日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「『気持ち』に支配される『脳』」。「人々を育てていく上での『マスコミ』」

2009-01-26 08:15:53 | 日本語の授業
 静かな朝です。雨催いの時には、空を「菫色」と見ましたのに、今朝はきれいな「青」になっています。限りなく「闇色に近い濃紺」が、そのまま淡くなってできたような「青」です。そして、東には、柔らかな光が夜明けを告げています。

 不思議なことに、今朝は、来る途中、鳥の鳴き声も聞きませんでしたし、姿も見ませんでした。風もなく、どこかしら、見知らぬ町を行くようで、心許なさを覚えたほどでした。

 さて、現実に戻ります。

 様々な出来事を知る(知らなければ、何事も判断できませんし、それに則った行動をとることもできません)ための、いわゆる「発達したマスコミ」というものを、まだ持たされていない国から来た人達の話です。

 そういう国では、「公教育」が、大きな力を持っています。親兄弟とても口を挟めぬほどに。その理由の一つは、おそらく、国がそれだけの(良きにつけ、悪しきにつけ)権威を持っているということでしょう。また、今一つの理由は、親兄弟も、その力によって、国の望むような状態に、すでに育て上げられているということが考えられます。

 子供は社会的な「弱者」であると同時に、社会に危機を告げる「カナリヤ」のようなものです。社会の危機を、一番最初に感じるのです。彼らの周りには、違う考え、視野を持った人間を、雑然とおいておかなければなりません。それでこそ、バランスを取ることができるのです。「同じ主張」、「同じ考え」、「同じ反応」。それを、「怖ろしい」と感じる心がなければなりません。それを育てなければ、国や民族の未来はなきに等しいのです。親や世間が判るような「反応」であったら、百年前と同じということになります。社会がこれほどの勢いでグローバル化されているというのに、皆同じ反応だなんて、気持ちが悪いじゃありませんか。

 そういう中で育った人間が、違う世界を知ったとき、また若ければ、それを学ぶこともできるでしょうが、もう土台ができあがっていた場合、かなりの知性が無ければ、もう受け入れていくことはできないでしょう。

 大学を出て、大学院を目指すために努力している人達に、それを感じることがあるのです。世界各地で、グローバル化が、かなり進んでいるとはいえ、まだまだ、彼らの活動範囲は狭いのです。相手国は、自分の国より、国際的な取り決めを遵守するという姿勢に欠けた国々が多く、自分の国の方がマシのように思えているのです。

 発展著しい「中国」にしてもそうです。「インド」にしてもそうです。

 随分前の話になりますが、私が中国にいたときのことです。日本にいたときには、地図帳でしか見たことのないような国の人達と、同じ学校の中で生活していました。初めは学生でしたから、「クラスメートの友達は友達だ。その友達も友達だ」という感じで、幅広く話を聞いたりする機会がありました。

 話の圏外にいて、みんなの会話を聞いているとき、この民族はこういう考えで見ていたんだなと合点がいくこともありましたが、この国の人達は、どうしてこう考えているのだろうかと、頭をひねりたくなることも少なくありませんでした。

 その中で思ったのですが、一口に「考え」と言っているものも、実は「気持ち」でしかないのだということなのです。「頭」が考えているのではなく、これまで経験したことの中で味わったことが「気持ち」となって、あたかも論理的に考えているかのように、口から迸っているのです。そのような「気持ち」というものは、私のような人間から見ても、狭い視野の中で蠢いているようにしか見えませんでした。

 こうなってくると、それぞれが狭い自分の視野の中に閉じこもっているようなものですから、討論していても、おかしな具合になってきます。どこまで行っても平行線なのです。正確な情報を与えられて育ってもいなければ、それを要求することが出来ると言う環境にもなかった者同士が、どうやって討論をすることができるでしょう。その上、そういう状態を、不満に思ってもいないのです。

 彼らの国では、多分マスコミが、間違った情報を人々に提供しても、「間違っていた」と謝ることなんてないでしょう。そういう国のマスコミなんて、国と一体なのですから。もし彼らが謝ったら、国が謝ったことになってしまいます。メンツの問題になってしまうのです。

 中国にいたとき、或る中国人の女学生と話をしたことがあります。親しいというわけではなかったのですが、彼女は外国人と話をしたがっていました。いろいろなことを聞きたかったらしいのです。

 この人は内モンゴル出身でした。

 彼女が言うには、
 「私は故郷にいたとき、とても貧しかった。父は『下放』されて、内モンゴルにやってきた。『裸足の医者』だった。私は父をとても尊敬していた」。
彼女の話は続きます。

 「子供の時、『誕生日に新しい服を買ってほしい』と父に頼んだことがある。父はそれを聞くと、『資本主義国の人達は、食べるものも、着るものもない惨めな生活をしている。おまえは、食べるものが十分ではなくとも、ひもじい思いをしなくて済む、すばらしい国に住んでいるのだよ。けれども、かわいそうな資本主義国の人達のことを思わなければいけない。彼らのことを思えば、新しい服が欲しいなんて、贅沢な事を言っちゃいけない』」。

 「私はそれを聞いて、この国に生まれた幸せを思った。そして、飢えて泣いている資本主義国の人達の事を思い、本当にかわいそうだと思った」。

 「そうして、大学に合格して、初めて故郷を出た。北京だ。来てみると、大学の中には、外国人がたくさんいた。欧米や日本などから来た人達は、垢抜けていて、きれいな服を着ていた。とてもおしゃれで、お金持ちに見えた。彼らは私たちが見たこともないようなカメラやテレビ、化粧品、なんでも持っていた」。

 「(資本主義国の人達は)いつも飢えて、泣いているとばかり思っていたのに、全然違っていた。私はとても驚いた。何が本当で、何が嘘なのか判らなくなった。誰も、何も、信じられなくなった」。

 「父に言った。『お父さんは嘘を私に教えた』。父は何も言わなかった。きっと父も、上の人から聞いたことや、新聞を読んでそう信じ込んでいただけだったのだろう。今では父を恨んではいない。それどころか、とてもかわいそうに思っている。もっと楽しく暮らせたかもしれなかったのに…」。

 「ただ、私は、今では、何を信じて良いのかわからないのだ。確かなことは、誰も本当のことを言っていなかったということ。けれども、私は本当の事が知りたい。いろいろな国へ行って、自分の目で確かめてみたい」

 彼女と話したのは、記憶にある限り、あのときだけでした。

 あれから彼女はどうしたでしょう。あのときの気持ちを、今でもまだ持ち続けているでしょうか。中国は大きな変貌を遂げました。町には車が溢れ、贅沢な服を着た人達も増えました。彼女が驚いて見つめた資本主義国の人達と同じような暮らしを、都会にいる人達は、手に入れたかのように見えます。

 けれども、一番大切なものは、多分まだ遠くにあって彼らの手には届かないでしょう。本当に必要だと思うようになるまで。

日々是好日
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