今日は快晴です。柔らかな青が空一面に拡がっています。
確かに、この色に覆われている空を、日本では、「青空」と称します。「青空」以外の何物でもないのです。けれども、砂漠地帯で見た「青空」は、こんなものではありませんでした。それこそ、アッケラカンとした、文句のつけようもないほどの、藍に近い青でした。
あの空を見てから、日本の水色の空を、抵抗感なしには「青空」と呼べなくなってしまったのです。
外国に行きさえしなければ、このような空であろうと、相変わらず、「青空だ」と喜んでいられたでしょうに。
知識が増えるとか、見聞が増すとかいうのには、どこかしら悲しみが付きまといます。それによって失われる喜びが増えていくからでしょうか。
何も知らなければ、ささやかな「幸せ」に酔う事もできるでしょう。「分を知る」ことによって守られる「幸せ」もあるのですから。知識が増え、知恵なるものが生まれていくにつれ、現状に対する不満や心のモヤモヤは、だんだんやるせなくなっていきます。
それでも人は知恵を持ちたいと願いますし、知りたいことも減りはしません。知れば知るほど、心の柔らかさは失われ、感動を忘れていくでしょうに。
さて、とはいえ、きょうは「ひな祭り」。女の子のお節句、「桃の節句」です。つい先だって、「豆撒き」をして盛り上がったと思っていたのに、もう一ヶ月ほども経っていたのですね。
今日も盛り上がる事でしょう。「お内裏様」と「おひな様」を色紙で作り、それに顔を描きいれていくという作業があります。
例年、隣の人の描いた「人形の顔」を見ては、「先生、変な顔を描いてる」「違う。変な顔じゃない」とか大騒ぎになるのですが、それもお国柄。一歩退いてみれば、確かに「インド圏の顔」であり、「ガーナ美人」なのですから。
それに、お国柄は、顔だけではなく、着物の色合いとかにも現れてきますから、できあがりの前の色選びから、面白い。「へえ、こういう色を選ぶんだ」と日本人では考えつかないような色を選んでいきます。それは「(私たちにとって)男の色」と思っていたのが、彼らにとっては「女の色」であったりするのでしから。その上、二国間で言い合うのではなく、いくつもの国の人がそれぞれ主張をし合うのですから、始まってしまえば、そのかしましいこと、かしましいこと。
今年は、まだ4月生が来ていませんから、今はまだ「一年生組」の方が人数が少なく、いつもよりはおとなしいであろうと思うのですが、さて、どうですかしらん。
「Dクラス」はフィリピン人と中国人からなり、「Eクラス」はベトナム人、ネパール人、ミャンマー人、中国人、タイ人、ロシア人からなり、「Fクラス」はベトナム人、中国人、フィリピン人、タイ人からなっています。
みんながそれぞれ、「お内裏様」や「おひな様」に、自分達の国や民族の思いを込めて、美男美女を描いていけば、色合い豊かな、七カ国分の美男美女が揃うわけです。学生達にとっても、そういうのを見ていくうちに、感性というものは、否定できないものである、正否のないものであるということが少しずつ判っていくでしょうから、これもまた教育的効果がある、一つの活動になるのでしょう。
先日、課外活動の時に、駅に飾られていた七段飾りの「ひな人形」を見て、「二年生グループ」の一人が、「去年、作ったものね。私たちも」。「あれ、まだ持っている」。「国に送りました」。
もしかしたら、今年も、海を越える「お内裏様」と「おひな様」が出てくるのかもしれません。お国のご両親はどのような思いで、この人形を見ているのでしょうか。
日々是好日
確かに、この色に覆われている空を、日本では、「青空」と称します。「青空」以外の何物でもないのです。けれども、砂漠地帯で見た「青空」は、こんなものではありませんでした。それこそ、アッケラカンとした、文句のつけようもないほどの、藍に近い青でした。
あの空を見てから、日本の水色の空を、抵抗感なしには「青空」と呼べなくなってしまったのです。
外国に行きさえしなければ、このような空であろうと、相変わらず、「青空だ」と喜んでいられたでしょうに。
知識が増えるとか、見聞が増すとかいうのには、どこかしら悲しみが付きまといます。それによって失われる喜びが増えていくからでしょうか。
何も知らなければ、ささやかな「幸せ」に酔う事もできるでしょう。「分を知る」ことによって守られる「幸せ」もあるのですから。知識が増え、知恵なるものが生まれていくにつれ、現状に対する不満や心のモヤモヤは、だんだんやるせなくなっていきます。
それでも人は知恵を持ちたいと願いますし、知りたいことも減りはしません。知れば知るほど、心の柔らかさは失われ、感動を忘れていくでしょうに。
さて、とはいえ、きょうは「ひな祭り」。女の子のお節句、「桃の節句」です。つい先だって、「豆撒き」をして盛り上がったと思っていたのに、もう一ヶ月ほども経っていたのですね。
今日も盛り上がる事でしょう。「お内裏様」と「おひな様」を色紙で作り、それに顔を描きいれていくという作業があります。
例年、隣の人の描いた「人形の顔」を見ては、「先生、変な顔を描いてる」「違う。変な顔じゃない」とか大騒ぎになるのですが、それもお国柄。一歩退いてみれば、確かに「インド圏の顔」であり、「ガーナ美人」なのですから。
それに、お国柄は、顔だけではなく、着物の色合いとかにも現れてきますから、できあがりの前の色選びから、面白い。「へえ、こういう色を選ぶんだ」と日本人では考えつかないような色を選んでいきます。それは「(私たちにとって)男の色」と思っていたのが、彼らにとっては「女の色」であったりするのでしから。その上、二国間で言い合うのではなく、いくつもの国の人がそれぞれ主張をし合うのですから、始まってしまえば、そのかしましいこと、かしましいこと。
今年は、まだ4月生が来ていませんから、今はまだ「一年生組」の方が人数が少なく、いつもよりはおとなしいであろうと思うのですが、さて、どうですかしらん。
「Dクラス」はフィリピン人と中国人からなり、「Eクラス」はベトナム人、ネパール人、ミャンマー人、中国人、タイ人、ロシア人からなり、「Fクラス」はベトナム人、中国人、フィリピン人、タイ人からなっています。
みんながそれぞれ、「お内裏様」や「おひな様」に、自分達の国や民族の思いを込めて、美男美女を描いていけば、色合い豊かな、七カ国分の美男美女が揃うわけです。学生達にとっても、そういうのを見ていくうちに、感性というものは、否定できないものである、正否のないものであるということが少しずつ判っていくでしょうから、これもまた教育的効果がある、一つの活動になるのでしょう。
先日、課外活動の時に、駅に飾られていた七段飾りの「ひな人形」を見て、「二年生グループ」の一人が、「去年、作ったものね。私たちも」。「あれ、まだ持っている」。「国に送りました」。
もしかしたら、今年も、海を越える「お内裏様」と「おひな様」が出てくるのかもしれません。お国のご両親はどのような思いで、この人形を見ているのでしょうか。
日々是好日