鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

50年ぶりの再会で思うこと

2008-09-24 | Weblog
 23日は名古屋で50年ぶりの小学校のクラス会に出席した。昨年に隣の組のクラス会への参加を求められ、同時にクラス会を開催することを画策したが、なにせ遠隔地からの働きかけで功を奏せず、来年、つまり今年は小学校を卒業して50年という記念すべき年であることから、ぜひ開催しよう、と呼び掛けて実現した。名古屋市立旗屋小学校も創立100周年を迎えるというおめでたい年でもある。同学年には3つのクラスがあったが、幹事の都合で2つのクラスの合同クラス会となった。
 20年くらい前に学年全体の同窓会があり、その時に会った人もいるが、大方は50年ぶりに会う人ばかりで、顔を見ただけでは記憶が甦って来ない。じっと見て、当時の話をすると、うっすらと記憶が呼び醒まされる。だが、女性陣はなかなかそうはいかない。仮に街ですれ違っても名前すら思い出さないで、せいざいどこかで会ったかな、という程度で別れていくことだろう。考えてみれば、面と向き合って話をしたこともないような人がいて、単に名前だけがメモリーに刻まれているような人とは話の糸口すら見つからない。
 50年ぶりに会うということはまずは当時の思い出話から始まる。そして、いまの生活について話が及ぶが、家族構成や消息までにはいかない。2クラスで総勢30人近くが集まり、入れ替わり立ち替わり話を交わすと、ついつい最初の往時の思い出で終わってしまう。
 その中でもH先生とは忘れられない思い出がある。3年の2学期から当時先生の成り立てで担任となったばかりの先生は当時としては型破りの授業や4年生で生徒会の役員に立候補するなど革新的なことを次から次へと打ち出し、大いに刺激を受けたことを覚えている。先生のお宅には何回もお邪魔をしたし、宿直の時には宿直室に行って夜遅くまで遊んだ。76歳のいまでも名古屋市の小学校の放課後の校庭で児童が地域の人や他の学年の児童と交流するトワイライトスクールの教員として活躍している、という。
 もうひとりは中学校から私立のお嬢さん学校へ行ってしまったNさんで、長身で華麗な出で立ちはいまも群を抜いている。思い出としては学芸会で乙姫さまを演じたことと、屋外の写生会で、通りかかった人がNさんの絵を見て、「300円で売ってくれ」と言ったことで、いまも語り草となっている。
 こうしたクラス会はタイムスリップして往時の童心に戻る面で楽しいものである。もちろん、出席するメンバーのなかには数年に一度は会って飲んだりしている人もいるが、そうでない人とはこうした集まりで思い出話をするだけにとどまっている。いままでサラリーマン生活にどっぷり浸かっているうちはそれでよかったが、これから時間を持て余す生活になっていくなかで、もう少し考えてみてもいいのかも知れない。昔の仲間と改めて付き合いの深まるような仲が生まれてくるものなのか、自身の今後の身のふり方も含めてどうなっていくものなのか、興味はつきない。
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