イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「釣りの歳時記」読了

2012年02月27日 | Weblog
伊藤桂一/編 「釣りの歳時記」読了

1ヶ月に1編という構成で、作家、詩人、編集者などがエッセイを書いている。著者は全員が戦争を体験し、戦後の“遊び”としての釣りを模索したした人たちだ。そういうことを知ると、意外と近代の魚釣りの歴史というのも浅いものだと感じる。

ヘッポコながら、僕も釣り歴というとすでに40年を超えていると思う。“思う”というのは自分がいったいいつごろから竿を握っていたのかがわからないのだ。
僕の大先輩というと、父親であり祖父であるので、聞きづてながら、著者が書いている内容もよく知っている。ナイロン糸が出る前はヤママユガの糸を吐く腺を酢で伸ばして作ると(だから蚕糸=テグス)か、竿はグラスロッドの時代もよく知っている。我が家には竹製の投げ釣り竿もあった。この竿で僕は初めてタチウオを釣り上げた。
読んでいると、魚がいっぱいて、いい時代の話だとつくづく思う。父親がよく言っていたが、昔むかしに今のような道具があったらどれだけ魚が釣れたことだろうというのがよくわかる。僕が育ったところでは、昔から陸から魚を釣ろうと思ったら、雑賀崎の鷹ノ巣がいい釣り場だったのだが、祖父の話では、テグスが高価だったもので、大きな魚が回遊してくると糸を切られないために仕掛けを回収したとか。うらやましい時代に思う。

著者達は魚釣りが自分の人生に及ぼした影響を疎ましくもいとおしく綴っている。ある著者は、「自分は、この釣り人生のなかで、はたして何を得、何を失ったであろうか?」と表現している。「釣りは愛しても、釣りに淫したくはない。」と書いている著者もいる。自らポイントを開拓して現在の釣りの礎を築いたのもこの時代の人たちだ。
その情熱は平和な時代を満喫しているようにも思える。僕などとちがい、筋金入りだ、しかも、こんなひとに限って仕事も名をなすほどの業績を上げている。

なにはともあれ、いい時代のいい話の結晶のような本であった。今年は5月に金環日食があるが、文章の中に、関東地方で見ることができた昭和33年の金環日食の話が出てくる。偶然にも今年、この時期にこの本を手にして読んでいるといのも何かの縁なのかもしれない。
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