鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

国民栄誉賞ひとつ決められない首相

2008-09-01 | Weblog
 北京オリンピックで北島康介選手が100m、200m平泳ぎで2回連続で金メダルを獲得した直後に国民栄誉賞を出す、とかいう話が流れた。しかし、まだオリンピック開催中であることから様子を見よう、ということになり、終盤に女子ソフトボールチームが初めての金メダルを獲得したことからエースの上野由岐子選手に国民栄誉賞をあげた方がいいのでは、との声が出てきて、結局、現在に至るまで国民栄誉賞うんぬんの話は立ち消えとなった。何事にも慎重というか、優柔不断な福田首相にとっては無理だったようで、後味の悪い結果となった。
 今回の北京オリンピックで日本人選手の活躍は大会初日に金メダル3連覇が確実視されていた女子柔道48キロ級の田村亮子選手が緊張感からかガチガチになり、指導ひとつの差で準決勝で敗れ、銅メダルを獲ったものの先行き暗いものを投げかけた。それを世界新記録とともに見事期待通りに北島康介が100m平泳ぎで2大会連続の金メダルを獲得したことで、一挙に明るいものに変わった。新鋭のノルウェーのダーレオーエン選手に次ぐ記録で決勝に臨んだ北島康介は準決勝までとは戦法を変えて金メダルを勝ち取り、意義あるものだった。レース後、インタビューに現れた北島康介はタオルで出てくる涙をぬぐいながら「何も言えねー」と絶句するシーンが印象的だった。続く200m平泳ぎも金メダルを獲得し、2大会連続2冠の偉業を達成した。
 この偉業に対し、首相官邸で早速、北島康介に国民栄誉賞の授与の話が持ち上がったもので、低迷する福田首相の内閣支持率アップを図ろう、というものであったのは間違いない。しかし、まだオリンピックは開催中であるし、今後の展開によっては他に国民栄誉賞にふさわしい活躍が出ないとも限らない、との声も出て、様子見とあいなった。
 国民栄誉賞は1977年8月に奇しくも故福田赳夫元首相が創設したもので、第1回には77年9月に王貞治監督が756本のホームラン世界新記録達成を理由に授与されている。以後、これまで15人が授与されており、スポーツ選手では山下泰裕、衣笠祥雄、千代の富士、高橋尚子がもらっており、福本豊、イチローが辞退している。正直、明確な基準があるわけではなく、時の首相の判断ひとつで授与されているのが実態である。
 だから今回も福田首相が断固授与する、と言えば出せただろう。どうせ恣意的なものなのだから、だれに出しても批判はされ、議論は尽きないことだろう。人気取りと言われても実際そうなのだから仕方がない、と腹をくくるべきだろう。その腹がくくれないのが福田首相だった。で、結果としてはもうタイミングがずれてしまった。
 31日のTBSの「時事放談」に出演した藤井裕久民主党最高顧問は「国民栄誉賞を出すならスパッと出せばよかったのに」と語っていた。そして、オリンピックで一番印象に残ったことはと聞かれて、柔道の石井慧選手が帰国後、福田首相に招かれて会った後に「福田首相は人がいいですね。だから人気が出ないんですね」と言っていたエピソードをあげていた。
 1日の日本経済新聞によると、福田政権の内閣支持率は前回(8月はじめ)より9ポイント下がって29%と内閣改造前に逆戻りした。正直、国民栄誉賞ひとつ決められない首相には愛想が尽きたというところなのだろう。

追記 1日夜になって辞任会見した福田首相にとって、国民栄誉賞うんぬんどころか、自身が辞めるつもりだったのでは心中それどころでなかったのだろう。しかし、一生懸命活躍した選手はそんなことは知らないし、国民もようくやった、と讃えたい気持ちになんら変わりはない。そんな選手、国民の気持ちを忖度する余裕などなかったのだろう。これで、最後までどうしようもない御仁だったことがはっきりした。
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