鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

身障者に対するケアは社会全体で

2008-09-22 | Weblog
 21日は名古屋でクラス会があるので、かみさんと連れだって新幹線に乗るべく溝の口から新横浜行きのバスに乗ることにした。いつもはひとつ先の高津高校前から乗るのだが、雨が降りそうだったので、始発の溝の口から乗ることにした。発車時間間際になって、ようやくバスが来たと思ったら、降車口を開けたまま運転手がバスから降りてきて、降車口の段から長さ2メートルくらいの金属の板状のものを引き出した。並んでいる列を見ると、車椅子の人がいる。どうやら、降車口の脇にある身障者席に乗り込むようである。金属板をスロープにし、上がり込んだ車椅子を運転手が押して、漸く無事に乗り込んだ。そして運転手は身障者から運賃を受け取っていた。ワンマンカーに身障者が乗り込むのを初めて見たが、すべての業務を運転手一人でこなさないといけないから大変だ。
で、一般乗客の乗車が始まった。始発だからスムーズにいったが、これが途中の停留所で雨でも降っていたりしたら大変である。日頃、身近に身障者がいないため、こうした光景を目にして改めて身障者に対するケアが必要だと思った。ただ、そうした周囲の思いを当たり前と平然としている当の身障者の態度を見ていると、そうした考えが普及しつつあるのかな、とも思った。
 バスに乗り込んで、さて件の身障者が降りる時も同じようにするのでは運転手もご苦労さんだな、でも終点だったら、今度は最後に降ろすのかしら、と思っていたら、終点の2つ前の「横浜スタジアム前」で降りた。もちろん、今回も運転手がスロープの金属板を引き出した。そんな周囲の思惑に関係なく、降りたった車椅子の身障者は携帯電話を取り出し、誰かと話し始めた。
よくよく考えると、身障者本人、もしくは保護者が溝の口午前10時40分発のバスに乗り、横浜スタジアムで降りるという情報を事前にバス運行会社に連絡しないとこうしたことにならない。健常者なら要らない作業が必要になる、というわけだ。以前なら、こうした作業は保護者なり、介護者が行ってきたが、社会に身障者に対するケアが大事との意識が普及して、身障者が一人で動けるようになってきたようだ。
そのうちに運転手が行ったことを一般市民が行うようになるのかもしれない。
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