焼山寺を14時すぎに出る。ここから鍋岩集落まで下り、町営バスに乗って神山町の寄井中に行き、徳島バスで徳島駅に戻る。焼山寺まで公共交通機関で来るならこのルートだし、クルマで来る場合もこの山道を通る。
先ほどまでのアップダウンに対して、復路はほぼ下りである。上りほどしんどくはないが、下りが続くのもきつい。たまに、左膝の後ろがピリッと来ることがある。3.5キロの距離で標高差は400メートルあるという。
車道をずっと歩くのかと思ったが、石段を下りるとすぐに標識があり、山道へと誘導される。車道を歩くのとどちらがいいかというところだが、クルマを気にしなくてもいいのは気分的には楽である。ジグザグした車道をショートカットするように下る。
車道に出る。結構行き来するクルマが多い。この道はこの先どこかに抜ける主要道でもないから、ほとんどが焼山寺参りだろう。その中にマイクロバスが連なって上ってくる。車内には白装束の人がずらり、巡拝ツアーの人たちである。普通の観光バスではこの坂道は上がれないため、鍋岩でマイクロバスに横持ちするそうだ。なかなかバスツアーも大変である。
この後も山道を下る。ふと気づくと、藤井寺から焼山寺までの上り道には、木にぶら下げられた札、メッセージがほとんどない。道は合っているのだろうが、変な方向に下りていないかと一瞬心配する。それとも、遍路ころがしで気持ちがピークになり、後は惰性で下っていくような道なのか。途中、歩いて登る一人とすれ違う。時間からして、神山町営のバスに乗ってきた人だろうか。
鍋岩までのほぼ中間点でまた車道に出てしばらく歩くと、杉の大木がある。その前で巡拝バスツアーの一団が般若心経を唱えている。杖杉庵(じょうしんあん)というところである。八十八所の札所ではないが、四国巡拝では有名なスポットとされている。
大木とお堂の横に銅像がある。右には僧侶、左には膝まずいて許しを乞うような人の姿。衛門三郎の像とある。四国遍路にはいろいろな伝説が残っているが、この衛門三郎伝説というのは広く知られているそうだ。
その昔、伊予の国に衛門三郎という豪族がいた。この人、土地の農民から重い税を取り立てる強欲な人物らしかった。ある日、一人の僧が屋敷の前に托鉢に来た。衛門三郎は追い払うが何度もやって来る。しまいには僧が持つ鉄鉢を取り上げて叩き割ってしまう。
僧はその場からはいなくなったが、その後、衛門三郎の家では8人の息子が次々と亡くなった。衛門三郎は、あの僧は修行で四国を回っている弘法大師で、自分の強欲を戒めるために来たのを無下に追い払った報いだと悔いて、田畑や屋敷を手放し、自分も大師を追うために四国を回る。しかし20回回っても大師に会うことができない。
そこで、「逆に回れば会えるのでは」として、21回目に逆に回ったが、焼山寺への途中で病に倒れる。自分の死期を悟ったところに現れたのが弘法大師。衛門三郎はそこで改めて自らの非礼を詫び、大師もこれを許す。望みはあるかと尋ねられた衛門三郎は、来世は伊予の国主の河野家に生まれ変わり、世の人に役立ちたいと言い残して息を引き取る。大師は「衛門三郎」と書いた石をその手に持たせた。そして、衛門三郎が持っていた杖をこの地に立てると、それが巨木になったという。
翌年、伊予の河野家に男の子が生まれた。しかし、左手は何かを握っていて離れない。そこで祈祷したところ、左手が開き、その中には「衛門三郎」と書かれた石が出てきた。これは衛門三郎の生まれ変わりだとして伝説となり、その石を納めたのが、松山の道後温泉の近くにある寺に納めた。これが観光地としても有名な石手寺の由来とされている・・・。
