日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「積雪」。「卒業文集」。

2011-03-08 08:16:54 | 日本語の授業
 だんだん陽が射してきました。昨日はまさかの雪で、しかも、みるみる積もっていき、学生達はびっくり。けれども、余裕がありました。帰りはどうしようなんて言えるくらいでしたから。ここ数年、雪らしい雪が降っていなかったのです。霰とか霙とかは時折厳しい寒さと共にやってきてはいましたが。この冬のように(残念なことに、その日のうちにほとんどはとけてしまったのですが)、積もるほどの「忘れ雪」は久しぶりでした。

 とはいえ、たしか、昨年の予報では、暖冬ではなかったかしらん。今年度は、夏暑く、冬寒いという、いわば、至極当然の季節を過ごしたことになるのでしょうか。もっとも夏はかなり暑すぎたという気もしないことはないのですが。それに、なんといっても暑さのせいでなくなった方もいらしたくらいですから。

 冬は大雪のせいで、家が潰され、夏は暑さのせいで熱中症になり…。もしかしたら、これは、今までのような穏やかな「日本の四季」ではなく、日本でも、「暑」と「寒」がきわめて明瞭にやってくる、最初の年になるのかもしれません。

 さて、卒業式を控え、「卒業文集」の印刷が始まっています。それと同時に、未提出(原稿)の学生に号令がかかります。昨日は一人職員室で、シコシコと清書をしていました。ところが、彼女には残されているとかいう感覚がないようで(彼女だけではなく、ほとんどの学生がそうなのですが、職員室で書いたりするのが嫌ではないようなのです)、清書しながら、在室の教員達と楽しそうにおしゃべりをしています。

 もっとも、時々、「おしゃべりはいいから書きなさい」と活を入れられていましたが。その楽しさのあまりでしょうか、大切なものが帰り際にないことに気づき、大騒ぎ。結局、既にコピーは取ってあるから、大丈夫。多分見つかるだろうということで帰しはしましたが。職員室で書かせるのも、ある意味では、考えものなのかもしれません。

 特に二月、三月は、職員室の机の上には様々なものが置かれています。昨日はアルバムやら、印刷された原稿やらが所狭しと並べられていましたし。ただ、理屈では判っていても、自分一人でできるような学生だったら、こんなぎりぎりまで提出しないということはないので、どうしても見ているところで書かせるということになってしまうのですが。

日々是好日
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「花粉症」。「『脇の下がくすぐったい』のは、変?」。

2011-03-07 08:42:15 | 日本語の授業
 今朝は雨です。日中も気温が上がらず、真冬のような寒さだとか。昨日が暖かかっただけに、(学生達は)今朝の寒さが応えるでしょう。遅れてくる学生も出てきそうです。

 早速、八時少し前に、学生から電話がかかってきました。「先生、私の花粉症はひどいです。寝る時は少しくしゃみが出るだけだったけれども、三時頃からくしゃみが続いて眠れませんでした。今、起きましたから、(学校には)少し遅れると思います」

 聞くと、内科に行って、耳鼻科には行っていないとのこと。薬が合わなかったかもしれないから、雨が上がってから、耳鼻科の方に行ってみるように言って、(電話は)切りましたが。

 どうも学生の話を聞いたり、様子を見たりしていますと、他の国の人達に比べて、タイから来た人達の方が、花粉症にかかる率が高いような…気がしているのですが。もっとも、これも、この学校に来てる人達から受ける印象程度のものなので、確かなものかどうかと言われると、ちょっと困ってしまうのですが。

 そういえば先日、中国のモンゴル族の学生が、(私の)脇の下をくすぐろうとするのです。思わず「こら、こら。何をする」と言いますと、「先生もくすぐったい?」と、さもしてやったりとばかりに言ったのです。そして、「アルバイト先の人が、そんなところをくすぐったがっていた。自分達はそんなところ、くすぐったくも何ともない。不思議だ。なぜ日本人はそんなところがくすぐったいのだ」と不審に思ったらしいのです。

 そういうわけで、私に試してみて、同じようにくすぐったがったので、思わず面白くなったというわけなのです。そして、彼ら(内モンゴルから来ている数人の学生達)に、「ねえ、何ともないよねえ」と問いかけ、当然のことながら(?)、お互いに「そうだ。それが普通だ。日本人は変」と、納得し合っているのです。

 いったい、「どっちが変なのだ」と、日本人の私から見れば、そう言いたいくらいのことなのですが、教室の中では、日本人は私一人、おまけに授業も終わってしまっているとなれば、(私に賛成してくれそうな)他国の学生もいません。少数意見は切り捨てられてしまうのです。

 普通、日本人は脇の下をくすぐったがるのが『普通の人の感覚』で、そうでない人の方が、変なのです。けれども、これとても、そうでない人の方が多ければ、この『日本人の常識』は通じません。とはいえ、大体どこの国の人でも、脇の下はくすぐったい…ものじゃないのでしょうか。

日々是好日
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「『ひな祭り』にて」。

2011-03-04 08:56:13 | 日本語の授業
 今日も快晴です。しかも、空の青が、昨日よりも少し青みが勝って見えます。

 さて、昨日は「ひな祭り」でした。「ひな祭り」の説明と「ひな祭り」の歌を歌った後は、みんなで「お内裏様」と「おひな様」を色紙で作っていきます。

 これが例年ですと、すっとぼけた学生が何人かいて、まだ(作業が)終わっていないのに、あちらの机、こちらの机と徘徊し始めます。その都度、追い返して(作品を)完成させたりと、教員の口や手が必要になってくるのですが、今年はそういうこともなく、いたって静かに時が過ぎていきました。

 どうも、今年の「一年生組」は、「コツコツ型」が多いようです。特別優れたというわけでもないのですが、一生懸命に作業に取り組んでいました。午後の教室も午前の教室も、しーんと静まりかえっています。途中、覗きに来た教員が、「静かですね」と戸惑うほどなのです。いつもの、わいわいがやがや、それに合間合間の大笑いがないのです。それでも、「おひな様作り」はそれなりに進んでいくのですが。

 とはいえ、静かで、作業に集中している分、速くさっさとやってしまえるかというと、それがそうでもないのです。小中学校で「図画工作」、「美術」の授業なるものを、正規に受けたことのない人が何人かいるようにも見えて、どうも、「こういうことをする」ということ自体にどこかしら途方に暮れているようなのです。

 たしかに、一昔も二昔も前の日本がそうでした。大学受験に関係のない教科は、それを専攻したいという学生以外にとっては、「邪魔っけ」なものと見なされ、情操教育が軽んじられた時代もありました。もっとも、美術系の大学や教育系の大学で美術を専攻した先生はいましたが。

 ところが、彼らを見ていると、実態(まともに勉強したことがない)は五十歩百歩なのですが、もしかしたら、きちんと教育を受けた「美術系の先生が、いなかったからではないかしらん」とも思われてくるのです。

 幼稚園における「お絵かき」や「お遊び」から始まるこういう情操教育は、ただの「暗記」や「目の前の損得」に引きずられがちなヒトを、情感ある大人に育てていく働きがあると思われるので、とても大切な教育の一部分だと思われるのですが。

 というわけで、「おひな様の顔書き」から、情操教育の一歩が始まったという人もいたようです。

日々是好日
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「青空の『青』」。「『ひな祭り』のお国振り」。

2011-03-03 08:37:12 | 日本語の授業
 今日は快晴です。柔らかな青が空一面に拡がっています。

 確かに、この色に覆われている空を、日本では、「青空」と称します。「青空」以外の何物でもないのです。けれども、砂漠地帯で見た「青空」は、こんなものではありませんでした。それこそ、アッケラカンとした、文句のつけようもないほどの、藍に近い青でした。

 あの空を見てから、日本の水色の空を、抵抗感なしには「青空」と呼べなくなってしまったのです。

 外国に行きさえしなければ、このような空であろうと、相変わらず、「青空だ」と喜んでいられたでしょうに。

 知識が増えるとか、見聞が増すとかいうのには、どこかしら悲しみが付きまといます。それによって失われる喜びが増えていくからでしょうか。

 何も知らなければ、ささやかな「幸せ」に酔う事もできるでしょう。「分を知る」ことによって守られる「幸せ」もあるのですから。知識が増え、知恵なるものが生まれていくにつれ、現状に対する不満や心のモヤモヤは、だんだんやるせなくなっていきます。

 それでも人は知恵を持ちたいと願いますし、知りたいことも減りはしません。知れば知るほど、心の柔らかさは失われ、感動を忘れていくでしょうに。

 さて、とはいえ、きょうは「ひな祭り」。女の子のお節句、「桃の節句」です。つい先だって、「豆撒き」をして盛り上がったと思っていたのに、もう一ヶ月ほども経っていたのですね。

