晴れ。処々に、ぽつんと雲が浮かんでいます。上空でも強い風が吹いていないのでしょう、浮かんだ雲が、お伽噺の雲のように見えます。
学校の台所に花を散らせた鉢植えが置いてあるのですが、その土の中から、ニョキニョキと顔を覗かせ始めたものがあります。いわゆる、生命力の強い雑草です。記者の問いに「雑草などという草はない」と答えたという植物学者としての面目を躍如させた昭和天皇の言葉がありましたが、この雑草も、名前はあり、多分「カタバミ」というのでしょう。
「カタバミ」は種類が多いので、私には正確な名前はわかりませんが、子供のころの私にとっては、便利な「おもちゃ」でした。大体どこにでも生えているのです。これを土から引き抜いて、その中から一本を選び出し(丈夫そうにみえるものを選ぶのです。切れたら終わりですから)、上の三つ葉を相手の三つ葉と絡ませて「引っぱりあいっこ」をするのです。時々、本当に強いものがあります。ぷつんと切れたら負けです。それで、また別のを捜します。切れたら捜しを繰り返し、別の遊びが見つかるまでそんなことを続けたりしていたものでした。
当時は、今のように機械とか高価なものは普通に売られていませんでしたから、身近にあるものが、遊び道具にされていました。近くの用水路から紛れ込んできた「カエル」なども、格好の遊び相手にされました(もちろん、苛めはしません)。「青蛙」は美しさで、そして「ウシガエル」はその大きさで、皆の尊敬を得ていました。学校で「カエル」が出てくる物語などを読めば、即、本物にも感情移入してしまいます。それが子供の強さでしょうか。「カエル」の気持ちなどを、我が事のように考えるのです。
物語に登場してくるものには、人と動物や植物の区別がありません。人と同じように怒り、泣き、喜び、謳うのです。この「カエル」は、今、どんな気持ちなのかしらん、何を考えているのかりらんと思って、彼らの顔を見つめてしまうのです。当然のことながら、いくら見つめても、何にも言ってくれませんし、心の片鱗を覗かせてもくれないのです。で、結局はそばにあった「ギシギシ」などで、彼らの顔をからかうように触ると、いやだなあといったふうで逃げていくのです。この顔が見たくてそんなことをしてしまうのですが。
「カタバミ」から、思わず昔のことを思い出してしまいました。「考える」というのは、結局は「感じよう」とする気持ちのことなのでしょう。それが原始の「考える」であるような気がするのです。どちらかというと、ドイツ人などとは違い、日本人には、こちらの方が似つかわしいような気がしています。
さて、学校です。
先週の金曜日、ベトナム人の学生が、友だちを一人連れてきました。アルバイト先の友だちだと言います。日本に来たばかりで日本語が全然わからないから、四月から「初級クラス」で勉強したいと言っているというのです。「では、今日はこの教室にいて、しばらく、耳慣らしをしてごらん」と、教室に座らせておいたのですが、飽きたのでしょうね、途中で「手続きをして、それから四月に来る」と言って帰っていきました。家族ビザのようでしたから、続くかなとも思います。
そして、4時45分に授業を終え、後片付けをしていますと、去年の卒業生が階段の下の方から「先生。もう終わりましたか」と声をかけながら上がってきました。「先生。会いたかったよ」と言いながら追いかけてきますので、ついつい習慣で、「私も会いたかったよう」と言いながら逃げてしまいます。どうも彼女の顔を見てしまいますとと、すぐに2年前の自分に戻ってしまいます。そういえば、以前、よくこうやって追いかけてきましたっけ。そしてそのたびに、私の方でも「来るな、来るな」と言いながら逃げていたものでした。まあ、そう言いながらも、後片付けを手伝ってくれます。
彼女は、大津波が来た時には、韓国にいたのだそうです。大学の試験が終わると、韓国にいた両親に呼ばれてすぐに、韓国へ行き、そこで一ヶ月ほど滞在していたのだそうです。