何とも教訓めいた話だが、弘法大師のたどった道を何度も歩くのが四国遍路の始まりと言われているし、逆に回れば弘法大師に会えるという「逆打ち」の始まりともされている。「弘法大師がずっと回っているのなら、追いかけずにその場で待っていればいずれは来るのに」とか、「逆に回れば会えるという単純なことに20回も回らなければ気づかないとは、衛門三郎は学習能力がない」などと、現代の合理的な発想で捉えては面白くない。まあ、手に石を持った子どもが生まれたというのは、後に長く伊予の国に勢力を持った河野氏の権威付けの話だろうが。
ちなみに、杖杉庵という名前からして、大きな木は杉だと思っていたが、後で写真をよく見るとイチョウである。元々は杉だったのが火災で焼けたそうで、後でイチョウを植え直したのだという。焼山寺の麓に、防火効果のあるイチョウがあるというのもシャレが効いている。
ここからまた昔ながらの道を下る。こうしたところを延々と下るのもなかなかない。途中、上ってくる人とすれ違う。巡拝の出で立ちでもなく、町営バスに乗ってきたにしては時間が中途半端である。
山道が終わり鍋岩の集落に出た。広場があり、観光バスが3台停まっている。ここがマイクロバスとの乗り継ぎ場所のようだ。時刻は15時を回っているが、町営バスには1時間以上ある。休憩できるところもあるし、ここで待つべきか。
ただここで思うのが、このまま徳島駅に戻るのももったいないなと思う。どうせ居酒屋に入って終わりである。おそらくこの先いつ訪ねることになるかわからない神山町をもう少し楽しむのはどうか。それに似合いそうなのが、神山温泉。朝から歩いて汗もたくさんかいたので、ちょうどいいだろう。徳島バスのルートの途中の停留所からも近そうだ。
スマホに入れていた徳島バスの時刻表では、神山高校前のバス停を16時05分に出る便がある。鍋岩からはおよそ4キロの距離だが、早足で行けば間に合いそうだ。1日3往復という町営バスがどんなものか乗ってみたい気持ちはあるが、この時は少しでも早く温泉に浸かりたい気持ちが勝ち、もう一歩きすることにした。普段の生活ならたぶんあり得ないことだが・・・・。
先ほどまでのアップダウンに対して、復路はほぼ下りである。上りほどしんどくはないが、下りが続くのもきつい。たまに、左膝の後ろがピリッと来ることがある。3.5キロの距離で標高差は400メートルあるという。
車道をずっと歩くのかと思ったが、石段を下りるとすぐに標識があり、山道へと誘導される。車道を歩くのとどちらがいいかというところだが、クルマを気にしなくてもいいのは気分的には楽である。ジグザグした車道をショートカットするように下る。
車道に出る。結構行き来するクルマが多い。この道はこの先どこかに抜ける主要道でもないから、ほとんどが焼山寺参りだろう。その中にマイクロバスが連なって上ってくる。車内には白装束の人がずらり、巡拝ツアーの人たちである。普通の観光バスではこの坂道は上がれないため、鍋岩でマイクロバスに横持ちするそうだ。なかなかバスツアーも大変である。
この後も山道を下る。ふと気づくと、藤井寺から焼山寺までの上り道には、木にぶら下げられた札、メッセージがほとんどない。道は合っているのだろうが、変な方向に下りていないかと一瞬心配する。それとも、遍路ころがしで気持ちがピークになり、後は惰性で下っていくような道なのか。途中、歩いて登る一人とすれ違う。時間からして、神山町営のバスに乗ってきた人だろうか。
鍋岩までのほぼ中間点でまた車道に出てしばらく歩くと、杉の大木がある。その前で巡拝バスツアーの一団が般若心経を唱えている。杖杉庵(じょうしんあん)というところである。八十八所の札所ではないが、四国巡拝では有名なスポットとされている。
大木とお堂の横に銅像がある。右には僧侶、左には膝まずいて許しを乞うような人の姿。衛門三郎の像とある。四国遍路にはいろいろな伝説が残っているが、この衛門三郎伝説というのは広く知られているそうだ。
