日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「今は、信じて、静かに待つだけ」。

2011-03-25 09:43:11 | 日本語の授業
 今朝は快晴です。冬の厳しさが和らいできたというのがよくわかります。被災地では雪が降るような日でも、東京湾の近くでは、ゆったりと春が近づいているのです。今年の春はどうも歩みがそれほど速くないような気がします。桜が咲き始めるのは、四月になってからかもしれません。

 チチチチチチと雀が鳴いています。小雀がえさをねだる、あのときの声のようにも聞こえます。羽を膨らませて、精一杯それを揺するのです。多分、親雀は、小雀の、こういう姿を見ると、どうにも切なくなって、何でもあげてしまいたくなってしまうのでしょう。あの憎たらしいカラスでさえ、子供の姿はかわいらしげに見えていましたもの。

 街はまだ静まりかえっています。止まっているかのような、こういう感じは怖いですね。早くお向かいでマンション工事が始まらないかとさえ思ってしまいます。人がいれば生活音が聞こえてくるのは当たり前。時には煩わしくなるその騒音でさえ、懐かしくなる時があるのです。

 日本の河川は狭く、浅く、流れは急です。瞬時に人間界の塵埃を流し去ってしまいます。ところが、人の心はそうはいきません。「忘れる」という「作業」には、いくつもの手順が必要です。それがなければ、なかなかこの「作業」は進まないのです。その上、「忘れた」かに見えていても、心の奥底でしっかりとその「記憶」は溜められていますから、その琴線を揺らすものが出現しようものなら、あっという間に、全ては蘇ってしまいます。

 目の前から消え去っていても、まるで昨日のことのように思い浮かべ、また感じることもできるのです。そして、その中で、生きることさえできるのですから、人というものは、本当に摩訶不思議な生き物です。

 さて、学校です。
「Dクラス」のフィリピン人学生が、一人、電話をよこしたとのこと(実は彼には、春休み中も、できれば毎日学校へ来て、初級の学生たちと一緒に「補講」を受けるように言っていました)。

「アルバイトの予定がたくさん入ってきていて、学校に行けません。ごめんなさい。でも、うちで勉強がんばります」という内容だったようですが。後半は…ちょっと信じられませんね。夏休みの時がああでしたもの。

 地震・津波・原子力発電所の事故と立て続けに起こったせいでしょう。恐怖感に駆られて、多くの中国人が帰ったようです。彼らが去ったあと(なんと言っても、日本へ来ていた中国人の数は多かったので、それまで彼らがいた)アルバイト先では人を確保するのが大変で、その分、残った学生たちの出番が増えたということなのでしょう。そういえば、進学して、大学のそばに引っ越した中国人学生が、「すぐにアルバイトが見つかった。日曜日に面接です。面接が終わったらすぐ働いてと言われています」と報告してくれましたっけ。

 入管もものすごい人であったと聞きましたから。もっとも、ちょうどビザの更新時期と重なったということも関係あったでしょうが。

 日本語学校の中には、万一を考えて、『再入国ビザ』を取らせなかった所もあると聞いています。ちょうどビザの期限がきたからということなのでしょう。ただ、私たちの学校では、「もう、戻らない」と言って帰った学生にも、「再入国ビザ」を申請させました。彼らは、ずっとこの一年間、大学へ入るために頑張ってきたのです。このまま帰らせてしまうのはいかにも残念です。かといって、親が帰ってこいというのに、帰らないわけにはいかない(というのが、彼らの限界なのかもしれません。すでに経済的には自立しているのに、それが通用しないようなのです)らしいのです。とはいえ、帰国すれば、自分の国の有様がよくわかるでしょう。日本へ来るまでは見えなかった部分も見えるでしょうから。その時、(日本へ戻るか戻らないかを)決めても遅くないと思うのです。このままの状態で、日本にいても、体と心は二つに分かれてしまうでしょうから。

 一人の学生がこんなことを言っていました。
「学校で勉強していたり、アルバイトをしていたりすると、日本人がいつもと同じように生活していることがよくわかる。ああ、このままでいいのかなと思う。けれども、家に戻ってくると、国の家族や友人から、やんややんやと電話がかかってきて、不安になる。本当に、どうしていいのかわからない。」

 多分、これは彼らの国の現状や、やり方と関係があるのでしょう。彼らの国では、こういう事故が起こっても、データも何も発表されないでしょうし、また国民の方でも、政府が発表したものを信じないでしょうから。それに、わかりやすく説明もしてくれないでしょう。そういうわけで、結局、みんな、誰彼による口コミで動いてしまうのです。

 つまり、日本という国にいるにもかかわらず、(彼らの国にいる人達は、当然、自分の国と同じようにしか考えられませんから)それと同じように、してしまうのです。日本と彼らの国では、こういう点でのレベルが違うのです。それに、日本語がよく話せないし、聞き取れない人は、せっかくのデータも(知識がないことにより)誤解してしまうでしょうから。

 こういう時、発表される「単位」一つとってみても、そうです。私たちだって、数字の後ろにくっついている「単位」が、初めのころは、何のことか、どの程度のものなのか、よくわかりませんでした。けれども、大衆が戸惑っているなと見て取った、ニュースの解説者が、素人でもわかるように、嚙み砕いた説明を加えてくれたのです。当然のことながら、専門的なことはわかりません。けれども、それは専門家や解説者が考えてくれるはずです(当然ですが、信頼関係ができあがっていなければ、だれも信じませんし、私だってこうは言いません)。

 もし、もっと詳しく知りたいなら、専門書も多く出版されていますし(中には初歩から説明を加えたものもあるでしょう)、インターネットで調べることもできます。けれども、人々は、日々の生活に忙しく、そこまで徹底的に調べようという人はあまりいないでしょうから、この単位で、この程度の値であれば、恐れる必要はないのだということが、素人なりにわかればいいのです。それなりに納得できれば、心も騒がしくなりません。

 また、いろいろな場所で、検査が行われ、その都度、発表されています。
今現在、恐れなければならないことと、一年か二年続くようであったら、恐れなければならないこと。また、乳幼児や成長期の人達と、既に成長期が終わった人達が恐れなければならないことが違うということ。こういうことを少しずつも学んでいます。

 たとえ牛歩の歩みであっても、学んでいくことによって、人々の心の不安は少しずつ取り除かれています。もちろん、みんな、不安は不安です。怖いなと思っています。とはいえ、その道の専門家達が、今、一生懸命に頑張ってくれているのです。私たちが、デマに踊らされたり、恐怖心に駆られてとんでもない行動をしてしまう方がよほど怖いのです。そんなことをしてしまうと、せっかく、必死に作業に臨んでいる人達の心まで乱れてさせてしまいます。

 今はただ、作業が一日でも速く安全に進みますように、そして、被災した方々が、少しでも速く、前向きに生きていくことができますようにと、祈るばかりです。

日々是好日
コメント
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