鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

児童が健やかに成長していける社会をつくれ

2008-09-25 | Weblog
 福岡と千葉で相次いで児童の殺害事件が起きて、いずれも似たような経緯をたどっている。最初は変質者か、狂人による犯行か、と思わせたが、どうやら犯人は被害者の身近な人物に絞られたようで、本格的な無差別殺人時代の到来を思わせた事件も終わってみれば、家庭内のいざこざの延長であったことで関係者は胸をなでおろすこととなりそうである。東西で似たような事件が相次いで起きたが、どうしてこうした事件は続けて起きるのだろうか、事件の報道が犯罪心理に影響するものなのだろうか。
 福岡の6歳の男児殺害事件は当初からおかしかった。母親がトイレに行っているうちに男児がいなくなり、結果としてそのトイレの脇で死体となって発見されたのはどう考えても不思議だった。トイレにいて、犯行の際の物音なり、悲鳴を全く聞いていないことになり、見知らぬ人が児童に近づいて殺そうとしたら、そうした音なり、声が聞こえないはずがない。それに最初から、我が子を殺された母親の映像なり、声が全くテレビなり、新聞で伝わってこなかったことも異例だった。普通の母親だったら、何の罪もない我が子が殺されたのなら、あたり構わず泣き叫ぶ、そうした映像なり、声が電波や活字に乗らないはずがない。取材している記者としては犯人に対するメッセージとして届けよう、とするからだ。男児の葬式でも当の母親は現れなかった。そう思っていたら、数日経って実は母親が殺したことで、自供し、逮捕された。最初は育児ノイローゼと伝えられたが、どうやら男児に身体のことでなじられ、カッとなって殺したというから、男児にとっては憐れなこととなった。
 千葉県東金市の5歳の女児殺害も似たような展開となっている。病院に勤める母親のもとを去って、外出した女児が日中、しかも雨の降る住宅街の路上に全裸死体で放置されて見つかった。目撃者によると、わずか10分の間に殺され、全裸にされて放置され、その間、誰も悲鳴も物音らしきものも聞いていない。現場から100Mくらいの距離の駐車場に女児の着ていた着衣と靴が近くのスーパーのレジ袋に入れられて捨ててあった。という。死体の腕には強く掴まれた痕があった、というので、どうやら女児と親しい人が関わったのは明らかである。この事件も母親の肉声が少しも伝えられていないのが不思議である。
 報道によると、警察は周辺での聞き込み捜査をほとんどしていない、という。犯人のあたりがついていて、証拠固めに入っているようである。こちらはまだ、葬式はしていないようであるが、福岡の事件のように犯人が身近にいて、参列者があとで苦い思いをしないようにしてほしい。事件が判明したいまとなっては男児が通う小学校で校長先生が犯人にメッセージを発したり、登下校時の警備を強化したことなどが要らざることであった、と思えてくる。
 いずれ、判明することだろうが、犯人は女児の近親者のような気がしてならない。どういう事情があったにせよ、何の罪もない児童の命を奪うことは許せない。
他人が奪うのはもちろん、そうした極悪犯罪から児童を守るべき立場にいる近親者が手をかける、というのは世も末である。政治、経済の動きが激しくて、人々の関心の片隅に追いやられている感があるが、子供が健やかに成長していける社会をつくることこそ、政治の大きな目標であることを忘れてはならない。

追記 事件発生から2カ月半後の12月6日になって、千葉県東金市の女児殺害事件は近くに住む21歳の男性が死体遺棄容疑で逮捕され、解決をみた。捕まってみれば、他愛ない事件だったが、なぜスーパーのレジ袋についていた指紋があるのにこんなに時間がかかったのか、不思議である。犯人が裸の女児を抱えている姿が目撃されていたというから、ますます理解に苦しむ。慎重に捜査を進めたとはいえ、もっと早く逮捕してしかるべきだったろう。
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