鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

有閑マダムと地味な調停委員をうまく演じ分けた十朱幸代

2008-09-29 | Weblog
 28日は東京・初台の新国立劇場で近代能楽集「綾の鼓」と「弱法師」を観賞した。三島由紀夫原作の戯曲を新進の前田司郎、深津篤史が演出したもので、いかにも新国立劇場らしい試み。出演は十朱幸代、多岐川裕美、国広富之らとなっていたのも魅力で、三島由紀夫の世界をいかに現代に甦らせるか、興味があった。十朱幸代の舞台を見るのも初めてで、妖艶なマダムと地味な調停委員をうまく使い分けて演じていた。
 「綾の鼓」は東京・銀座あたりの法律事務所に勤める70歳の小間使いの老人が向かいのビルの洋装店に時々現れる顧客の有閑マダムに一目惚れして、毎日ラブレターを書き、女子店員に頼んで届けてもらっていた。受け取った洋装店の経営者は無視して犬の毛を刈るブラシをぬぐうのに使っていたが、今日はたまたま有閑マダムが来店していたので、居合わせたマダムの取り巻きと一緒に開けて、回し読みをした。みんなで大いに笑ったあと、「怪しからん」ということになり、ひとつ老人をからかってやろう、という話になる。
 取り巻きの一人の役者が持っていた綾の鼓を取り出し、「これを与えてガラス越しに聞こえたら、思いが届いたことになる」と言ってやろう、ということにする。綾の鼓はもともと鳴らないように作ってあり、それを知らない老人はきっと必死になって叩くだろう、という読みだった。果たして、鼓を受け取った老人は何回も鼓を叩くが、音は出ない。それを見た洋装店の取り巻き連中は大笑いした。ところが、からかわれたと知った老人は悲観して窓から飛び降り自殺してしまう。それを伝え聞いた一同は唖然とする。
 それから数日した深夜、洋装店に現れたマダムは窓越しに老人の幽霊に話かけ、もう一度鼓を打つように頼む。幽霊は必死に鼓を叩くが、マダムには聞こえない。
99回叩いたところで、力尽きて倒れこんでしまう。マダムは「もう1回叩けば聞こえたのに」と言って立ち去る。
 老人が自殺する場面までマダム役の十朱幸代は一切セリフを言わず、無言の演技を続け、幽霊と対面する場面で話し出す。すると、マダムどころか、部屋の鍵を盗み取った泥棒であることが判明、その落差もミソとなっている。その十朱幸代が後半の「弱法師」では頼りなさそうな中年の調停委員を演じ、この落差も面白かった。
 「弱法師」は養父母に育てられた20歳の盲目の青年の親権を生みの父母と争う家庭裁判所のやりとりを戯曲化したもので、生い立ちから今日になるまでをお互いの両親が主張した後、青年が登場し、どちらの愛情が深かったかを競う。最後は調停委員が青年と話合うことになるが、夕焼けの赤い空の景色を褒める調停委員に戦争で街中が焼ける景色が離れない、と言って青年はわめき散らす。最後は「お腹がすいた」と言って何か食べ物を所望し、調停委員は舞台を去っていくところで、終わる。何か、尻切れとんぼのような感じが残った。原作に忠実に作ったのだろうが、今風に少しは付け加えてもよかったのでは、と思った。
 能の作品風に現代劇を構成したようで、舞台装置も含め楽しめた作品であった。
コメント
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