鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

どこにもない豆腐屋さんの味が消えた

2008-09-12 | Weblog
 先日、裁判所へ傍聴に行った帰りに駅からの帰路にある行きつけの豆腐屋さんで豆腐を買おう、と思って行くと、平日にも拘わらずシャッターが下りていて、通り過ぎてしまい、隣のこれも行きつけの床屋さんのおかみさんに会ったので、「休みですか。珍しいですね」というと、おかみさんは「そうなの、ご主人が倒れてしまって、当分開けられないみたい」という。そういえば、ここ一週間ばかり、豆腐屋の主人と道ですれ違ったが、遠くから見て違う人か、と思うほどいかにも疲れた顔をしていた。夏場ここの冷奴は絶品なのにと残念な思いをしながら、帰ってきた。
 それから2、3日して、かみさんが買い物から、「一大事だよ」と言いながら家に入ってきた。「何事が起きたか」と聞くと、豆腐屋さんが亡くなった、という。病院に入院したとばかり思っていたのに、入っても手術もできずに逝ってしまったのだろう。あとで聞いたら、二子玉川まで配達に行った際に駐車場で倒れてしまい、しばらく放置状態で、気がついた人が救急車を呼んでくれたのだが、もう手遅れだった、という。死因は脳幹破裂で、動脈が切れてしまったのだろう。調べたら、高血圧が原因だ、という。
 享年74歳と平均寿命からいってまだ若い。溝ノ口駅前で50年近く前から「大寿々屋」なる号の豆腐屋を営んでおり、数ケ月前にテレビ朝日の「ちい散歩」に取り上げられたことがあり、店先で豆腐を食べさせるようなこともやって商店街の話題になった。その後「テレビで見た」と言って昔の知人がたくさんやってきた、というからいまとなってはそれが最後のお別れとなったのかもしれない。
 この豆腐屋さん、実はつい最近、豆腐の値段を一丁120円から140円に値上げした。原料の米国産大豆が原油価格の高騰でアップしたので、やむなく転嫁したのだろうが、ひょっとしてこの値上げによって経営的に苦境に立たされたのでは」ないだろうか、と思った。というのは最近、買いに行った際にパック済みの豆腐を袋に入れてくれたから、「あれっ」と思った記憶がある。いつもは豆腐が沈んでいる水槽のなかから掬ってくれるのに、レジのすぐ横に積んであったものをくれたからだ。店頭でバラ売りもするが、大半は業務用としてスーパー、八百屋、それにレストランに卸していて、量的にはそちらのが多いはずである。スーパーで買う時にあらかじめパックしてあるが、その時のはそうした包装のものだった。いまから考えれば、業務用に卸そうとしたものが残ってしまったのだろう、と思われる。
 一丁20円の値上げはこんな時勢ではやむを得ないと思われるが、業務用に仕入れている担当者からは嫌味のひとつやふたつ言われて、結果として仕入れ量を減らされたり、価格の据え置き、もしくは値上げ分のカットを求められたりしたのではなかろうか。結果として原材料価格のアップ分の大半をかぶらざるを得なくなったのでは、と推測される。その心労が死に至った、というわけである。よくある中小企業の経営苦である。
 推測の域を出ないが、十分に考えられることである。この豆腐屋さんは後継ぎがいなくて、長らく夫婦2人で経営してきた。葬式を終えた後も店頭には休業のお知らせの紙が貼り出されたまま、となっている。このままでは廃業せざるを得ないだろう。どこにもない”味”が消え去るのは贔屓の客としては誠に残念なことである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする