まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第4回四国八十八所めぐり~遍路ころがしに挑む・2

2016年10月19日 | 四国八十八ヶ所
まずは遍路ころがしの一つ目をクリアして、これからまた山道に入る。雨はすっかり上がった。地面が多少ぬかるんでいるが、注意して進めば問題ない程度である。

気候的にもよかった。歩くと暑く、汗もかくのだが、風が心地よい。これが真夏なら大変なことになっていただろうし、リュックに入れた水や麦茶のペットボトルもたちまち飲み尽くしてしまうだろう。しばらくは緩やかな上りが続く。藤井寺の奥の院の前で一人、最初の遍路ころがしの途中で二人、鴨島の町並みを見るスポットで一人を追い越したが、その後は前にも後ろにも人の姿を見ない。寂しいといえば寂しいが、山の中、金剛杖に付いた鈴の音だけが山道に響くのも悪くない。ただそれも暗いので、一人なのをいいことに鼻唄を歌ってみたり、南無大師遍昭金剛でリズムを取ってみたりする。でもまあ、歩き続けると息切れしてこれらも長続きしない。

道に沿って、木々にさまざまな札がぶら下げられている。これは道しるべでもあるし、歩く人への励ましもある。中には遍路の格言のようなものもある。

中腹に眺望が開けたところがあり、簡単な屋根つきのベンチもある。遠くに見るのは、前に歩いた吉野川の中洲である。そんなところも歩いたなと思うと、上り方面から「おはようございます」と一人の男性がスタスタ歩いて通過した。時刻は9時にもなっていない。どこからスタートしたか知らないが、この時間でこの場所とは、かなりの健脚である。

道端に休憩中の遍路が二人。ここは水大師として、湧き水のあるスポットである。ここの水量は天候により変動するそうだが、この時は雨上がりということもあり、豊富に出ていた。先に休んでいた遍路姿のうち一人は、見た目は日本人だが話すのは英語。(根拠はないが)韓国の人なのかな。水を指差してほめていたし、レモン味のキャンディーを分けてくれて、「筋肉モリモリね」とジェスチャーで言う。筋肉モリモリにはならないにしても、レモンの酸っぱさは活力にはなる。ここで、手持ちのペットボトルに水を汲む。もう一人の人は「もう少しで長戸庵ですよ」と。二人は別に連れでなく、たまたま水大師に居合わせたもの。少し休んで3人同時にリュックを上げるが、お二人がのんびりなので私が先に行く形になった。こうなると、追いつかれたくないとペースを上げてしまう。

これから長戸庵。ちなみに読みは「ちょうどあん」。藤井寺から登って一息つくのに「ちょうど」いいというのでついた名らしい。このあたりは登山道としても整備しているのか、しっかりした案内札もある。

一方で、昔ながらの丁石もある。私が初めに見つけたのが、焼山寺まで百十丁というもの。一丁が108メートルに当たる。この先、「あと何丁」というこの石にも励まされることになる。

藤井寺から1時間で長戸庵に着く。この1時間というのも、「ちょうど」いい時間である。ここで休憩を兼ねて、般若心経のお勤め。ちなみにここには「女性小便専用」の看板があるトイレがある。女性小便専用? 男性なら大と小が別なのでわかるが、女性でそういうのは理由があるのかな。「受け皿」が違うのかもしれない。もちろん、中に入ったわけでなく、実際がわからないので、どなたかご存知の方がいらっしゃれば・・・。

これから中間点に当たる柳水庵を目指す。途中に上りがあったが、その後は轍の跡がある林道や、きれいに整備された尾根道がある。丁石が見えなくなった代わりに、「四国のみち」の標識が立つ。ここまで少しきつい上りはあったが、全体的に見てまだまだ「そこまでのことはない」という感じである。まさに「巨人はロッテより・・・」いや、何でもない。

あと少しで柳水庵というところで、急な下りに出会う。先には建物の屋根が見えるが、初めての本格的な下りにうなってしまう。金剛杖がなければ難儀したところである。下りの途中、「へんろころがし3/6」の立て札がある。これが3ヶ所目か。ならば、2ヶ所目はどこに・・・?いつの間にか通過したようだ。藤井寺から2時間少しで柳水庵に着く。距離でいえばちょうど中間点である。ここで二度目のお勤め。

この柳水庵は弘法大師が祈祷をして清水を得たという言い伝えがあり、手水鉢に水がどんどん流れ込んでいる。ここでも給水し、しばらく休憩。給水ができるのはここが最後である。なお、ここだけ男女兼用のトイレがある。大のほうをするにはちょっと勇気がいりそうだが・・・。

柳水庵は数年前までは庫裏にも人が住んでいて、焼山寺に向かう途中、一夜を明かすこともできた。こんな山の中に人が住めるのかなと不思議に思うが、すぐ下にクルマも通れる道に出る。ここまで道ができたことを顕彰する石碑もある。また、柳水庵に泊まれなくなった代わりということか、遍路小屋ができている。これは地元の人たちがボランティアで建てたもので、水は先の柳水庵に流れていたのと同じようにじゃぶじゃぶ出ているし、電気も通っている。体力的、時間的なことで、遍路ころがしの途中で一夜を過ごさざるを得ない人には格好の場所である。ノートがあったのでパラパラめくってみると、外国語の書き込みも多い。この時も軽トラが停まっていて、地元の人らしき人が草刈り機を動かしていた。遍路ころがしの道もこうした人たちの手入れによって、私のような素人でも迷わず安全に歩くことができる。こうした支えには感謝しなければならないと改めて思った。

中間点まで2時間半ということで、思ったよりもハイペースで来ている。林道からすぐに再び山道に入り、丁石を見る。あと五十丁とあり、気持ちの上ではこれをカウントダウンすればいいのだなと思う。

・・・ただ、これからの後半が、遍路ころがしの遍路ころがしたるゆえんだった。少しずつ、あちらからの逆襲が始まった・・・。
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