先日読んだ西村健太郎著の『週末夜汽車紀行』の中で、大阪発の「鉄道夜旅」として南海電鉄のことが記されていた。夕方に南海難波を出発し、和歌山港から南海フェリーで徳島へ、そして・・・という内容のものである。
関西に在住するものとして、「これは面白い夜旅、コースどり」と思ったものである。ただその一方で、旅に出る際の乗り物はできるだけ明るい時間に乗りたいという気持ちもあるし、夜に乗るのはできるだけ「後は帰って寝るだけ」の状態の時がいいなという気持ちもある。まあこれは個人の好き好きであるから。
ならばということで、それこそ地の利を生かして週末の一日をフルに利用するとして、逆に朝靄の中を出発する、そして昼間の風情を味わうというのはどうか。ということで出かけてみる。
3日の土曜日は豪雨のため一日自宅でくつろいでいたが、4日の日曜日の朝6時すぎ、自宅最寄の阪急塚口を出発。これから10何時間かかるかわからないが、できるだけ循環コースにして「どこまでも"往路"」という状態をつくろうかと思う。
梅田から地下鉄でなんばに移動。湿気を多く含んだ空模様の下、日曜の朝独特のけだるいムードが漂っている。地下鉄もそうだったが、土曜日の夜を朝まで飲み、笑い、歌って過ごした若者たちがやや疲れた様子でそこかしこを歩いているのに出会う。何だかこういう日曜の朝の迎え方ってのも「若くてええなあ」と思ったりする。朝5時半にはぱっちりと(いや時にはそれよりも早く)目覚めて、朝から時事放談などを見ている過ごし方というのはジジイ臭が強いかなと・・・・(私のことです)。
さてそんなことはさておき、窓口にて和歌山港行の特急「サザン1号」の指定席と、徳島までの連絡きっぷを買い求める。和歌山港までが890円、フェリー代が2,000円、特急の指定席料金が500円という支出。ただ、なんばから徳島までの高速バスは3,600円だから、値段としてはいい勝負である。
あとは4時間対3時間という所要時間、乗換えがあるかそのまま座っていけるか、ゆったりと過ごせるかシートで身を固くするか・・・利用者の嗜好によるところが大きいと思う。ということで、なんば発7時10分の「サザン1号」に乗車。
前4両が指定席、後4両が自由席である。まあ自由席といっても通勤型、それも「帝国車両 昭和41年」という銘のある古い車両である。私よりも年上の車両が現役で走っているのも驚きだが、それが特急に使われているというのもまたうならせる話である。
普通特急といえば新しくていい車両を投入するものだが、普通の通勤電車に新型が投入されてそして古いのが特急へ・・・。これは利用客をリクライニングシートで快適な指定席に誘導するための作戦かなと思ったりもする(その後すれ違う「サザン」も同じような編成ばかりだったため)。後は、古い車両を好む「その筋」の人向けとか・・・?
