何しに行ったのかということもあるが、これがフィリピン人を連れて行ったとなるとなおのことよくわからないだろう。
「まつなるもとうとう"このスケベ社長サン~!!"の仲間入りか」と思われる向きもあるかもしれない。
種明かしをすればこう。私の会社の四国の支店で、海外プロジェクトでCADのオペレーターとして働いていたフィリピンの技術者がいるのだが、パスポートの更新期限が切れるので、四国から見て最寄になる大阪の領事館で更新手続きをするという。しかし大阪が全くの初めてなので、領事館まで付き添ってほしいという依頼を受けたものである。
この話は上司のところに入ったのだが、そういう役目となると私のところにお鉢が回ってくる。総務担当者というのは、本当に何でもやらないといけないものだ。
あ、言っときますが、その技術者というのは女性ではなく男性。従って私が「スケベ社長サン~!!」になることはありません・・・・。
私がフィリピンと聞いて連想するのは、上記の「スケベ社長サン~!!」に、マルコス大統領やベニグノ・アキノ氏という単語(いつの時代の政治家やねん)。いかに外国に対する理解がないかというところである。ちなみに、タガログ語での一言くらい言えればと、とっさに携帯でタガログ語の会話のサイトを探してみるが・・・・それが「オトナの会話」、平たく言えばベッドの上での会話が網羅されているもので・・・・これだけでも「どないやねん」と言いたくなる。
さて、四国の支店からは、彼を大阪行きの直通バスに乗せるので、到着地で出迎えてほしいとのこと。バスの到着時間に合わせる形で梅田に行ったのだが、バスが早く着いたようで、無事に彼(Yさん)と合流。
結局私はカタコトの英語で会話を図ることになる。ただ、何か外国語のフレーズを思い浮かべようとすれば簡体字がズラズラ出てくる思考回路のため、英語でも怪しげなものである。それでもまあ、こちらの最低限の意図は通じるようで、まずは昼食をということで誘い出す。
Yさんに何を食べたいかと尋ねると「何でもいい」というので、ならばと、魚沼産コシヒカリを使った和食の店に案内。フィリピンでは「箸」を使うのかなということもわからなかったが、少なくともYさんは器用に箸を操り、日本食については全く抵抗がない様子だった。お国ではエリートの大学を出ているとのことで、オペレーターの技術を生かしてこれまでいくつかの国で働いているとのことである。
この後は電車で京橋に移動し、ツインタワーの中にあるフィリピン領事館へ。ドアを開けるとそこはまさに外国。当然だろうが表示物はタガログ語もしくは英語で、日本語の表記といえば、フロアの中にあるスピード写真機の「照明写真」の看板のみ。
ここでYさんが必要書類に記載する間、しばらく席で待つことになる。どこの国に限らず領事館というところに来ることが初めてなので、そこに広がる「ネイティブ」の世界は不思議なものだ。ただ、これはフィリピン領事館の光景なのか、日本人の年配の旦那とフィリピンの若い女性が連れ立ってやってきて、「婚姻届」のブースの方に書類を出していたり、女性のほうがタガログ語と日本語を使い分けていたりという光景も見られる。こういう偏見は良くないのだが、やはり日比関係というのは「夜の世界」が占めるウエイトが高いのかなと思ってしまう。
必要書類は四国の支店のほうで持たせたとあるが、どこの国でも窓口手続きに戸惑う人がいるもの。「返信用の封筒がない」と指摘されたらしいYさんが「封筒はどこにあるでしょうか」と私のところに聞いてきた。落ち着いてバッグを開けさせ、持たされた書類一式を取り出させて中に紛れていたのを見つけた。また、「写真を持っていない」というので、スピード写真機に座らせて撮影させたり・・・。
何だかんだで無事に手続きは終了し、後はパスポートが四国の支店気付で送られてくることになった。やれやれ。
帰りは夕方のバスのチケットを持っていたが、「早く終われば早い便に変更して早く帰らせてほしい」とのことだったので、再び梅田に向かい、早い便の空席を尋ねる。空きがありこれで早く四国に戻ることになる。本来であれば大阪の案内(京橋に行ったのなら大阪城などよかったかな)をしてあげればよかったのだが、あまりそういう方面には興味がないようだし、明日は仕事なので早く帰りたいということであればそうしてあげよう。
結局大阪滞在3時間ということで少しの間の行動だったが、最後は握手して別れる。またどこかで会うことがあるかな・・・。