日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「成人式」。「月」。「不幸の中で生きる術」。

2009-01-13 08:33:47 | 日本語の授業
 昨日は成人式でした。この学校にも何名か、今年、本来ならば成人を迎えるはずの、学生がいるのですが、不思議なことに、とても静かです。例年ですと、「こんな葉書が来ました。何ですか。どうすればいいのですか」と、慌てふためいて報告に来ているところなのですが。きっと在日の叔父さんや叔母さん、いとこやはとこに聞いて(判ったので)、落ち着いて、すまし込んでいるのでしょう。

 さて、今朝のお月様は(「氷輪」と評するには、あまりに明るく、しょうがないので「皎皎と」とでも形容しておきましょうか)、まん丸く、朗らかなお顔をなさっておいででした。笠をかぶっていらっしゃるというわけでもないのに、お顔が二重に見え、その光の輪の、それぞれの点の輝きが、飛び跳ねているようにも見えましたから、なんぞ変わったことでもあったのでしょうか。しかしながら、星は見えません。お供をお連れにならず、お寂しいことですね。

 というお月様を、立ち止まって見とれたり、そのまま歩いたりをしているうちに、消防署の角で、左に曲がり、東を向く段になって、初めて空が白み始めているということに気がつきました。月があれだけ輝いていましたから、周りの空はてっきり濃い闇色だと思っていましたのに、東の空は、少し灰色を帯びた水色で、茜色もすっかり姿を消していました。

 お月様の光が明るく、寂しげでないと、今日も良いことがありそうで、うれしくなってしまいます。

 その上、学校の玄関の扉を開けますと、水仙の香りが、パアッと飛び込んできたのです。「花気襲人」そのままですね。金曜日も、何人かの学生が、「これは何の花ですか」と聞いていました。きっと「タイ」や「ミャンマー」、「インド」などといった南国にはない花なのでしょう。

 それなのに、中国人は…この花を知らない者もいましたけれど…。私は、こういう事に出くわすたびに、「潜りの中国人」と、心の中で叫んでしまうのです。中国人は、自分たちの文化を誇る割には、自国の文化を知らない人が多いのです。もし、これが文革の影響に過ぎぬとしたら、後30年か40年くらいで戻るのでしょうけれど、そうでなかったら…大変ですね。

 中国人は、中国が日本に文化を与えたと思っていますし、口にもします。自分たちも他国から影響を与えられて、かつての輝かしい文化を築いてきたのだということが解っていない人が多いのです。陸のシルクロードを通って、或いは、海のシルクロードを通って、ペルシャやローマの文化が中国に伝わりましたし、インドの文化も(仏教に限らず)中国の文化に影響を与えました。

 チンギスハンの「モンゴル」が、中国の文化をそれほど尊重しなかったのは、「モンゴル」が世界的な大帝国だったからでしょう。中国の文化の他にも、すばらしい文化を持っている国がたくさんあることを、世界中を征服する過程で、知っていたからなのでしょう。

 現代に生きる私たちは、多くの国や地域に独自の文化があることを知っています。「夜郎自大」が、一番始末に負えません。もし、「これはすばらしい文化だ」と、自分が思ったら、自ら進んで影響されようと、飛び込んでいけばいいのです。躊躇うことはありません。これは、だれかに強制されて、そうするのではないのです。自分がしたいから、そうするのです。

 その文化が、弱小民族のものであろうと、経済的・政治的・科学的な分野で、一見劣っていると見られる国家のものであろうと、すばらしいものは、すばらしいのです。「数千年間、変わっていない」という、ただそれだけで、多くの人が惹き付けられるということもあるでしょう。人々はそのことによって、自らを省みるきっかけにすることもあるでしょうし、また、自分の感性や想像力に、刺激を与えるために、その中に身を置く場合もあるでしょう。

 「異文化」というのは、「均質な社会」で生い育ってきた者にとって、汲めども尽きぬ活力を与えてくれるものです。しかしながら、その中に、自らと「異なっている部分」を見つけられない者もいます。見つけ出せるのも、ある意味では、その人の力、知力や感性なのです。

 日本は「明治」以降、ずっと走り続けてきました。自分の力以上に、遠くへ、しかも、できるだけ速く行こうとしてきました。自分たちが「先進的な」と思えるものに向かって。これまでにも、「もういいだろう。立ち止まるべきだ」という声が、国の内外から、聞こえていました。けれど、慣性の法則なのか、猛烈な勢いで、走り出したこの国は、なかなか歩みを緩めることができませんでした。

 「金融危機」、あるいは、「100年に一度という大不況」とかが、叫ばれる今日この頃になって、やっと「物事の真価を問う」という形で、皆立ち止まろうとしています。

 「不況」は「不幸」なことですけれど、「不幸」の中で生きる術を、戦後、長い間、日本人は忘れていたのではないでしょうか。「幸せ」になろうと、なんだかよく判らないけれど、「幸せ」になろうと、(「幸せ」の実態も掴めないのに、他の人よりも「不幸」は嫌だからと)齷齪する必要はないのです。そうやって、判らないものを追い求めていく過程こそが、「不幸」を生む母胎になっていたのかもしれないのですから。

 「幸せ」を追い求めるのは、「こうなったら幸せなのだ」とか、「これがあったら幸せだ」というものが見つかるまで、しばらく「お預け」にしておいた方がいいのかもしれません。

日々是好日
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1 コメント

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**広場 (笑口常開)
2009-01-13 11:40:07
確かに、知らない花や生物が多いですね。宜しければ、学校のホームページで先生が日本の季節の花や生物などを紹介したら、皆が嬉しいと思いますよ。写真(或はリンク先)を付いたら、モット良いかもしれないと思います。そして、色んな国の学生達が自国のを紹介し、皆で**広場を作ったら、如何でしょうか。
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