今回は、ボロディンの歌劇<イーゴリ公>・第3回。第2幕の続きで、イーゴリ公がアリアを歌う場面から。
〔 第2幕 〕 ~続き
ウラジーミルとコンチャコヴナの二重唱が終わった後、テントの中からイーゴリ公が出て来て有名なアリアを歌う。それは悲痛なレチタティーヴォから始まるが、やがてよく戦ってくれたロシア軍に想いを馳せる勇壮な歌「楽しげな戦いの宴の歌、我が敵に対する勝利」となり、さらに、遠い祖国で自分を待っている妻への呼びかけ「ただ一人、我が愛する妻だけは分かってくれるだろう」と続く。そして再び、またはじめの悲痛な雰囲気に戻る。ちなみに、妻への想いを歌い出すこのアリアの中間部は、序曲の第2主題にもなっている非常に有名な旋律である。
(※M=パシャイエフ盤でイーゴリ公を歌っているのは、アンドレイ・イワノフ。実に剛毅な声の持ち主だ。これこそロシアのドラマティック・バリトン、という感じである。いかにもイーゴリ公らしいイーゴリ公と言えるだろう。この後に続く豪壮なコンチャク汗とのやり取り場面でも、声の威力と存在感において全く遜色がない。お見事。)
(※映画版で歌っているV・キニャーエフという歌手も、アンドレイ・イワノフの声を引き継いだような堂々たるドラマティック・バリトンである。この人のイーゴリ公も良い。他の出演歌手たちより、一頭地を抜く存在感がある。)
(※エルムレル盤でイーゴリ公を歌っているのは、旧ソ連時代の重鎮バス歌手イワン・ペトロフ。実は当ブログを立ち上げた最初期に、この人をトピックにしたことがあった。しかしそれはもう丸2年も前のことゆえ、今読み直してみるとちょっと恥ずかしくなるようなレベルのことを書いていた。と言うより、初期の記事を見ると情けない物が他にもあちこち・・。 orz
それはともかく、ペトロフのイーゴリ公というのはやはり、いつ聴いても圧倒的である。オン・マイクな録音のとり方によって一層強調されることになるのだが、この人の歌唱に聴かれる雄大さには、他との比較を絶するものがある。スケールの大きさにある種の気高さまでが加わって、まるで“ロシアのヴォータン”とでも呼びたくなるような、偉大にして崇高なイーゴリ像が現出しているのだ。深みのある低音、ハイ・バリトンの音域にまで達する朗々たる高音、そしてゆるぎない歌の造型。これらの美質が十全に揃って、比類なき声のドラマを作り出しているのである。素晴らしい名唱だ。)
(※ハイティンクのライヴで歌っているセルゲイ・レイフェルクスについては逆に、幾分批判的なニュアンスを込めて注釈を入れねばならない。映像を鑑賞していると、彼が立派に演じているのは分かるし、それなりに善戦していることもじゅうじゅう認められる。しかし、声が違うのである。具体的にどう違うのか、ということについては、ロシア・オペラの演奏史に少し触れてみると分かりやすい説明が出来ると思う。
戦後の所謂ボリショイ黄金期に活躍したバリトン歌手の中に、2人のイワノフがいた。アンドレイ・イワノフと、アレクセイ・イワノフである。どちらもイニシャル表記するとA・イワノフになってしまうので非常に紛らわしいのだが、この両者の声とキャラクターは全く違うものだった。前者アンドレイは、上述の通り、堂々たる声を持った典型的なロシアのドラマティック・バリトン。いくぶんアクのある太くたくましい声で、素晴らしいイーゴリ公を歌った。私は未聴ながら、オネーギンも得意としていたらしい。もう一方のアレクセイは、同じバリトンでも、もっと甲高い響きを持ったハイ・バリトンの歌手。受け持つ役としては<スペードの女王>のトムスキーや、<ボリス・ゴドゥノフ>のシチェルカロフ(あるいは、録音があるかどうかは不明だが、ランゴーニ)などがよく似合った人である。
声の点で言うとレイフェルクスはその後者、つまりアレクセイ・イワノフの流れを継ぐ人なのである。だからトムスキーやランゴーニにはぴったりだが、<イーゴリ公>のタイトル役までやるのはちょっと似合わないよ、ということを私は言いたいのだ。この役を歌うには、彼の声はあまりにも軽くて“へらちょんぺ”なのである。尤も、この人だけを聴いていたら、イーゴリ公はこういう声で歌うものだと納得されてしまうかも知れないが・・。)
悩めるイーゴリ公のところにオヴルール(T)という一人のポロヴェッツ人がやって来て、イーゴリに逃亡を促す。イーゴリは、「こっそりと逃げ出すような真似は、この俺には出来ない」と、最初はオヴルールの申し出を拒否する。が、やがて、それも一つの道かもしれないと、考え直し始める。
(※イーゴリ公を助けに現れるオヴルールという男の素性については、森安達也氏の著作『イーゴリ遠征物語』という本の中でいくつかの手がかりを見出すことが出来る。筑摩書房から1987年に出版された同書は、このオペラの原典となっている『イーゴリ公遠征譚』について詳しい解説を行なった本である。以下、同書から得た知識をもとにして、私なりにこの謎めいた人物についての簡単な整理をしてみたい。
オヴルールという男は、ポロヴェッツ人達から見ればとんでもない裏切り者なわけだが、彼には彼なりの事情と都合があったようだ。まず、「キリスト教の洗礼を受けたポロヴェッツ人」というのが、オヴルールの基本的な人物設定である。ハイティンクのライヴ映像を観ていると、彼は金色に輝く大きな十字架を胸に下げていて、それをイーゴリ公、及び客席の聴衆にもよく見えるように強調して出して見せる。さらに、森安氏の『イーゴリ遠征物語』148ページには、18世紀ロシアの歴史家であるタチシチェフという人によるおおよそ次のような内容の解説文が載っている。
「オヴルールの母親はロシア人だった。ポロヴェッツ人たちから受けるいやがらせに苦しんでいた彼は、いつかロシアへ行きたいと考えていた。やがてイーゴリ公を助けてロシアへ入った彼は、公から貴族に取り立てられ、妻も世話してもらった」。
オペラ理解の一助にしていただけたら幸いである。)
―この続きは、次回。いよいよ、あの『ポロヴェッツ人の踊りと合唱』が出て来る場面に入る。
【2019年3月27日 追記】
●アレクサンドル・バトゥーリンが歌うイーゴリ公のアリア(1941年)
この記事を投稿してから、間もなく12年4ヶ月。結構な年月が経った。今から何年ぐらい前になるか、メリク=パシャイエフの<イーゴリ公>には、当記事で扱っている1951年盤とは別に1941年の録音もあるらしいことを、YouTubeサーフィン中に知った。その一部をつまみ食い的に聴いた感じでは、総合的な意味で1951年盤にはとても及ばないという印象だった。しかし、そこでイーゴリ公を歌っていたアレクサンドル・バトゥーリンというバス歌手は、並々ならぬ実力の持ち主であったようにお見受けする。その根拠となる歌唱が、こちら↓。
〔 第2幕 〕 ~続き
ウラジーミルとコンチャコヴナの二重唱が終わった後、テントの中からイーゴリ公が出て来て有名なアリアを歌う。それは悲痛なレチタティーヴォから始まるが、やがてよく戦ってくれたロシア軍に想いを馳せる勇壮な歌「楽しげな戦いの宴の歌、我が敵に対する勝利」となり、さらに、遠い祖国で自分を待っている妻への呼びかけ「ただ一人、我が愛する妻だけは分かってくれるだろう」と続く。そして再び、またはじめの悲痛な雰囲気に戻る。ちなみに、妻への想いを歌い出すこのアリアの中間部は、序曲の第2主題にもなっている非常に有名な旋律である。
(※M=パシャイエフ盤でイーゴリ公を歌っているのは、アンドレイ・イワノフ。実に剛毅な声の持ち主だ。これこそロシアのドラマティック・バリトン、という感じである。いかにもイーゴリ公らしいイーゴリ公と言えるだろう。この後に続く豪壮なコンチャク汗とのやり取り場面でも、声の威力と存在感において全く遜色がない。お見事。)
(※映画版で歌っているV・キニャーエフという歌手も、アンドレイ・イワノフの声を引き継いだような堂々たるドラマティック・バリトンである。この人のイーゴリ公も良い。他の出演歌手たちより、一頭地を抜く存在感がある。)
(※エルムレル盤でイーゴリ公を歌っているのは、旧ソ連時代の重鎮バス歌手イワン・ペトロフ。実は当ブログを立ち上げた最初期に、この人をトピックにしたことがあった。しかしそれはもう丸2年も前のことゆえ、今読み直してみるとちょっと恥ずかしくなるようなレベルのことを書いていた。と言うより、初期の記事を見ると情けない物が他にもあちこち・・。 orz
それはともかく、ペトロフのイーゴリ公というのはやはり、いつ聴いても圧倒的である。オン・マイクな録音のとり方によって一層強調されることになるのだが、この人の歌唱に聴かれる雄大さには、他との比較を絶するものがある。スケールの大きさにある種の気高さまでが加わって、まるで“ロシアのヴォータン”とでも呼びたくなるような、偉大にして崇高なイーゴリ像が現出しているのだ。深みのある低音、ハイ・バリトンの音域にまで達する朗々たる高音、そしてゆるぎない歌の造型。これらの美質が十全に揃って、比類なき声のドラマを作り出しているのである。素晴らしい名唱だ。)