「大学の勉強が気になったし、早く日本へ戻りたかったけれど、両親がもう少し、もう少しと言うので、帰るのが遅くなってしまった。けれども、日本に戻って連絡を取ってみると、大学は五月からと言う。とても寂しい。私はこの大学で勉強するのが大好きだから」と、言うのです。
で、今は何をしているのかと聞くと、
「横浜の部屋に一人でいるのは寂しいから、東京の友だちの所へ行って、二人で暮らしている。今、しているのはアルバイトだけ。アルバイトは毎日している。けれど、アルバイトだけの暮らしは嫌だ。大学、友だち、そして、アルバイトの三つがあるから、楽しいのであって、アルバイトだけの暮らしは退屈でつまらない」。
「そう。(ふむふむ、ということは、ここに退屈しのぎに来たな)アルバイト先の人はみんな自分の国に帰っていた?」と聞くと、
「私のアルバイト先は、みんな日本人だから、同じ、いる。いつも通りにアルバイトをしている」。
そして、
「先生、どこかに行こうよ。この学校にいる時は、いつも学校でいろいろな所へ連れて行ってくれたでしょう。また行こうよ。同じ大学の留学生にいくらそのことを話しても、だれも信じてくれないのよ。日本語学校がいろいろな所へ連れて行ってくれて、しかも楽しかったなんて、だれも信じてくれないの。またこの学校に戻って、いろいろな所へ行きたい」
「(ふむふむ、今、どこも行けないな)へええ。そう」
それで、インターネットで「東京の庭園」を見せ、探索の仕方を教えます。
「友だちと行ってごらん。一人ではだめでも、友だちと行ってみるといいよ。日本はこれからがきれいになるから」
日本に残っている彼らが、冬から春へと、どんどん美しく姿を変えていく日本の自然を見ることは、今、とても大切なことであるような気がします。もちろん、これは彼らだけではありません。私たちにとってもそうです。結局、生きる力というのは、その土地の自然からでしか、得られないのではありますまいか。
日々是好日
学校の台所に花を散らせた鉢植えが置いてあるのですが、その土の中から、ニョキニョキと顔を覗かせ始めたものがあります。いわゆる、生命力の強い雑草です。記者の問いに「雑草などという草はない」と答えたという植物学者としての面目を躍如させた昭和天皇の言葉がありましたが、この雑草も、名前はあり、多分「カタバミ」というのでしょう。
「カタバミ」は種類が多いので、私には正確な名前はわかりませんが、子供のころの私にとっては、便利な「おもちゃ」でした。大体どこにでも生えているのです。これを土から引き抜いて、その中から一本を選び出し(丈夫そうにみえるものを選ぶのです。切れたら終わりですから)、上の三つ葉を相手の三つ葉と絡ませて「引っぱりあいっこ」をするのです。時々、本当に強いものがあります。ぷつんと切れたら負けです。それで、また別のを捜します。切れたら捜しを繰り返し、別の遊びが見つかるまでそんなことを続けたりしていたものでした。
当時は、今のように機械とか高価なものは普通に売られていませんでしたから、身近にあるものが、遊び道具にされていました。近くの用水路から紛れ込んできた「カエル」なども、格好の遊び相手にされました(もちろん、苛めはしません)。「青蛙」は美しさで、そして「ウシガエル」はその大きさで、皆の尊敬を得ていました。学校で「カエル」が出てくる物語などを読めば、即、本物にも感情移入してしまいます。それが子供の強さでしょうか。「カエル」の気持ちなどを、我が事のように考えるのです。
物語に登場してくるものには、人と動物や植物の区別がありません。人と同じように怒り、泣き、喜び、謳うのです。この「カエル」は、今、どんな気持ちなのかしらん、何を考えているのかりらんと思って、彼らの顔を見つめてしまうのです。当然のことながら、いくら見つめても、何にも言ってくれませんし、心の片鱗を覗かせてもくれないのです。で、結局はそばにあった「ギシギシ」などで、彼らの顔をからかうように触ると、いやだなあといったふうで逃げていくのです。この顔が見たくてそんなことをしてしまうのですが。