その昔、伊予の国に衛門三郎という豪族がいた。この人、土地の農民から重い税を取り立てる強欲な人物らしかった。ある日、一人の僧が屋敷の前に托鉢に来た。衛門三郎は追い払うが何度もやって来る。しまいには僧が持つ鉄鉢を取り上げて叩き割ってしまう。
僧はその場からはいなくなったが、その後、衛門三郎の家では8人の息子が次々と亡くなった。衛門三郎は、あの僧は修行で四国を回っている弘法大師で、自分の強欲を戒めるために来たのを無下に追い払った報いだと悔いて、田畑や屋敷を手放し、自分も大師を追うために四国を回る。しかし20回回っても大師に会うことができない。
そこで、「逆に回れば会えるのでは」として、21回目に逆に回ったが、焼山寺への途中で病に倒れる。自分の死期を悟ったところに現れたのが弘法大師。衛門三郎はそこで改めて自らの非礼を詫び、大師もこれを許す。望みはあるかと尋ねられた衛門三郎は、来世は伊予の国主の河野家に生まれ変わり、世の人に役立ちたいと言い残して息を引き取る。大師は「衛門三郎」と書いた石をその手に持たせた。そして、衛門三郎が持っていた杖をこの地に立てると、それが巨木になったという。
翌年、伊予の河野家に男の子が生まれた。しかし、左手は何かを握っていて離れない。そこで祈祷したところ、左手が開き、その中には「衛門三郎」と書かれた石が出てきた。これは衛門三郎の生まれ変わりだとして伝説となり、その石を納めたのが、松山の道後温泉の近くにある寺に納めた。これが観光地としても有名な石手寺の由来とされている・・・。
何とも教訓めいた話だが、弘法大師のたどった道を何度も歩くのが四国遍路の始まりと言われているし、逆に回れば弘法大師に会えるという「逆打ち」の始まりともされている。「弘法大師がずっと回っているのなら、追いかけずにその場で待っていればいずれは来るのに」とか、「逆に回れば会えるという単純なことに20回も回らなければ気づかないとは、衛門三郎は学習能力がない」などと、現代の合理的な発想で捉えては面白くない。まあ、手に石を持った子どもが生まれたというのは、後に長く伊予の国に勢力を持った河野氏の権威付けの話だろうが。
ちなみに、杖杉庵という名前からして、大きな木は杉だと思っていたが、後で写真をよく見るとイチョウである。元々は杉だったのが火災で焼けたそうで、後でイチョウを植え直したのだという。焼山寺の麓に、防火効果のあるイチョウがあるというのもシャレが効いている。
ここからまた昔ながらの道を下る。こうしたところを延々と下るのもなかなかない。途中、上ってくる人とすれ違う。巡拝の出で立ちでもなく、町営バスに乗ってきたにしては時間が中途半端である。
山道が終わり鍋岩の集落に出た。広場があり、観光バスが3台停まっている。ここがマイクロバスとの乗り継ぎ場所のようだ。時刻は15時を回っているが、町営バスには1時間以上ある。休憩できるところもあるし、ここで待つべきか。
ただここで思うのが、このまま徳島駅に戻るのももったいないなと思う。どうせ居酒屋に入って終わりである。おそらくこの先いつ訪ねることになるかわからない神山町をもう少し楽しむのはどうか。それに似合いそうなのが、神山温泉。朝から歩いて汗もたくさんかいたので、ちょうどいいだろう。徳島バスのルートの途中の停留所からも近そうだ。
スマホに入れていた徳島バスの時刻表では、神山高校前のバス停を16時05分に出る便がある。鍋岩からはおよそ4キロの距離だが、早足で行けば間に合いそうだ。1日3往復という町営バスがどんなものか乗ってみたい気持ちはあるが、この時は少しでも早く温泉に浸かりたい気持ちが勝ち、もう一歩きすることにした。普段の生活ならたぶんあり得ないことだが・・・・。