 今日も盛り上がる事でしょう。「お内裏様」と「おひな様」を色紙で作り、それに顔を描きいれていくという作業があります。

 例年、隣の人の描いた「人形の顔」を見ては、「先生、変な顔を描いてる」「違う。変な顔じゃない」とか大騒ぎになるのですが、それもお国柄。一歩退いてみれば、確かに「インド圏の顔」であり、「ガーナ美人」なのですから。

 それに、お国柄は、顔だけではなく、着物の色合いとかにも現れてきますから、できあがりの前の色選びから、面白い。「へえ、こういう色を選ぶんだ」と日本人では考えつかないような色を選んでいきます。それは「(私たちにとって)男の色」と思っていたのが、彼らにとっては「女の色」であったりするのでしから。その上、二国間で言い合うのではなく、いくつもの国の人がそれぞれ主張をし合うのですから、始まってしまえば、そのかしましいこと、かしましいこと。

 今年は、まだ4月生が来ていませんから、今はまだ「一年生組」の方が人数が少なく、いつもよりはおとなしいであろうと思うのですが、さて、どうですかしらん。

 「Dクラス」はフィリピン人と中国人からなり、「Eクラス」はベトナム人、ネパール人、ミャンマー人、中国人、タイ人、ロシア人からなり、「Fクラス」はベトナム人、中国人、フィリピン人、タイ人からなっています。

 みんながそれぞれ、「お内裏様」や「おひな様」に、自分達の国や民族の思いを込めて、美男美女を描いていけば、色合い豊かな、七カ国分の美男美女が揃うわけです。学生達にとっても、そういうのを見ていくうちに、感性というものは、否定できないものである、正否のないものであるということが少しずつ判っていくでしょうから、これもまた教育的効果がある、一つの活動になるのでしょう。

 先日、課外活動の時に、駅に飾られていた七段飾りの「ひな人形」を見て、「二年生グループ」の一人が、「去年、作ったものね。私たちも」。「あれ、まだ持っている」。「国に送りました」。

 もしかしたら、今年も、海を越える「お内裏様」と「おひな様」が出てくるのかもしれません。お国のご両親はどのような思いで、この人形を見ているのでしょうか。

日々是好日
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「『メジロ』と『ヒヨドリ』」。「『人を紹介する』ということ」。

2011-03-02 08:57:40 | 日本語の授業
 空は灰白色、煙と同じ色です。街もくすんで見えます。

 先日、小さな鉢植えの「ツバキ(椿)」を、ベランダに出して陽に当てていますと、どこからともなく「ヒヨドリ(鵯)」が飛んできました。この「ツバキ」というのは、小さく、しかもひょろひょろと背だけ伸びた、いわゆる「やせっぽちツバキ」で、花も二輪くらいしか、つけていません。それなのに、「ヒヨドリ」が飛んで来ようとは、全く思いがけないことでしたから、日頃の憎しみも忘れて、ちょっと嬉しくなってしまいました。

 この「ヒヨドリ」というのも、外で見ていますと、小さな小鳥たちを追い回すギャングでしかないのですが、こういう植木に止まっている姿を見ていますと、(ツバキの)枝とも言えぬ、細っこい茎が少々撓むくらいの重さでしかないのです。海鳥は別として、近在を棲み処としている鳥の中では、「カラス(烏)」の次か、その次くらいの大きさで、小鳥たちを威嚇していた、このギャング鳥でさえ、この程度の重さであることに気がついて、憎しみを抱いていたことに対して、済まぬような気さえしてきました。

 ふるさとの県鳥は、「メジロ(目白)」で、庭にミカンなどを置いておきますと(えさの乏しくなる冬だけです)、すぐにやってきて、その可憐な姿を見せてくれたものです。この「メジロ」というのは、常に群れでいますから、1羽が来ますとすぐに20羽、30羽の大集団になるのです。そしてそうなった時に、嫌がらせを始めるのが、このギャング鳥なのです。

 「メジロ」が集まったなと見て取るや否や、空を切るように飛んできて、小さな「メジロ」たちを追い回します。「メジロ」は、このギャングの三分の一か、それよりももっと小さいでしょう、たまったものではありません。たちまち平和な群れは総崩れになって、大混乱が起きてしまいます。植木の陰に隠れるもの、慌てふためいて転んでしまうもの(鳥が転ぶというのをこの時初めて見ました)、集団は崩れに崩れて、大慌てで、四方八方に逃げ回ります。これを何度も繰り返すのです。

