今回は、年末年始特番の第3回。2人の異能(?)指揮者のレアな録音について。
●クアドロマニア盤に聴く若き日のチェリビダッケ
「クアドロマニア」と呼ばれる一連の4枚組廉価ボックス・シリーズがある。クアドロ(=quadro)は数字の4を表す単語だから、これは、「マニアのための4枚組」みたいな意味で付けられた名前だろう。元の音源が古いこともあって、このシリーズはとても安い。昨年来、私もいくつかのセットを買ったのだが、その中の一つが、『セルジュ・チェリビダッケ マエストロ・プロフォンド』であった。
正直言ってチェリビダッケは、私には全く縁遠い指揮者である。しかし若い頃の彼、つまり、「フルトヴェングラーの後を継いでベルリン・フィルを任されることになるのはカラヤンか、それともチェリビダッケか」と言われていた頃の彼がどんな演奏をしていたのか、ということにはずっと興味があった。かつて古い映像で観たベルリン・フィルとの演奏での、あのやたらアブない風貌と気色悪い指揮姿もその気持ちを駆り立てるに十分な力があった。
赤い箱に入った4枚のCDには、期待通り、若い頃の彼がベルリン・フィルを振った演奏が中心に収められている。ハイドンの<驚愕>(1946年)、メンデルスゾーンの<イタリア>(50年)、チャイコフスキーの<ロミオとジュリエット>(46年)、ドビュッシーの<海>(47年)と<遊戯>(48年)、ブゾーニの<ヴァイオリン協奏曲>(49年)、そしてショスタコーヴィチの<第7番>(46年)といったところだ。しかし私の感想としては、これらベルリン・フィルとの演奏よりも、併録されたロンドン・フィルとの2つ、即ちモーツァルトの<交響曲第25番>とチャイコフスキーの<交響曲第5番>(いずれも1948年)の演奏の方が断然面白かった。
ベルリン・フィルとの演奏は、良くも悪くも、若い指揮者の棒である。あの晩年のスタイルとは似ても似つかない、しゃきしゃきとした音楽で活気がある。それ自体は、好ましいポイントだ。ハイドンの第2楽章など、あざといまでの音の仕掛けで、聴く者を本当に驚愕させる。が、その一方で、何か音楽がつんのめり気味で安定感に欠けていたり、逆に何を言いたいのか分からないような凡演も多く目につく。だからカラヤンに負けたんだ、とかそんな単純な話ではないだろうが、とりあえず、ここで聴かれるベルリン・フィルとの演奏には総じて、あまり惹かれるものを私は感じなかった。
しかし、ロンドン・フィルとの2曲はかなり面白かった。何が面白いって、その異様なテンポ設定である。まずモーツァルトの方だが、これは第1楽章の激しい疾走がとりあえず聴き手を惹きつける。「さすがに、音楽が若々しいなあ」と思わせる。ところが第2楽章に入ると、ドド、ドヨーンとテンポが遅くなって、音楽が異様な暗さに沈んでいくのである。一体何事だ?それが第3、4楽章になるとまた落ち着いたテンポになって、割と普通の感じで終わる。う~ん・・。もっと凄いのはチャイコフスキーの<第5番>で、特に前半2つの楽章は晩年のスタイルさながらのびっくり仰天超スロー・テンポ。でも遅いだけのワン・パターンではなく、速いところはひたすら速い。伸縮自在、やりたい放題なのである。つまり同じスロー・テンポでも、スコアの深読みから音楽を緻密に練り上げていった晩年の芸風とはだいぶ趣が違うのだ。要するに、「ここは、うーんとゆっくりやりたい。逆にこっちは、ガンガン飛ばして」という、若さ溢れる表現意欲が前面に出ていたのではないかと思われるのである。このスタイルで後半2つの楽章も徹底してくれていたら、もっと面白かったのだが。―という訳で、このロンドン・フィルとの2曲が聴けただけでも、お値段分の価値は十分あったのだった。
