ。生活に即した場所であるから、観光シーズンオフになっても、冷たいコーラを置いておく。こちらのようにシーズンオフになればどうでもいいという考えがない。

それから暑くなって来たので宿に戻る。少し休んだ後、山の上にあるサンティストーパへ行こうと思って行ってみるが、門は閉まっていて誰も居そうもない。しかたなく、温泉の傍の垢抜けただけの店へ行って暇を潰してから、宿へ戻ってベッドに横たわる。ゆっくりしたいのだが、ドアを開けておいたら、ガキどもが勝ってに入ってきて、物をねだる。特に日記をつけているこの三色ボールペンが欲しいらしい。まったくうるさい奴等だ。そうかといってドアを閉めると風が入らぬ。まことに居心地悪し。

シャワーを浴びて涼もうかと思ったが、今日は水が出ない。夜になってから、温泉に行ってみる。洞窟のような暗い所に深めの温泉がある。地元の人は服を着たまま入っている。私もスッポンポンだと何か言われそうなので、パンツだけはいて、こわごわと月明かりを頼りに温泉に浸かった。湯加減は丁度よく思ったより気持ちよし。但し、ガキどもが、プールの如くに使用してハシャギまわっているので落ち着かない。まったく、インドである。

帰りに、例の店で涼んでいると日本語を話すインド人のニイサンが来て、カメラを盗まれ、使い道の無くなった私のフィルムを売ってくれという。明日朝、この場所に持ってきてくれという。また、山の上のサンティストーパ(日本寺)はぜひ見るべきだと熱心にすすめるので、もう一日、ラジギールに居て、観に行こうと決心した。

(つづく)

インドを走る!について
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ホンマ、今年は天気がよくならないなあ

2009年08月04日 | 日々の記録

<また、また、紫陽花。>

今年はホント天気がよくならない。ずっと雨が降っている。たまに晴れても連続しないで単日で終わる。今日も仙台は曇り時々雨の天気だ。時折、強く降る。そんな天候を反映してか、「紫陽花」の写真をよく載せているような気がする、というかあきらかに多い。

で、昨年の今頃はどうだったのだろうか、と思って一年前のブログを覗くと、充実した日々を送っていたではないか。8月のはじめは青森の「ねぷた祭り」に行っていた。今年も行きたかったのだが、都合がつかず断念。ま、平日だもんね。仕事そっちのけではなかなか行けませんね。北海道に自転車持って行って走ったり、仙台~大宮間を走ろうとしたり、蔵王に登ったりといろいろやっていました。

そして何より、昨年の8月は北京五輪が開催されていたんですぞ。

どうです?結構忘れていた人、多くありませんか。小生もブログをチェックするまでは忘れていました。

日本人選手の活躍はあまり、パッとしなかったように記憶しているが、米国を破って金メダルを獲得した女子ソフトボールは天晴れであった。特に上野投手の連投は印象に残っている。

昨夏は“熱い”夏だったのだ。

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父の命日 ~断酒7日目~

2009年08月03日 | 日々の記録


今日は父の命日である。昨日の日曜日に大宮に戻って墓参してきた。23回忌だったので供養に塔婆をたてた。先だって石原裕次郎の23回忌でマスコミが騒いでいたので思い出したが、父が亡くなったのは裕次郎と同じ1987年のことであった。あれから、丸22年たった。

石原家のような派手なパフォーマンスはできないが、一週間の断酒を供養のつもりで試みてみた。ともすれば、日常の慌ただしさととともに、過ごしてしまう父の命日を7日間の断酒という、小生にとっては“異常”をつくることで、「父を偲ぶ」というカタチがとれた。

思い出すのは優しかった父のことばかりだ。小学生の頃に野球、特に投手として、カーブ、シュートなど変化球の投げ方を最初に教えてくれたのは父だった。いつも、キャッチャーをやってくれた。中学、高校と小生の公式戦には余程のことが無い限り、見に来てくれた。

また、大学時代、インド・ネパールを自転車で旅したいと持ちかけた時に、母の反対を制して、若いうちにやりたいことをやっておけ、とゴーサインを出してくれたのも父であった。野球も自転車の旅も50歳過ぎて、なお趣味として続けられているのは、まったく父のお陰である。

年に一度、一週間ぐらい酒も呑まずに父を偲ぶのは、小生の義務である。来年以降も継続行事にしようと思った。


ちなみに最終日の今日は一日断食をしている。明日はすべて解禁だ。飯も食えるし、酒を呑んでもいいのだ。もちろん、呑めるのは仕事を終えた夕方以降なのであるが、今から、どこで何を食べて何を呑もうか思案中である。この一週間、金も使っていないので、軍資金もある。楽しみなことだ
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久々に“野球”をやったのだ

2009年08月02日 | 野球

<市営球場。試合する場所については申し分なかったのだが。>

本日午後から亡父の23回忌で墓参りに行くこともあり、昨晩のうちに仙台から大宮に戻ってきていた。午前中は地元チームの公式戦があった。ここのところ、スケジュールが合わなかったり、合った時はあいにくの雨が降ったりと、ずーっと野球はできなかった。

今日の天気も雨時々曇りであったが、野球ができない程ではなかったので、試合は行った。場所はちゃんとした市営球場である。河川敷のグランドではない。観客席もスコアボードもある。もっとも、雨の中を観にくる観客はいなかったが・・・。

3番サードで先発。仙台から来ているので監督も考慮してくれたようだ。相手チームは平均年齢20歳ぐらいの若いチーム。ついこの間まで、現役で高校野球をやっていたような連中だ。誰かがつぶやいた。「メタボがいない」と。

こっちの平均年齢は40歳前後。最初から勝負あった、みたいな感じであったが、オヤジ軍団にも意地がある。なんとか一泡吹かせてやろうと試合に臨んだ。

相手は二年前の高校球児。本格派の左腕だ。監督のお情けで“3番”には座ったものの、50男の動体視力でついていけるスピードではない。意地はあっても目がいかん。ましてや、今日のような薄暗い天候だと余計ボールが見えにくい。3打席回ってきたが、2三振。かろうじてファーボールをひとつ選べたのみ。

結局、味方打線は散発二安打(よく打った!)、11奪三振を喫し、零封され、0-7で五回コールド負け。惨敗であった。

なんで、ああいうチームと当たるのかね。明らかにクラスが違う。くじ運が悪いんだろうね。

それでも、久々に野球がやれて、気分は悪くなかった。動体視力の衰えをなんとか克服し、走りこんで、素振りをして、ウェイトトレーニングで筋肉つければ、まだまだ、なんとかなる、と思ったのだった
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