 それで、我が家では、庭木の茂みの中とか、「ヒヨドリ」が入れないようなところにミカンを刺して入れておくようにしておくようになったのですが、そうなりますと、やはり少し寂しいですね。あの、黒目の周りだけが白い、若草色のきれいな小鳥が、ミカンを吸っている姿ほど「平和」を象徴しているものはないような気がしていたのですが。しかも、こうなりますと、もう「鳥のおとない」という感じではなくなり、ペットとえさを与える人間との関係のようで、野鳥を見て心和む(それも欺瞞でしょうが)というものではなくなります(実は当時、我が家には病人がいて、この「メジロ」の訪れを楽しみにしていたのです)。

 まあ、そういういきさつがありましたから、(「ヒヨドリ」に罪がないことは判っていても)憎しみを持ってしまっていたのです。 もちろん、「カラス」などと比べますれば、たとえ縄張りを主張して、騒いでいようとも、ずっとマシなのですが。

 さて、学校です。
 この学校は小さく、学生の何割かは、卒業生や在校生が自分の友人やら親戚やらを紹介して連れてきたという人達なのですが、ただ、時には、学生が、アルバイト先の知り合いの同国人から頼まれたとか、友達でも、また、よく知っている知り合いでも、ましてや親戚でもないという人を連れてくることがあります。

 日本語学校というのは、ある意味で「薄氷を踏まざるをえない」ようなところがあり、商売人が創っている学校ならいざ知らず、そうではない人間が創っている学校であってみれば、勉強したいという人に来てもらい、自分達のできることをしたいというだけでしょう。

 実際、教員の質(これには経験だけではなく、素質も含みます)を見ることの出来ない人が、経営しているか、あるいは中心になっているのであれば、当然のことながら、そういう人に教えてもらわざるをえない学生が不利益を被りますし、それと同じように、勉強する気のない人、あるいは勉強した経験のない人が来て、そして、その間に入っている人が日本の理屈が判らない人であり、悶着を起こせば、学校のみならず、在校生も不利益を被ります。

 実際、この学校は小さいにもかかわらず、常に十数カ国から来た人達が学んでいるのですが、留学生として、私たちが二年なり1年半なりを責任を持つとなりますと大変です。その学生達が来ている大部分の国というのは、私たちが行ったこともない国でありますし、彼らの国の言葉もわかりません。

 というわけで、(友人なり親戚なりを)呼びたいというならば、その人が日本語がある程度できていることも必要ですし、日本の事情もわかっており、学生が母国と同じような行動を取り、しかもそれが日本人にはどうしても馴染めないものであった場合に、それを説明できるだけの能力を持っていてもらわねば困るのです。

 学生の中には、簡単に知り合いだからとか友達だからと言って連れてくる場合があるのですが、「その人のことをよく知っているのか」と聞くと、そうでもなかったりするのです。

 以前、インド人の学生が、(私たちによかれと思って言ったのでしょうが)「学生を紹介したい。これこれの人だ。会ってくれ」と言ってきたことがありました。その人を知っているのかと聞くと友達の友達程度の関係なのです。「その人がもし来たとして、何かしたら、私はあなたに電話するよ」と言うと、びっくりして「私とは関係ない」と言うのです。

 「人を紹介するということは、そういうことなのだ。責任は当然出てくる。」こういうことも、少しずつ学生達に判らせておかなければなりません。日本では、「友達を見ればその人が判る」と言います。つまり、その人が紹介した人を見れば、その人のレベルが判るのです。

 数度会っただけで(その人の何も判っていないのに)、すぐに「友達だ」と触れ歩き、人に「私の友達だ」と紹介するような習慣だけは、日本では慎まなければならないと思います。

日々是好日
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「生まれ変わるとしたら」。「共に生きるということは」。

2011-03-01 08:44:54 | 日本語の授業
 昨日は、昼過ぎ頃から、氷雨が降り始めました。ほんの一瞬、雪に変わった時もあったそうですから、相当寒かったのでしょう。午後の授業が終わってから帰る時、玄関で、ロシア人学生が、「日本は寒い」と言っていましたから。「ロシアの方が寒いでしょう」と聞くと、「(ロシアは)家の中は暖かい」。まあ、それはそうでしょうけれども。

 一軒家というのは、日本でもマンションなどと比べると、ぐっと寒さは増して感じられます。(日本特有の)底冷えのする、寒さ故なのでしょう。だいたい、日本は島全体が水分が多いのです。