(※ところで、晩年に超スロー・テンポの音楽ばかりやっていたという点では、あのレナード・バーンスタインもそうだった。彼も若い頃は全開バリバリのイケイケ演奏を多くやっていたのだが、上記チェリビダッケの<チャイ5>のように、あれっ、と思わせるような音源につい数年前出会った。1963年に録音されたドヴォルザークの<交響曲第7番>である。バーンスタインが若い頃に<ドヴォ7>をやっていたというのはちょっと意外だったが、外盤で入手したCDを聴いて、あれまあ、と思ったのである。晩年のスタイルを思わせるような、何ともゆったりしたテンポのスロー演奏。勿論、それはあくまで若い指揮者の音楽ではあったのだが、へえ、こういうのもあったのか、とひとしきり唸ってしまった。)
●キレまくりサバタの『20世紀レパートリー』
ヴィクトール・デ・サバタという指揮者は、マリア・カラスとの<トスカ>全曲(EMI)が名高い録音ではあるものの、一般のクラシック・ファンに広く親しまれている人物とは言い難いように思える。上記<トスカ>以外の正式な録音セッションと言えば、あとはヴェルディの<レクイエム>(EMI)ぐらいしか確かなかったから、無理もない話だ。オペラ・ファンなら、他にカラスとの<マクベス>全曲ライヴ(EMI)なども思いつくだろうが、それだってポピュラーな物とはとても言えない。しかし、これら3点の録音からも伝わってくるとおり、彼がただならぬ力量の持ち主であったことは間違いなく事実なのである。
このサバタがコンサート指揮者としてどんな演奏をやっていたか、ということに私は前々から興味があった。そして昨年、廉価レーベルのArchipelというところから出ているCDで、『デ・サバタ 20世紀レパートリー』と題された2枚組を入手し、今年に入ってからじっくり聴いた。これには1947年から53年にかけてのライヴが中心に収められているのだが、特にウィーン・フィルとの2曲が凄かった。
極めつけは、ラヴェルの<ラ・ヴァルス>。添えつけのブックレットによると、1953年に行なわれたザルツブルクでのライヴ録音らしい。これ、かなり異常な演奏である。なだらかなワルツをねっとり歌わせるのは、まあいいとして、演奏が進むに連れてその音楽の異様さがどんどん目立ってくる。曲の最後の部分に至ると、ついにこの指揮者は完全にキレて、もう言語を絶するハチャメチャ、ドシャガシャの凶暴サウンドで締めくくるのだ。これがラヴェル?これがウィーン・フィル? 同じコンビによるもう1曲、R・シュトラウスの交響詩<死と変容>も、<ラ・ヴァルス>ほどではないものの、相当にイってしまった演奏だ。病人が生と死の狭間で葛藤する場面など、その取り乱し方が尋常ではない。いずれにしても、ウィーン・フィルの音をトタン工場の花火事故みたいにしちゃったサバタの感性と腕前は、やはりただものではないと言うべきだろう。w
上記2曲に次ぐのは、ラフマニノフの<パガニーニの主題による狂詩曲>だろうか。これはニューヨーク・フィルとの1950年3月のライヴで、ピアノ独奏はアルトゥール・ルビンシュタイン。何だか急き立てられるような緊張感を持った演奏で、豪快なソロをサバタが特有のかんしゃく玉サウンド(?)で支えていく。
あと、これはおそらくボーナス・トラックという感じで付けられている物だと思うが、2枚目の最後にサンフランシスコ響とのリハーサル風景が少しだけ収められている。で、これがなかなか楽しい。やっているのは、<サロメの踊り>。演奏の途中あちこちでストップをかけて楽員への指示や注意が入るので、曲自体をゆっくり楽しむことは出来ないものの、この指揮者ならではの音楽世界はしっかりと味わえる。そして、最後の通し演奏が終わった瞬間が、何とも微笑ましい。 “Thank you,gentlemen.”という指揮者の言葉が出ると同時に、オーケストラのメンバーが、「ああ~、終わった、終わった~」という感じで、一斉にみんな安堵の息をついて帰り支度を始める様子が、短い時間ながら記録されているのだ。ちょっと現場をのぞき見させてもらった感じ。