そんな私も一瞬「自由席で行こうかな?」とも思ったが、指定席券も買ったことだし、空いているようでゆったりと行こうということでそのまま指定席に乗り込む。その後の駅で、自由席のほうは結構な乗り降りがあったようだが結局指定席は1両に10人もいないという乗車率で走った。
今にも雨が降り出しそうななんば駅を後にして、新今宮、天下茶屋と大阪市内の下町風情の中を快走し、堺へ。堺から南の区間も高架化計画があって現在工事中の区間もあるが、その中で諏訪ノ森や浜寺公園など、古くからの由緒ある駅舎がなくなるという話もある。これも時代の流れということだろうか。
リクライニングシートに身を寄せるうちに少しウトウトしながら南下。「サザン」はいつしか泉南の海辺にさしかかった。空はまだどんよりしているが素朴な感じの海の広がりに、一瞬大阪府内にいることを忘れさせる。
特急は軽快な走行音で(もっとも自由席の昭和41年製の車両に腰掛けていたらまた違った音に聞こえるのかもしれないが)孝子峠を越え、和歌山県に入る。するとさっと日の光が差し込んできた。孝子峠が天気の変わり目であったかのようだ。南国に来たのかなという思いをさせる。
和歌山市でほとんどの乗客が下車し、回送電車の風情となって和歌山港を目指す。花王をはじめとしたコンビナート群などを見るうち、何とも中途半端な土台の上で停車した。ここが終着・和歌山港である。かつてはここから水軒という駅まで線路が伸びていたが、いつしかその面影もなくなったようである。
改札口を出たのは10人ほど。そのうちの多くが改札口を出ると右手の通路に向かう。こちらが南海フェリーとの連絡口で、通路を歩き、動く歩道で道路をまたぐと小さな待合室に出る。その向こうはもう船のデッキである。なるほど「鉄道連絡船」だ。
「鉄道連絡船」といえばかつては青函連絡船や宇高連絡船など、鉄道とフェリーがスムーズに乗り換えられるものを差していたが、南海フェリーのホームページによれば現在「鉄道連絡船」を名乗れるのは安芸の宮島への連絡船と、この南海フェリーの和歌山港だけという。個人的には広島の宇品港もそうではないかと思うのだが、軌道線は対象外ということになるのかな。
さてその南海フェリーであるが、先ほど南海電車から乗り換えたとおぼしき客は10人程度で、あとはクルマ利用。それでも40人いるかいないか。桟敷席には余裕で横になることができるし、出航前ということで甲板に上がっても人の姿はちらほらとしか見えない。日曜の朝という時間帯もあるのだろうか。
8時30分、もやが解かれて和歌山港を出航。こういう形で本州を離れるというのも何だか異体験という気がして面白い。潮風が湿気を含んでベタッとした感じがするが、それでも甲板を渡る風は蒸し暑さに苦しめられる身には気持ちいい。
徳島までは2時間の航海。左には和歌の浦から続く紀州の山並み、右には和泉山地から加太、友ヶ島から淡路島へと続く島並を見る。こうして見ると淡路島の山容というのは結構大きなものがあり、これが壁となって瀬戸「内海」の穏やかさを生み出しているのだなと改めて思う。
その一方で、「外海」を航海する気分というのも久しぶりの体験である。雨こそ降らないが波は結構あり、左右に揺すぶられる。気分が悪くなるまでの激しさはなく、むしろ「船に乗っているんやな」ということを実感させてくれるくらいの揺れ。それでも、結構きているなあ・・・。
そろそろ外の景色もいいかなと、桟敷に寝転がってくつろぐ。この感触はバスの旅では絶対に味わえないものだ。フェリーの乗客の減少が叫ばれて久しく、私も最近四国に渡る際には安さからETCを利用して橋を渡ってばかりだが、クルマにはクルマの、フェリーにはフェリーのそれぞれの良さがある。ゆとりと展望の良さをアピールすることも、フェリー会社にとっては必要なことではないかなと思う。港と街の中心部のアクセスも課題ではあるが・・・。
さてそうするうち、空も少しずつ明るくなってきたようである。4日の徳島の予報は曇り一時雨、降水確率40%とあったが、これなら天気も持つのではないかと思わせる。
正面に眉山の姿も見えてきた。10時30分に徳島の沖洲に到着。こちらのターミナルのほうが建物も新しく設備も整っており、四国の玄関の一つとしての位置づけをアピールしているようだ。
さてここからは10時45分発の徳島駅方面へのバスに乗り継ぐ。途中のバス停からも乗客を集め、満員状態になって11時10分頃に徳島駅着。
南国ムードのあふれる徳島駅前に着いた時にはすっかり晴れ間も見え、早くも真夏日を予感させる暑さ。次週に控えた参議院議員選挙を前に駅前で演説を行う候補者のガナリ声もあって余計に暑く感じる。
鉄道でもなく、高速バスでもない形でやってきた徳島。実はこのルートで訪れるのは初めてであり、これまでとは違った形での入り方に新鮮なものを感じた。
さて、これからどうしようか。それにしても暑い・・・・。(続く)