 今朝、それでも雨は一時的に止み、傘を差さずに学校に来ることができました。途中、春の草花は咲いていないかしらんと、キョロキョロと道端を見ながらやってきましたから、これはどう見ても怪しいどころか、胡散臭いおばさんです。それでも、まだきれいな水仙)が咲きかけているのを見てしまいますと、春にならなくてもいいのじゃないかなどと思ってしまいます。そうしているうちに、「ジンチョウゲ(沈丁花)」が七分ほども咲いているお宅を見つけました。途端に、トントントン、春の軽やかな足音が聞こえてきました。人間というものは、本当に都合よくできています。

 さて、日本人は、普通、「生まれ変わるなら、何がいい」と聞いたりします。これは小学校の頃からそうで、友達との話でも、こういうことが話題になったり、作文にも書いたりした覚えがあります。けれども、考えてみまするに、これは甚だ宗教的な話題で、輪廻思想がないところでは、問題にされてしまうのではないかと思わないこともないのです。

 ただ、それだけ、日本人の間で、宗教と習慣、つまり日常生活における形式というだけではなく、日常の思考回路に、そういうことが嵌め込まれているのです。そして、それを誰も宗教故になどとは思っていないのです。

 ある国では、他国から来る人に必ず書かせるという事の一つに、宗教があります。こういう宗教欄などを見てしまいますと、私のようなちゃらんぽらんの日本人は戸惑ってしまいます。

 「はてさて、どうしよう。一体全体、宗教と言えるほどのものが己の中にあるのかしらん。ないと言えば哲学的になり、却って衒っているようで、まずいし…」。結局、書けないのです。つまり、自分の中をざっと見渡してみても、その国の人達が認識しているところの宗教という範疇に入らないものしかないのです。日本人だから神道かというとそうでもなく、だいたい、神道というのは、いい加減なようで決していい加減なものではありません。ですから、自分にとっての「神」がいなければ、やはり書けないのです。

 腹を据えて考えたことなどないわけですから、それに書き込むべき宗教は見つからず、書かないでおくと、あちらでは本当に怪訝そうな目で私を見ます。その目は、「あるならその名を、ないなら無宗教であると書け」とでも言っているのでしょうが、どちらでもないので、やはり書けないのです。

 私なんぞから見ますと、どっちでもいいじゃないか、またどっちでなくてもいいじゃないかと言いたいところなのですが、彼らの頭の中には、「そんな考え方をするのは、『原人』で終わり」という偏見があるようで、そう感じられるだけに、却って、私の方では、固まってしまったりするのです。

 日本人は、子供の時など、お地蔵さんのそばを通りかかれば、「守ってくれるからね」という親の声に合わせ、合掌したりしますが、そう言った親とても、信じているかというと、そういうものでもなく、その子にしても、ある程度年が長けてくれば、そんなことはないと思うようになるのでしょう。けれども、習慣で手は合わせてしまいます。

 私も、それを、以前中国にいる時に、イスラム圏の人に非難され、自分の中で考えたこともありました。しかしながら、こういう身についた習慣というものは、当事者にとって、却って理由の判らないもので、彼らに納得のいくような説明は、いくら考えても頭に浮かびませんでした。

 それに、こういうことは考えようとしても、考えられるものでもないのです。考えようとすればするほど、「あの時はこうした、ああした」という思い出めいたものがとりとめもなく流れていき、却って考えることを邪魔します。また、そういうことをいくら説明したとしても、彼らが決して納得してくれるとは思えないのです。

 それで、「日本人は、古来からそういうことを行ってきた。行ってきたにはそれなりの謂われがあるだろう。それに、そう思いたい人がいて、続いてきたことなのだと思う。それを切ることはたやすいが、切らずに続けていくことの方が大切だと思う」などと答えた覚えがあります。

 伝統というのは、多分、そういうものなのでしょう。いつの間にか、その由来も意味も忘れられているにもかかわらず、同族であったり、その地に住んでいるという理由で、何となく切られずに続けられているにすぎぬのだと思うのです。

 今の日本人に宗教を聞けば、まず大半の者が「ない。けれども、なにかを信じているような気がする。少なくとも信じたい」と答えることでしょう。私はそれでいいと思うのです。そういう日本人を非難する資格は誰にもないと思いますし、そういう日本人を非難する人々こそ、そういう宗教の名を以て、他宗教の人を殺そうとし、その人々の平安を奪おうとしているわけですから、そんな宗教ならない方がいいのです。

 私はこのような日本人の心持ちが好きです。「友達が信じている宗教なら、大切にしてやろう。友達が手を合わせているのなら、それを愚かといわずに共に手を合わせよう」。信じる信じないではないのです。共に生きるというのは、難しい理屈を要するものなどではなく、却って、こういう単純なことなのではないでしょうか。

日々是好日
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