最後に一つ。このCDのジャケット表紙下部に書かれた“Desert Island Collection”という一句を目にした時は、噴き出して笑った。これを日本語にすれば、「無人島コレクション」である。誰がこんな物を、無人島にまで持って行きたいなんて思うかあ!(爆)
●クアドロマニア盤に聴く若き日のチェリビダッケ
「クアドロマニア」と呼ばれる一連の4枚組廉価ボックス・シリーズがある。クアドロ(=quadro)は数字の4を表す単語だから、これは、「マニアのための4枚組」みたいな意味で付けられた名前だろう。元の音源が古いこともあって、このシリーズはとても安い。昨年来、私もいくつかのセットを買ったのだが、その中の一つが、『セルジュ・チェリビダッケ マエストロ・プロフォンド』であった。
正直言ってチェリビダッケは、私には全く縁遠い指揮者である。しかし若い頃の彼、つまり、「フルトヴェングラーの後を継いでベルリン・フィルを任されることになるのはカラヤンか、それともチェリビダッケか」と言われていた頃の彼がどんな演奏をしていたのか、ということにはずっと興味があった。かつて古い映像で観たベルリン・フィルとの演奏での、あのやたらアブない風貌と気色悪い指揮姿もその気持ちを駆り立てるに十分な力があった。
赤い箱に入った4枚のCDには、期待通り、若い頃の彼がベルリン・フィルを振った演奏が中心に収められている。ハイドンの<驚愕>(1946年)、メンデルスゾーンの<イタリア>(50年)、チャイコフスキーの<ロミオとジュリエット>(46年)、ドビュッシーの<海>(47年)と<遊戯>(48年)、ブゾーニの<ヴァイオリン協奏曲>(49年)、そしてショスタコーヴィチの<第7番>(46年)といったところだ。しかし私の感想としては、これらベルリン・フィルとの演奏よりも、併録されたロンドン・フィルとの2つ、即ちモーツァルトの<交響曲第25番>とチャイコフスキーの<交響曲第5番>(いずれも1948年)の演奏の方が断然面白かった。
ベルリン・フィルとの演奏は、良くも悪くも、若い指揮者の棒である。あの晩年のスタイルとは似ても似つかない、しゃきしゃきとした音楽で活気がある。それ自体は、好ましいポイントだ。ハイドンの第2楽章など、あざといまでの音の仕掛けで、聴く者を本当に驚愕させる。が、その一方で、何か音楽がつんのめり気味で安定感に欠けていたり、逆に何を言いたいのか分からないような凡演も多く目につく。だからカラヤンに負けたんだ、とかそんな単純な話ではないだろうが、とりあえず、ここで聴かれるベルリン・フィルとの演奏には総じて、あまり惹かれるものを私は感じなかった。
しかし、ロンドン・フィルとの2曲はかなり面白かった。何が面白いって、その異様なテンポ設定である。まずモーツァルトの方だが、これは第1楽章の激しい疾走がとりあえず聴き手を惹きつける。「さすがに、音楽が若々しいなあ」と思わせる。ところが第2楽章に入ると、ドド、ドヨーンとテンポが遅くなって、音楽が異様な暗さに沈んでいくのである。一体何事だ?それが第3、4楽章になるとまた落ち着いたテンポになって、割と普通の感じで終わる。う~ん・・。もっと凄いのはチャイコフスキーの<第5番>で、特に前半2つの楽章は晩年のスタイルさながらのびっくり仰天超スロー・テンポ。でも遅いだけのワン・パターンではなく、速いところはひたすら速い。伸縮自在、やりたい放題なのである。つまり同じスロー・テンポでも、スコアの深読みから音楽を緻密に練り上げていった晩年の芸風とはだいぶ趣が違うのだ。要するに、「ここは、うーんとゆっくりやりたい。逆にこっちは、ガンガン飛ばして」という、若さ溢れる表現意欲が前面に出ていたのではないかと思われるのである。このスタイルで後半2つの楽章も徹底してくれていたら、もっと面白かったのだが。―という訳で、このロンドン・フィルとの2曲が聴けただけでも、お値段分の価値は十分あったのだった。
