九州八十八ヶ所百八霊場めぐりの中津・宇佐シリーズ、この日(3月25日)3ヶ所目となる第21番・神護寺に向かう。神護寺と聞くと京都の高雄にある名刹を連想するが、大分にもあるのね。
神護寺があるのは中津市三光地区にある八面山の中腹である。中津の人たちにとってはシンボルともいえる山だという。
その中腹にある八面山平和公園の駐車場に停める。神護寺へもここから入ることになる。この駐車場の桜がちょうど見頃であった。今年は全国的に桜の開花が早く、その分見頃も早くなっている。いいタイミングに来たものだ。この日乗っているレンタカーとの1枚も収める。
そのまま、神護寺の境内に入る。山門の建物はないが石造りの仁王像が出迎える。山全体が修行の場であるような雰囲気が漂ってくる。参道には狩場明神にはじまり、弘法大師、諸仏の石像が祀られている。
神護寺が開かれたのは白鳳時代、法蓮上人によるという。法蓮は宇佐八幡の別当にして、各地の山々で修行を行った人物である。先般まで私も巡拝していた九州西国霊場も法蓮が開いたとされるし、国東半島の六郷満山にも深い縁がある。そしてここ八面山でも修行していたそうだ。当初は猪山八幡宮の神宮司として宇佐八幡とのつながりも強かったそうだ。
先に、「神護寺と聞くと京都の・・」と書いたが、改めて調べると、神護寺という名前は京都に限らず、神仏習合の時代にあって神社のあれこれを担当していたところの呼び名であり、神宮寺、別当寺というのと同じようなものだという。
中津の神護寺は明治の廃仏毀釈の時には大きく衰退したが、昭和の初めに覚瑞という和尚が心願成就のために修行した縁があり、一念発起して復興させたという。
石段を上がり本堂に向かう。本堂といっても寺院のお堂というよりは一般の家屋の園側から上がるような造りである。中に入って自由にお参りとのことで扉を開けて中に入る。奥には本尊の不動明王が祀られている。毎月このお堂でも護摩供が行われるそうだ。
ここでお勤めとして、お堂の中に置かれている印鑑にてセルフでの朱印とする。
先ほど本堂とともに五大力明王像の案内板があったので、もう少し奥を目指す。その途中にも四天王像などが祀られている。
屋外での護摩供を行う広場があり、不動明王をはじめとした五大力明王像が囲む形で並ぶ。その姿も力強く感じられる。
ここで折り返しとして境内を下ると、滝行の場に出る。ここでは実際に滝行ができるようで、更衣室も設けられている。これまでに滝行を行ったとおぼしき方たちの札も掲げられている。私が訪ねた時には参詣者の姿もまばらだったが、中津の人たちにとっては事あるごとに参詣してさまざまな祈りを捧げる場なのだなと思わせる。
滝から下ったところには石造りの釈迦涅槃像が祀られている。長さは7.88メートルあり、一つの石から彫られた涅槃像としては西日本一という。大分県といえばさまざまな石の文化があるイメージだが、昭和の作とはいえ、こうした釈迦涅槃像があるというのも中津の隠れた見どころと言える。
一通り回り終え、もう一度駐車場の桜を愛でて神護寺を後にする。この先は宇佐神宮に隣接する第22番・大楽寺まで行けば今回の予定は終了となる。
その前に、もう少し八面山麓を楽しむことにする。神護寺に来る途中、道端にところどころある「かないろ(金色)温泉」という看板が目についていた。大分県といえば「おんせん県」ということもあり、ここまでの九州八十八ヶ所百八霊場めぐりはほとんどなかったが、日帰り温泉に浸かるのもいいだろう。
旅館「こがね山荘」を中心に、日帰りの「八面山金色温泉館」や料理店が建つ一角。この敷地の桜も見事である。ここまで来ると、前回2月、札所めぐりの前泊で旅程を中断して引き返したのがかえってよかったという気持ちである。あの時は入院中の父親の容体が悪くなったという知らせがあり、ともかく翌日はそのまま帰宅したのだが、その知らせがなかったとしてそのまま中津、宇佐を回っても雨の中だった。今思えば、その時は「時季が悪いからもう少し後にしろ」というメッセージが父親から発せられたのかなとすら感じられる(これまで父親が中津を訪ねたことはないのだが・・)。
温泉は屋内の他に八面山の自然を活かした露天風呂もあり、ゆったりできる。さすがに露天風呂から桜を見ることはできないが、風も心地よく、春の穏やかな日差しも感じられる。
八面山の一時を過ごし、ここから宇佐を目指すことに・・・。
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