日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「春期補講終了」。「四月の花見」。「春の訪い」。

2011-03-31 08:32:12 | 日本語の授業
 晴れ。風もありません。

 近くの煙突から、真っ白い煙がゆるゆると上っています。上っていくに連れ、白さを濃くし、そして上の方で、だんだんと薄く広がり、空の青に溶けていきます。下と上が見えなくて、ポワッと浮かんでいるような不思議な煙。近くの白雲と見紛うばかり。のどかな春です。

 さて、今日で、三月も終わります。 春期の補講も今日で終わりです。次に、学生たちと会うのは、4月11日の朝、九時です。この日は、入学式も兼ねて、お花見に行く予定です。集合時間は朝の九時。できれば九時半には、学校を出て電車に乗りたいものです。とはいえ(晴れだったら、お花見)、雨だったら…授業になるのでしょうか。

 もっとも、私は雨の日の桜も、捨てがたいのです。もちろん、青空に、白に赤に、ピンクにと、際だって見える桜も、見事なのですが。

 桜の花は、「咲いてよし、散ってよし。花筏となって浮かぶもよし、風に舞うもよし」と「よしよし尽くめ」なのですが、葉も花に劣らず、「よしよし尽くめ」なのです。

 花を落としたあとの柔らかい緑だけでなく、秋には、紅葉まで見せてくれるのですから。しかも、この紅葉たるや、色自体が尖っていないのです。花とおなじように、やさしく、優美なのです。

 そうは言いましても、今年の春は、例年のようにはいきません。春の訪いが、目にも見え、香りとなって漂ってきていても、それに酔いきれない自分がいるのです。「いつも通りの暮らしをすること。それが日本復興への足がかりとなる」ということが、わかっていても…なのです。おそらく、日本人は皆そうでしょう。心の中に、どこかしら虚ろな部分があって、それがそういう自分を見つめているのです。その虚ろなものに、まだだれも名前を付けられないでいます。

 本来ならば、春の兆しを見いだすたびに、心もときめいてくるはずなのに、初春という言葉を聞いただけでも…です。それなのに、この弥生という月には災害や事件がつきまとって感じられてくるのです。社会や、生き方の、変化の兆しを知らせる月でもあるのでしょうか。

 街には、今、春の草花が至る所に咲いています。それぞれが、いつも通りに、「春だよ。春だよ。私を見て。私を見て」と、背伸びをしながら、さんざめいています。「ホトケノザ(仏の座)」が揺れています。「オドリコソウ(踊子草)」も、風にのって踊っています。深い紫の「スミレ(菫)」も咲き、垣根から「スノードロップ」が顔を覗かせています。

 「春だ。春だ」と、とにかく、自分で自分に言い聞かせておかなければなりません。そうでなければ、春はこのまま、どこかに行ってしまうかもしれません。

 今年は、どこかしら、そういう怖さも感じられるのです。

日々是好日
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