まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

飯田線の通し列車に乗る・・・豊川まで

2018年04月10日 | 旅行記D・東海北陸
青春18きっぷ利用の日帰り旅で目指す愛知、岐阜。目的地を決めるのにサイコロを使うことにして、関ヶ原を過ぎたところでサイコロアプリを起動する。もうタイトルからしてどこに行くことになったかはおわかりかと思うが、出たのは「5」。豊橋から豊川稲荷を目指すことになった。

出目によっては岐阜での乗り換えになったが、豊橋までということは、新快速の終点まで乗ることができる。まずはゆっくり車窓を見ることができる。

岐阜を過ぎて車内は満員。遠くに岐阜城を見て、木曽川、清洲城を過ぎる。名鉄の線路が近づくと名古屋である。愛知県に入ると雨も止み、この先は大丈夫だと安心する。そういえば、新潟や会津を回る青春18きっぷの大旅行をする男性は中央線に乗り換えたのだろうか。

東海道線の名古屋から先の区間に乗ることもなかなかなく、車窓を眺めるながら、豊川稲荷からの帰りをどうしようか考える。名古屋まで名鉄で戻るとして、途中は三河の国を走る支線にも寄ろうかとも思う。名鉄には乗ったことがない支線が多く、こうしたところを回ると新たな楽しさが見つかるかもしれない。

10時28分、豊橋に到着。乗り換え階段を多くの客が駆け上がる。この先浜松行きがあり、東海道線を東へ向かう客は席取り合戦となる。私はここから飯田線に乗り換えるとして、階段上の通路の売店で豊橋名物の竹輪など買い求める。え?飲み鉄のおつまみに決まっとるでしょうが。

その飯田線のホームは名鉄との共用である。駅名標を見ると、豊橋の次は船町。面白いのは、同じホームの反対側の名鉄乗り場では、豊橋の次が伊奈というのをJRのデザインで書かれている。駅コードが併記されているので名鉄と気づくくらいだ。

飯田線はかつて豊川鉄道という私鉄だった。また、名鉄の前身は愛知電鉄という鉄道だった。それぞれが同じくらいの時期に豊橋に路線を伸ばすにあたり、その合流地点から豊橋の間は、お互いが単線の線路を敷いて、それを複線として使用するという話があったそうだ。その名残が、国鉄からJRを経て現在まで続いているが、現在は完全にJRが有利で、名鉄は申し訳なさそうに乗り入れているようにも見える。

これから飯田線の10時42分の列車に乗るが、これが飯田線全線の100近いを7時間弱かけて走る岡谷行きである。飯田線に乗ることが目的なら時間帯的にもベストな列車である。ホームに下りた時にはすでに乗車口に長い列ができている。出で立ちからして、青春18きっぷで全線を乗り通すか、あるいは沿線の秘境駅を訪ねるか、いわゆる乗り鉄の殺気すら感じられる。乗ること自体は問題ないのだが、座れるかどうかは大きい。だから良い席狙いの殺気である。私もそのいずれかのためにこの列車に乗るのなら、知らないうちにそんな表情になっていたかもしれない。

ただ、この日は豊川が目的地。豊川までなら区間列車が頻発しており、座るのが第一なら区間列車に乗れば十分である。ただそこは、飯田線全線の通し列車に乗るほうが面白そうだ。座席は別にいいので、運転席の後ろに立ってみる。この一角も、「ビデオカメラをガラスに吸盤で貼り付けて前面展望を撮影しようというおっさん」とか、「望遠レンズのカメラを首からぶら下げ、右手には時刻表をにぎり、左手ではパンをかじりながら列車番号名をブツブツと唱えるお兄さん」など、こうした列車にお似合いの輩、もといキャラクターたちのパラダイスである。もっとも、その横に立つ私も、他の乗客には同類と見られているだろうが・・・。

運転席の後ろなので、かつてそうした経緯があった線路の様子も見える。豊川を渡り、分岐点で正式にJRと名鉄の線路が分かれる。ただしばらく走ると左側からまた線路が寄り添ってくる。こちらは名鉄の豊川線である。

10時54分、豊川に到着。ここで下車する。岡谷まで7時間近く走る列車のうち、12分だけ乗ったことになる。それもまたいいかな。ホームで列車の発車を見送るが、ボックス席に、ドア横のベンチ席に陣取った人の顔を見ると、やはり「乗りに来た」客の多さを感じる。

さてここからは豊川稲荷に向かう。駅では狐がお出迎えで・・・。
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