「カタバミ」から、思わず昔のことを思い出してしまいました。「考える」というのは、結局は「感じよう」とする気持ちのことなのでしょう。それが原始の「考える」であるような気がするのです。どちらかというと、ドイツ人などとは違い、日本人には、こちらの方が似つかわしいような気がしています。
さて、学校です。
先週の金曜日、ベトナム人の学生が、友だちを一人連れてきました。アルバイト先の友だちだと言います。日本に来たばかりで日本語が全然わからないから、四月から「初級クラス」で勉強したいと言っているというのです。「では、今日はこの教室にいて、しばらく、耳慣らしをしてごらん」と、教室に座らせておいたのですが、飽きたのでしょうね、途中で「手続きをして、それから四月に来る」と言って帰っていきました。家族ビザのようでしたから、続くかなとも思います。
そして、4時45分に授業を終え、後片付けをしていますと、去年の卒業生が階段の下の方から「先生。もう終わりましたか」と声をかけながら上がってきました。「先生。会いたかったよ」と言いながら追いかけてきますので、ついつい習慣で、「私も会いたかったよう」と言いながら逃げてしまいます。どうも彼女の顔を見てしまいますとと、すぐに2年前の自分に戻ってしまいます。そういえば、以前、よくこうやって追いかけてきましたっけ。そしてそのたびに、私の方でも「来るな、来るな」と言いながら逃げていたものでした。まあ、そう言いながらも、後片付けを手伝ってくれます。
彼女は、大津波が来た時には、韓国にいたのだそうです。大学の試験が終わると、韓国にいた両親に呼ばれてすぐに、韓国へ行き、そこで一ヶ月ほど滞在していたのだそうです。
「大学の勉強が気になったし、早く日本へ戻りたかったけれど、両親がもう少し、もう少しと言うので、帰るのが遅くなってしまった。けれども、日本に戻って連絡を取ってみると、大学は五月からと言う。とても寂しい。私はこの大学で勉強するのが大好きだから」と、言うのです。
で、今は何をしているのかと聞くと、
「横浜の部屋に一人でいるのは寂しいから、東京の友だちの所へ行って、二人で暮らしている。今、しているのはアルバイトだけ。アルバイトは毎日している。けれど、アルバイトだけの暮らしは嫌だ。大学、友だち、そして、アルバイトの三つがあるから、楽しいのであって、アルバイトだけの暮らしは退屈でつまらない」。
「そう。(ふむふむ、ということは、ここに退屈しのぎに来たな)アルバイト先の人はみんな自分の国に帰っていた?」と聞くと、
「私のアルバイト先は、みんな日本人だから、同じ、いる。いつも通りにアルバイトをしている」。
そして、
「先生、どこかに行こうよ。この学校にいる時は、いつも学校でいろいろな所へ連れて行ってくれたでしょう。また行こうよ。同じ大学の留学生にいくらそのことを話しても、だれも信じてくれないのよ。日本語学校がいろいろな所へ連れて行ってくれて、しかも楽しかったなんて、だれも信じてくれないの。またこの学校に戻って、いろいろな所へ行きたい」
「(ふむふむ、今、どこも行けないな)へええ。そう」
それで、インターネットで「東京の庭園」を見せ、探索の仕方を教えます。
「友だちと行ってごらん。一人ではだめでも、友だちと行ってみるといいよ。日本はこれからがきれいになるから」
日本に残っている彼らが、冬から春へと、どんどん美しく姿を変えていく日本の自然を見ることは、今、とても大切なことであるような気がします。もちろん、これは彼らだけではありません。私たちにとってもそうです。結局、生きる力というのは、その土地の自然からでしか、得られないのではありますまいか。
日々是好日