(※ハイティンクのライヴで歌っているセルゲイ・レイフェルクスについては逆に、幾分批判的なニュアンスを込めて注釈を入れねばならない。映像を鑑賞していると、彼が立派に演じているのは分かるし、それなりに善戦していることもじゅうじゅう認められる。しかし、声が違うのである。具体的にどう違うのか、ということについては、ロシア・オペラの演奏史に少し触れてみると分かりやすい説明が出来ると思う。
戦後の所謂ボリショイ黄金期に活躍したバリトン歌手の中に、2人のイワノフがいた。アンドレイ・イワノフと、アレクセイ・イワノフである。どちらもイニシャル表記するとA・イワノフになってしまうので非常に紛らわしいのだが、この両者の声とキャラクターは全く違うものだった。前者アンドレイは、上述の通り、堂々たる声を持った典型的なロシアのドラマティック・バリトン。いくぶんアクのある太くたくましい声で、素晴らしいイーゴリ公を歌った。私は未聴ながら、オネーギンも得意としていたらしい。もう一方のアレクセイは、同じバリトンでも、もっと甲高い響きを持ったハイ・バリトンの歌手。受け持つ役としては<スペードの女王>のトムスキーや、<ボリス・ゴドゥノフ>のシチェルカロフ(あるいは、録音があるかどうかは不明だが、ランゴーニ)などがよく似合った人である。
声の点で言うとレイフェルクスはその後者、つまりアレクセイ・イワノフの流れを継ぐ人なのである。だからトムスキーやランゴーニにはぴったりだが、<イーゴリ公>のタイトル役までやるのはちょっと似合わないよ、ということを私は言いたいのだ。この役を歌うには、彼の声はあまりにも軽くて“へらちょんぺ”なのである。尤も、この人だけを聴いていたら、イーゴリ公はこういう声で歌うものだと納得されてしまうかも知れないが・・。)
悩めるイーゴリ公のところにオヴルール(T)という一人のポロヴェッツ人がやって来て、イーゴリに逃亡を促す。イーゴリは、「こっそりと逃げ出すような真似は、この俺には出来ない」と、最初はオヴルールの申し出を拒否する。が、やがて、それも一つの道かもしれないと、考え直し始める。
(※イーゴリ公を助けに現れるオヴルールという男の素性については、森安達也氏の著作『イーゴリ遠征物語』という本の中でいくつかの手がかりを見出すことが出来る。筑摩書房から1987年に出版された同書は、このオペラの原典となっている『イーゴリ公遠征譚』について詳しい解説を行なった本である。以下、同書から得た知識をもとにして、私なりにこの謎めいた人物についての簡単な整理をしてみたい。
オヴルールという男は、ポロヴェッツ人達から見ればとんでもない裏切り者なわけだが、彼には彼なりの事情と都合があったようだ。まず、「キリスト教の洗礼を受けたポロヴェッツ人」というのが、オヴルールの基本的な人物設定である。ハイティンクのライヴ映像を観ていると、彼は金色に輝く大きな十字架を胸に下げていて、それをイーゴリ公、及び客席の聴衆にもよく見えるように強調して出して見せる。さらに、森安氏の『イーゴリ遠征物語』148ページには、18世紀ロシアの歴史家であるタチシチェフという人によるおおよそ次のような内容の解説文が載っている。
「オヴルールの母親はロシア人だった。ポロヴェッツ人たちから受けるいやがらせに苦しんでいた彼は、いつかロシアへ行きたいと考えていた。やがてイーゴリ公を助けてロシアへ入った彼は、公から貴族に取り立てられ、妻も世話してもらった」。
オペラ理解の一助にしていただけたら幸いである。)
―この続きは、次回。いよいよ、あの『ポロヴェッツ人の踊りと合唱』が出て来る場面に入る。
【2019年3月27日 追記】
●アレクサンドル・バトゥーリンが歌うイーゴリ公のアリア(1941年)
この記事を投稿してから、間もなく12年4ヶ月。結構な年月が経った。今から何年ぐらい前になるか、メリク=パシャイエフの<イーゴリ公>には、当記事で扱っている1951年盤とは別に1941年の録音もあるらしいことを、YouTubeサーフィン中に知った。その一部をつまみ食い的に聴いた感じでは、総合的な意味で1951年盤にはとても及ばないという印象だった。しかし、そこでイーゴリ公を歌っていたアレクサンドル・バトゥーリンというバス歌手は、並々ならぬ実力の持ち主であったようにお見受けする。その根拠となる歌唱が、こちら↓。