日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

昨日、『七夕』飾りを作り、書いた「願い事」と一緒に「笹」につけました。みんな、それなりに頑張って作ってくれました。

2024-07-04 08:23:17 | 日本語学校

晴れ。

陽射しもたっぷりで、「梅雨」らしくない「梅雨」が続いています。以前は、「梅雨寒」なんて言葉も生きていましたのにね。実際、そういう日も、よくありました。今では「夢の夢のまた夢」ですけれども。

今朝、「コスモス」らしき花が咲いているのを見かけました。秋に咲く「コスモス」とは別種でしょうけれども。とはいえ、「ハギ」の枝が伸び続けていますし、その先にどんどん若葉を付けつつありますから、ある意味、季節は順当に進んでいるのでしょう。

この「らしくない」というのも、人間の「勝手な感傷」と言えなくもない…。「言葉」が人によって生まれ、自ら産んだ「言葉」に、人は支配され、引きずられ、踊らされて、感傷的になったりする…、

「神といひ 仏といふも 世の中の 人の心の ほかのものかは」 (源実朝)

と同じように、「言葉」もそうなのでしょう。

さて、学校です。

昨日は、「七夕」で、「短冊」に願い事を書いたり、「飾り」を作ったりしました。そして「笹」に願い事と飾りを、糸でつけ、皆でその「笹」の前で写真を撮り、一応、終わり。終わりといっても、個人的にはまだ続きがあったようで、その後も、自分の願い事や作った飾りをわざわざ写真に撮る人もいて、これも記念とするのでしょう。国に送るのかな。

これを午前のクラスと午後のクラスに分けてやりました。人数はそれほど多くないので、二本の「笹」で十分足りました。最初に、願い事を「短冊」に書き、次に、皆で「提灯」と「天の川」を作り、後は自由作業となったのですが、この「自由作業」が苦手という人が何人かいて、「う~ん。どうしよう」。そういう人には担当の教員が声をかけ、簡単なものを作っていき、一応、皆、作業時間内はそれぞれの「制作」を続けることができました。

もちろん、器用不器用というのは、人によるのですが、こういう「手作業」をしたことがない…ゆえに、できないという人も少なくないのです。それが「顕著」である国もあり、こちらとしては、「はさみで切るだけだろう」と言いたくもなるのですが、「はさみ」を使う経験がそれほどなければ、はさみをどう使っていいか判らないというのも、あり得ることでしょう。

(私たちから見れば)幼稚園とか小学校低学年であれば、紙の持ち方とか、はさみの入れ方とかで戸惑っているのは判るけれども、大人になってから…えっでしょうが、やはり「慣れ」というか、何回使ったことがあるかという「経験」がなければ、固まってしまっているのもわかります。…苦手…と、ならなければいいのですが。

ネパール人は同じ班のなかにできればまとめさせず、散らして座らせる。親切な人をその隣に置いておく。これは今年の「ひな祭り」の経験から…。失敗を活かさずにおいたら、失敗のままですから、そういうことは一応、考えておく。

見ていると、その親切な人が代わりに切ってやったり、折ってやったりしている、もちろんそれでも判らなければ担当の教員に聞いていたようですが。そうやりながら、それぞれが「自分が作った」と言えるものができあがっていく。

戸惑いながらも、逃げずにやってくれたのは良かった。この「行事」の時によく作られる飾りを覚えようとしてくれていた人もいたようでした。

数年前に、日本の旅館で働いているという卒業生が、こちらに出張になったからと、学校に来てくれることがありました。来た折りに、今年、玄関ホールの飾り付けを任されたと言う話をしてくれました。そのディスプレイに、この学校で作った、四季折々の飾り…「雛飾り」や「節分」行事、「七夕飾り」などを潜ませたそうで、泊まり客に、「これは私が日本語学校にいたときに作った」と言うと、驚かれたり、褒められたりしたそうです。

彼女はもう国で大学を出ていましたから、日本に来てからのことも自分なりに計画を立てていたのでしょう。そして、使えそうなもの、捨てたくないようなものはみんな取っておいたと見えます。もとより、留学生達が、みんなそういう視点からものを考えているかというとそういうわけでは全くなく、みんな行き当たりばったりというのがせいぜいのところ。

こういう作業も、すぐに「終わった。終わった。ポイッ」となるのも普通のこと。ただ、何かあったときに、ああ、学校にいたときに作ったのはこれだったのかと気付くこともあるでしょう。日本に長くいるならば、こういう「日本の年中行事」は、嫌でも見聞きする機会は少なくないはず。それを活かせるかどうかもその人によるのでしょう。

この、卒業生の話を聞いたとき、担当していた教員は「そうなの。取っておいたの。それをディスプレイに使ったの」と、とてもうれしそうでした。

今は、面倒だなと思いながらやっている人も、将来、どこで何が起こるか判りませんし、こういう作業がどこで自分と他の人を仲立ちしてくれるかも判りません。こういう「文化」はやはり知っておいた方がいいし、一応は、やっておいた方がいいと思うのです。

日々是好日
コメント
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