まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第7回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~第22番「大楽寺」(宇佐神宮とともに・・)

2023年04月01日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐり、八面山に近い田口インターから中津日田道路に乗る。現在は中津港からここ田口までの区間と、途中の耶馬渓近辺の区間が開通しているが、全線開通となると大分県内陸部と沿岸部がぐっと近くなる。また、東九州道、九州横断道と合わせてのネットワークも強化される。各地の鉄道ローカル線の厳しい経営のニュースが続く中、道路のほうはいかようにも拡張できる。

これで国道10号線バイパスまで出て、宇佐を目指す。どこかで昼食をと思う中、通りがかったバイパス沿いの新しい建物のラーメン店「嬉屋」に入る。別のところから移転して来たようだ。シンプルにラーメンとギョーザをいただく。「中津の宝来軒本店で修行し独自のアレンジを加えた一杯」とある。普通に美味しくいただいた。

思ったより早く行程が進んでおり、この後の第22番・大楽寺、そして宇佐神宮を参詣した後はどうするか。手前にある、以前九州西国霊場めぐりでも訪ねた大分県立歴史博物館に行くか(大分県といっても宇佐、国東半島に関する紹介が中心である)、逆に訪ねなかった「昭和の町」豊後高田まで足を延ばすか。参詣後に決めるとしよう。

バイパスから旧道に入った四日市辺りでは多少渋滞していたが、そのまま順調に走り宇佐神宮に到着。この後神宮にも参詣するのでこちらの駐車場にレンタカーを停め、道路を渡って大楽寺に向かう。この大楽寺も九州西国霊場の第4番として訪ねたことがある。

山門から境内に入るとちょうど寺の方がいて、「御朱印?」と声をかけられる。そのまま持仏堂に案内され、納経帳を預けて外陣からのお勤めとする。

大楽寺が開かれたのは元弘3年というから鎌倉幕府が滅亡しようという年で、宇佐八幡大宮司の到津(いとうづ)公連が、奈良西大寺の道密上人を迎え、鎌倉幕府が滅亡して建武と改元された後に後醍醐天皇の勅願寺となった。それ以後も宇佐八幡宮の別当寺としての歴史を持っている。現在は厄除け祈願の寺として信仰を集めている。

実質的な本堂である持仏堂には九州西国霊場の本尊である如意輪観音が祀られているが、九州八十八ヶ所百八霊場としての本尊は弥勒菩薩で、隣の本堂に祀られている。本堂は弥勒菩薩や脇侍、四天王像などとともに文化財保護のために建てられたもので、有料で拝観できるとはあるが、扉は閉められている。

境内の五大力明王や、本堂の外に並ぶ十三仏の石像などを見て寺を後にする。

さて、ここまで来たならと宇佐神宮の参拝である。大楽寺ともども九州西国霊場めぐりで訪ねたのが2021年6月で、およそ2年ぶりである。参道には九州西国霊場を有名なものにした種田山頭火の歌や日記を元にした石碑や、神仏習合の表れとしての「法華八講」の記念碑、そして大分交通宇佐参宮線で使われていた蒸気機関車などが並ぶ。宇佐参宮線は豊後高田から宇佐駅を経て宇佐神宮まで走っていた鉄道である。

参道の手水舎には柄杓が置かれていた。以前に来た時にはコロナ対策として柄杓は撤去され、竹筒から出る水を直接手で受ける方式だった。こうしたところにもかつての日常が戻りつつあるのを感じる。

参拝順路に沿ってまずは上宮を目指す。すると途中の西大門に覆いがかけられ、正面には西大門の実物大サイズの幕がかけられている。西大門は江戸中期の建立で、現在の宇佐神宮にあって古くからの建物である。建物全般の損傷が進んでいることから、2021年から4年計画での解体修理中である。

工事中の門をくぐり、上宮に入る。一之御殿(八幡大神)、二之御殿(比売大神)、三之御殿(神功皇后)それぞれで、二礼「四拍手」一礼にて手を合わせる。この「四拍手」、他には出雲大社が有名だが、なぜ4回なのだろうか。現在日本の神道の正統とされる伊勢神宮に対抗する何かがあるのかな・・。

上宮には、奥宮とされる大元神社がある御許山の遥拝所がある。

上宮の後は下宮にも参拝。宇佐神宮としては「片参り」にならないように下宮への参拝もすすめているが、全員が全員下宮も参拝しているようではないようだ。

最後に、これまで入ったことがなかった宝物殿に行ってみよう。エントランスでは宇佐神宮の紹介映像が流れ、和気清麻呂の像がある。和気清麻呂とは奈良時代の後期、弓削道鏡が天皇の位を得ようとした宇佐八幡宮神託事件に登場する人物。宇佐八幡の神託を確かに大和に持ち帰り、清麻呂は道鏡や称徳天皇の怒りを買って流罪となるのだが、宇佐八幡の権威を守ったとして後世に忠義の人物として顕彰される。

展示室でまず目にするのは金剛力士像。かつての神宮寺である弥勒寺の山門に祀られていたもの。他にも、宇佐神宮の神仏習合に関する文物が並ぶ。もう少し展示物があるのかなと思ったが、2室のみで終わりである。

さてこれで宇佐神宮まで来たわけで、後はレンタカーの返却の時間までどこに立ち寄ろうかというところだったが、宝物殿の見学を終えた時点で残り時間はどこかに往復、見学するのは少なくなった。ならば、これで豊前の国シリーズを終えたこともあるし、ここで旅程をおしまいにして早めに帰宅としようか・・・。

コメント    この記事についてブログを書く
« 第7回九州八十八ヶ所百八霊... | トップ | 第7回九州八十八ヶ所百八霊... »

コメントを投稿