遠くの煙突から、ゆったりと真っ白な煙が流れています。ここにいれば、同じ日本で地震があり、それによる津波によって多くの人が訳も分からぬうちに流され、死に至らしめられたということが、夢のように感じられます。
一昨日、土日と、(地震の時は)そんなものかとでも思っていたのでしょうか、学生の一人が、寮にガスが来ていないと言い出しました。それで、一緒に寮に見に行ったのですが(これは地震時の安全装置が作動して、単にガスが切られていたに過ぎず、ボタンを押せばすぐに回復するだけのことだったのです)、その途中、
学生が、
「先生、いいにおいでしょう」
「……」
驚いて、あたりを見回すと、確かに畑の中に数十本の白梅の樹が植えられています。しかも、折しも満開の時を迎え、香ばしい香りを放っていたのです。
「先生、このあたりはね、夏になると、もっといい香りがするのよ。何の花か分からないけれど、とってもいい香りなの。朝はね、ああ、いい香りだなあって思いながら学校に行くの」
と、およそ、こういう時には信じられないほどの話を、のんびりと話しかけてきます。
彼女は内モンゴルから来ているのです。彼らの国から見れば、水が豊かで、放って置いても、いや、放って置きさえすれば、草花に満ち、木々におおわれるという国の自然が、却って(日本人よりも)体中で感じられるのかもしれません。
日本人にとっては当たり前、そうでなければ、それこそ問題だという、この自然も、彼女からすれば、小さな驚きであり、その驚きを、精一杯、小さな胸に味わっているのかもしれません。
女子寮にしているマンションは何の問題もなく、どうして日本の建物はこんなに丈夫なのだと彼女らに言わしめるくらいでしたから、心にも余裕があったのでしょう。
日本は、特に東京は、江戸期から次々と海を埋め立てて土地を広げてきました。(日本の)中心(東西に長く伸びたその中心です)は、2000メートル級の山々が背骨のように連なり、平地が少ないのです。それで、埋め立てては、その地に家を建て、ビルを建て、工場を造りしてきました。
千葉県においても、埋め立て地に建てられていた建物は、大なり小なり、被害を被っています。ところが、蓮畑を埋め立て、建てられていた建物は、一軒家であろうとビルであろうと無事だったのです。
海を埋め立て、その地に建物を建てる時の理屈はよく分かりませんが、軟らかい地盤にビルを建てる場合の理屈は、今、少しずつわかり始めています。
何となれば、お向かいで、それを、今、行っているからです。毎日のように、少しずつ目にすることができるその過程は、まどろっこしいほどゆっくりしたものです。けれど、こういう過程は確かに必要なのでしょう。こういう地震を経験してしまえば、その必要性もわかります。専門職の会社も、もう三つ目か四つ目でしょう。仕事の種類が変わる毎に専門家集団が変わっていくのです。
最初解体する時も、長い長い、何十㍍もあるドラム缶のようなものを、十数本も大地から掘り出していました。学生達と一緒に、「あれは、一体全体、何であるか」とばかりによく覗き込んでいたものでしたが、今となっては、「なるほど。だから堅牢なのであったな」と合点がいくのです。
その後も、前は5階建てであったものを、7階建てにするそうで、そのための基礎工事は延々と続いています。今度は、二十数本も埋め込み、しかも下の固い岩盤に至るまで深く深く入れていくのだそうですから、簡単には終了しないのです。
陽が射してきました。関東大震災、そして東京大空襲。東京一つをとっても、日本は20世紀に入ってから、壊滅的な打撃を二度も受けてきました。各都市も皆同じです。そして、そのたびに復興を遂げてきました。
この力こそが、この地の原動力であると思います。そして、この地に住む人々の力であると思います。
それに、この力というのは、おそらく、世界中、どこにも、あると思うのです。誰であろうと、自分が生まれ、育った国に対する気持ちは同じでしょうから。
日々是好日
一昨日、土日と、(地震の時は)そんなものかとでも思っていたのでしょうか、学生の一人が、寮にガスが来ていないと言い出しました。それで、一緒に寮に見に行ったのですが(これは地震時の安全装置が作動して、単にガスが切られていたに過ぎず、ボタンを押せばすぐに回復するだけのことだったのです)、その途中、
学生が、
「先生、いいにおいでしょう」
「……」
驚いて、あたりを見回すと、確かに畑の中に数十本の白梅の樹が植えられています。しかも、折しも満開の時を迎え、香ばしい香りを放っていたのです。
「先生、このあたりはね、夏になると、もっといい香りがするのよ。何の花か分からないけれど、とってもいい香りなの。朝はね、ああ、いい香りだなあって思いながら学校に行くの」
と、およそ、こういう時には信じられないほどの話を、のんびりと話しかけてきます。
彼女は内モンゴルから来ているのです。彼らの国から見れば、水が豊かで、放って置いても、いや、放って置きさえすれば、草花に満ち、木々におおわれるという国の自然が、却って(日本人よりも)体中で感じられるのかもしれません。
日本人にとっては当たり前、そうでなければ、それこそ問題だという、この自然も、彼女からすれば、小さな驚きであり、その驚きを、精一杯、小さな胸に味わっているのかもしれません。
女子寮にしているマンションは何の問題もなく、どうして日本の建物はこんなに丈夫なのだと彼女らに言わしめるくらいでしたから、心にも余裕があったのでしょう。
日本は、特に東京は、江戸期から次々と海を埋め立てて土地を広げてきました。(日本の)中心(東西に長く伸びたその中心です)は、2000メートル級の山々が背骨のように連なり、平地が少ないのです。それで、埋め立てては、その地に家を建て、ビルを建て、工場を造りしてきました。
千葉県においても、埋め立て地に建てられていた建物は、大なり小なり、被害を被っています。ところが、蓮畑を埋め立て、建てられていた建物は、一軒家であろうとビルであろうと無事だったのです。
海を埋め立て、その地に建物を建てる時の理屈はよく分かりませんが、軟らかい地盤にビルを建てる場合の理屈は、今、少しずつわかり始めています。
何となれば、お向かいで、それを、今、行っているからです。毎日のように、少しずつ目にすることができるその過程は、まどろっこしいほどゆっくりしたものです。けれど、こういう過程は確かに必要なのでしょう。こういう地震を経験してしまえば、その必要性もわかります。専門職の会社も、もう三つ目か四つ目でしょう。仕事の種類が変わる毎に専門家集団が変わっていくのです。
最初解体する時も、長い長い、何十㍍もあるドラム缶のようなものを、十数本も大地から掘り出していました。学生達と一緒に、「あれは、一体全体、何であるか」とばかりによく覗き込んでいたものでしたが、今となっては、「なるほど。だから堅牢なのであったな」と合点がいくのです。
その後も、前は5階建てであったものを、7階建てにするそうで、そのための基礎工事は延々と続いています。今度は、二十数本も埋め込み、しかも下の固い岩盤に至るまで深く深く入れていくのだそうですから、簡単には終了しないのです。
陽が射してきました。関東大震災、そして東京大空襲。東京一つをとっても、日本は20世紀に入ってから、壊滅的な打撃を二度も受けてきました。各都市も皆同じです。そして、そのたびに復興を遂げてきました。
この力こそが、この地の原動力であると思います。そして、この地に住む人々の力であると思います。
それに、この力というのは、おそらく、世界中、どこにも、あると思うのです。誰であろうと、自分が生まれ、育った国に対する気持ちは同じでしょうから。
日々是好日