日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「柳あをめる」。「引っ越し前日、大掃除」。

2011-03-30 09:36:55 | 日本語の授業
 今朝は、ぼんやりとした陽に包まれています。夕方から雨、所により雷とのことでした。ここでも雷様が暴れるのでしょうか。地上ではポカポカ陽気だいうのに、天上では不安定で、荒れ気味なのかもしれません。

 近くの小学校では、校庭の柳の木が芽吹き始めました。きれいな黄緑の玉を見せてくれています。

「やはらかに 柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」 (石川啄木)

 詩人歌人を多く輩出した、この北上川にも津波は押し寄せ、十五㌔以上も遡上したそうです。そんなところで津波に遭うなど、だれも考えもしなかったでしょうに。

 東北は至る所で「風景」が変わりました。それがはっきりと人々の記憶に刻まれるにはまだまだ多くの「時」が必要でしょう。なんと言いましても、「風景」は人々の心の中で作り上げられていくもの。「生活」あっての「風景」なのですら。人々の存在しない、人間なんぞを拒否している「大自然」ではありません。

 人は、ある時は、人間を拒否している「自然」に心を惹かれます。阿らないからとか、共存なんぞ言わないからというより、人間と係わっていない、ただ存在しているだけというところに惹かれるのでしょう。

 以前、ある人が、「私は海が好きだ」と言いました。私は、その人は「海を『風景』として捉えている」と思いました。私にとっての海は「自然」としての存在です。だから畏怖はしても、あまり近づきたいとは思えないのです。もちろん、見れば、美しいとも思いますし、海の豊かさや広がりに、心が晴れ晴れとすることもあります。けれども、私にとって、海は、「好き」とか「嫌い」とかの対象ではないのです。

 夜、海の宿に泊まったことがあります。波が「ドカーン、ドカーン」と一晩中吠えていました。寝られたものではありません。夜の海は、砂浜をも含めて、どこまでも黒いのです。黒い水がどこまでも広がっていて、そして、音がしない時には、ジワジワとネットリと浸みるように近寄ってくるのです。

 さて、学校です。
 昨日は、寮の二部屋で大掃除でした。大掃除と言いましても、二段ベッドやラックなどを入れるための場所を空けるだけ…と、最初は皆(教員は)思っていました。ところが、一部屋では、それどころではない…状態でした。

 と言いましても、この部屋の住人のうち、一人は不在、一人はアルバイトというわけで、大掃除に参加できた、(正規の)住人はたった一人だけです。なぜか、女の子が二人(同国人)、手伝ってくれましたけれども。

 彼らも、最初の頃は(アルバイトを始める前には)、きれいに部屋を使っていたのですが、いざアルバイトが始まってしまうと、アルバイトと学校の勉強でもうアップアップになってしまい、足の踏み場もないような状態に、(部屋を)してしまったのです。

 「日本の家屋には、靴を履いて上がらない」という鉄則が、どうも守れないのです。わかっていても、ついついいい加減になってしまうのでしょう。入り口から台所にかけてが、だめ。汚い。靴と食べ物が共存しています。しかも、タンスに服をしまうとか、百円ショップの小物を利用するとかいった知恵に欠けているようなのです、置物化していましたから。カラーボックスも本来の機能を失い、何が何だかわからなくなっています。

 そこで、まず、整理、整理。ゴミを出し、掃除機をかけ、床を拭く…。その間に、女の子が食器や鍋を洗っていました(そこで一言。「いいですか。日本では、汚した人が洗います。女の子がしなければならないという決まりはありません」。彼女は笑っていましたけれども、本当です)

 結局、一人、残っていた学生は、さんざん叱られ、あっちこっちと掃除させられ、ヒイヒイ言っていました。が、終わって、私たちが帰ろうとすると、「先生、ごちそうさまでした(本当は、『お疲れ様でした』か、『ご苦労様でした』と言いたかったのでしょう。なにせ、『一月生』ですからね、会話はまだまだ)。先生、お腹すいたでしょう。私が御飯作ります。食べてください」

 もっとも、「そんなことはしなくていいでしょう。それよりも、まだ片付いていない分を片付けなさい」と反対に叱られていましたが。

 このベトナム人学生は、何でも「見たい、知りたい」と好奇心に溢れています。多分、勉強はそれなりにやってくれるでしょう。ただ、「一月生」であると言うことから来る時間の問題(来日後一年経たないうちに、留学生試験を受けなければならない)を乗り越えることができるかどうか、また、どこまでアルバイトをしながら、勉強に頑張っていけるか…は、まだわかりませんが。

 そして、もう一部屋です。ここは内モンゴルの学生が卒業、ないし、引きあげたので、今、一人残っているだけです。彼女に「これはだれの?だれが置いていったの?」と聞きながら、どんどん片付けたり、捨てたりしていきます(食べ物は、残しておけません。腐ってしまいます。そうなる前に捨ててしまいます)。だいたい、置くなら置くで、まとめておけばいいのに。日本では捨てるのにもお金がかかるのです。それ以外は、場所を決め、そこに放り込んでいきます。

 ただ、ベトナム人学生の部屋とは違い、この内モンゴルから来た学生は働き者ですから、どんどん、はかがいきます。

 ところで、明日、ベトナムから、もう一人新入生が来ます。四月二日には内モンゴルから二人、その前後にモンゴル国から二人来る予定だと言います。フィリピンとインドの学生はビザの手続き待ちです。うまく11日の花見に間に合うといいのですが。

日々是好日
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「東京の桜の開花」。「動か... | トップ | 「春期補講終了」。「四月の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本語の授業」カテゴリの最新記事