まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第29番「松尾寺」~西国三十三所めぐり2巡目・23(西舞鶴で桜見物)

2018年04月02日 | 西国三十三所
西舞鶴に到着。次の列車まで1時間半あまりあるので町歩きとする。列車での乗り換えでは何度か来ているが、町並みを歩くのは初めてである。

駅構内、また駅前には「大相撲舞鶴場所」のポスターや幟が目立つ。舞鶴市政施行75周年記念のイベントとして4月4日に行われるとある。舞鶴で大相撲の巡業はおよそ70年ぶりだという。大相撲の春場所は横綱鶴竜の優勝で幕を閉じたが、その後は関西から関東にかけての春巡業である。ポスターには3横綱2大関が出ているが、春場所休場の白鵬や稀勢の里は参加するのだろうか。私は巡業は観たことがないが、本場所とは違ったさまざまなイベントがあるし、稽古が見られたり力士との交流もある。この舞鶴場所はもちろん平日の仕事なので行けないが、一度どこかの巡業を観たいものである。

まず向かったのは田辺城跡。平成に復元された城門がシンボルのように建っている。この地に最初に城を築いたのは細川幽斎。関ヶ原の戦いでは東軍に味方して、50日に及ぶ西軍との攻城戦を繰り広げた。後に田辺藩として京極氏、牧野氏が入り、後に舞鶴藩と改称された。

城門の上は資料館となっており、細川幽斎の像や、牧野氏に伝わる武具などが展示されている。また、舞鶴の城下町を再現した模型もある。舞鶴というと軍港、岸壁の母、そして現在の海上自衛隊というイメージが強く、城下町の歴史というのはかえって新たな気づきになった。

城跡は舞鶴公園として、地元の人たちの憩いの場になっている。こちらの桜も満開である。カメラを手に桜のアップ画像を撮る人の姿も目立つ。城跡と桜というのはよく合うように思う。これが大阪城公園だとものすごい人だかりだが、こうした小ぢんまりした城跡で気軽に桜を楽しむのもよい。

田辺城跡から少し歩くと舞鶴市の総合会館がある。外には北陸新幹線の舞鶴ルート誘致の看板が出ている。確か、敦賀から京都までは小浜ルートに決まったのではなかったかな。大阪から北陸に向かうのに舞鶴を経由するというのはあまりにも現実離れしているように思うが、地元の人たちはまだあきらめていないのだろうか。

その一角が郷土資料館になっている。田辺城の資料館と同じく無料ということで中に入る。こちらは舞鶴の歴史をさらっと紹介したスポットで、「海の京都」の一部として、古来から海とともに生きてきた様子が紹介されている。昔の塩づくりの模型や、北前船による交易についても触れられている。当時の港は、城下町を流れる高野川の河口にあったという。

目を引いたのは相撲の番付。先に、大相撲の舞鶴巡業がおよそ70年ぶりに開かれると触れたが、ここにあるのは前回1949年(昭和24年)に行われた舞鶴場所の番付である。横綱が照国、羽黒山、前田山、東富士と4人いて、他にも後に横綱、大関となる力士の名前が見える。小結があの力道山というのも発見である。

「糸井文庫」というものを紹介するコーナーもある。丹後の与謝野町出身で、明治、大正、昭和戦前の実業家である糸井仙之助という人が丹後にゆかりの書籍や錦絵などを収集したもので、没後に舞鶴市に寄贈され、現在舞鶴市の指定文化財となっているものである。酒呑童子、浦島太郎、山椒大夫、岩見重太郎といったところがテーマとなっている。現在はこうした資料館での展示のほかに、舞鶴市と立命館大学の取り組みで閲覧システムとしてデータベース化されている。こうしたものがあるとは初めて知った。また話が逸れるが、タイガースの糸井選手も与謝野町の出身である。この糸井仙之助とはどこか親戚でつながっているのかな。

資料館を後にして、国道27号線を渡って高野川沿いに向かう。昔ながらの商店や旅館なども残る。伝統的な古い町並みというわけではないが、一昔前、昭和の雰囲気にさかのぼるような感じだ。この辺りは京へと続く旧街道だったそうだ。

その街道から山の手の方向に何やら立派な寺の山門が見えたので行ってみる。曹洞宗の寺で桂林寺とある。本堂には階段を上がるが、境内の桜がなかなかの眺めだった。

桂林寺は15世紀の初めに開かれた寺で、阿弥陀如来、薬師如来を本尊とする。細川幽斎ともつながりがあり、関ヶ原の戦いにともなう田辺城の籠城戦では幽斎を支援したこともある。その後、江戸時代の京極氏、牧野氏からも保護を受けた。西国や四国の札所の一つと言われてもうなずけるような由緒を感じる。お勤めは省略するとしても手を合わせようかと本堂に向かう。ちょうど中からは読経の声が聞こえてくる。

この愛宕山麓は寺町だったのか、麓にはいくつかの寺社が見られる。土地の神と言える朝代神社の鳥居をくぐり、境内を抜けると寺の本堂に出た。円隆寺という。こちらは真言宗の寺院で、平安中期の開創とされる。現在の建物は江戸時代に再建されたものだが、堂々とした造りである。

境内には四国八十八所のお砂踏みとして、各札所の本尊石像が祀られている。これを伝って行けば結構奥の方まで広がっていそうだ。丹後舞鶴の地にもこうした寺院があるというのも勉強になった。

これで駅まで一回りした形になり、そろそろ列車の時間も近づいてきたので駅に戻る。今回は訪ねることはなかったが、昔ながらの居酒屋もちらほらと見えるところで、何かの機会があれば一度西舞鶴に泊まってみるのも面白いかなとも思った(東舞鶴は過去に駅前で宿泊したことがあるが)。

さて、これから松尾寺を目指すが、昼食を仕入れることにする。次の東舞鶴では列車の接続が2分しかないし、松尾寺駅および松尾寺の周辺には食べるところもコンビニもない。改札口横にセブンイレブン売店もあるが、目に留まったのが待合室の奥にある「まちカフェ」のコーナー。手作りのパン、サンドイッチ、おにぎり弁当などがあり、こちらでいくつか仕入れる。松尾寺の境内でいただくことにしよう。

西舞鶴10時58分発の東舞鶴行きは、大阪からの福知山線の列車に接続していることもあってか結構混雑していた。一つ山越えする形で舞鶴の西から東へ移り、高架の東舞鶴に到着。次の小浜線の敦賀行きはホーム向かい側に停まっていて、すぐに出発する。

東舞鶴から7分、次の駅が松尾寺である。この駅に降り立つのは初めてで、1本だけのホームには私の他に2人が下車した。出で立ちからして松尾寺まで歩くのだろう。ようやくここから本日の本題である・・・。
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