(※ところで、晩年に超スロー・テンポの音楽ばかりやっていたという点では、あのレナード・バーンスタインもそうだった。彼も若い頃は全開バリバリのイケイケ演奏を多くやっていたのだが、上記チェリビダッケの<チャイ5>のように、あれっ、と思わせるような音源につい数年前出会った。1963年に録音されたドヴォルザークの<交響曲第7番>である。バーンスタインが若い頃に<ドヴォ7>をやっていたというのはちょっと意外だったが、外盤で入手したCDを聴いて、あれまあ、と思ったのである。晩年のスタイルを思わせるような、何ともゆったりしたテンポのスロー演奏。勿論、それはあくまで若い指揮者の音楽ではあったのだが、へえ、こういうのもあったのか、とひとしきり唸ってしまった。)
●キレまくりサバタの『20世紀レパートリー』
ヴィクトール・デ・サバタという指揮者は、マリア・カラスとの<トスカ>全曲(EMI)が名高い録音ではあるものの、一般のクラシック・ファンに広く親しまれている人物とは言い難いように思える。上記<トスカ>以外の正式な録音セッションと言えば、あとはヴェルディの<レクイエム>(EMI)ぐらいしか確かなかったから、無理もない話だ。オペラ・ファンなら、他にカラスとの<マクベス>全曲ライヴ(EMI)なども思いつくだろうが、それだってポピュラーな物とはとても言えない。しかし、これら3点の録音からも伝わってくるとおり、彼がただならぬ力量の持ち主であったことは間違いなく事実なのである。
このサバタがコンサート指揮者としてどんな演奏をやっていたか、ということに私は前々から興味があった。そして昨年、廉価レーベルのArchipelというところから出ているCDで、『デ・サバタ 20世紀レパートリー』と題された2枚組を入手し、今年に入ってからじっくり聴いた。これには1947年から53年にかけてのライヴが中心に収められているのだが、特にウィーン・フィルとの2曲が凄かった。
極めつけは、ラヴェルの<ラ・ヴァルス>。添えつけのブックレットによると、1953年に行なわれたザルツブルクでのライヴ録音らしい。これ、かなり異常な演奏である。なだらかなワルツをねっとり歌わせるのは、まあいいとして、演奏が進むに連れてその音楽の異様さがどんどん目立ってくる。曲の最後の部分に至ると、ついにこの指揮者は完全にキレて、もう言語を絶するハチャメチャ、ドシャガシャの凶暴サウンドで締めくくるのだ。これがラヴェル?これがウィーン・フィル? 同じコンビによるもう1曲、R・シュトラウスの交響詩<死と変容>も、<ラ・ヴァルス>ほどではないものの、相当にイってしまった演奏だ。病人が生と死の狭間で葛藤する場面など、その取り乱し方が尋常ではない。いずれにしても、ウィーン・フィルの音をトタン工場の花火事故みたいにしちゃったサバタの感性と腕前は、やはりただものではないと言うべきだろう。w
上記2曲に次ぐのは、ラフマニノフの<パガニーニの主題による狂詩曲>だろうか。これはニューヨーク・フィルとの1950年3月のライヴで、ピアノ独奏はアルトゥール・ルビンシュタイン。何だか急き立てられるような緊張感を持った演奏で、豪快なソロをサバタが特有のかんしゃく玉サウンド(?)で支えていく。
あと、これはおそらくボーナス・トラックという感じで付けられている物だと思うが、2枚目の最後にサンフランシスコ響とのリハーサル風景が少しだけ収められている。で、これがなかなか楽しい。やっているのは、<サロメの踊り>。演奏の途中あちこちでストップをかけて楽員への指示や注意が入るので、曲自体をゆっくり楽しむことは出来ないものの、この指揮者ならではの音楽世界はしっかりと味わえる。そして、最後の通し演奏が終わった瞬間が、何とも微笑ましい。 “Thank you,gentlemen.”という指揮者の言葉が出ると同時に、オーケストラのメンバーが、「ああ~、終わった、終わった~」という感じで、一斉にみんな安堵の息をついて帰り支度を始める様子が、短い時間ながら記録されているのだ。ちょっと現場をのぞき見させてもらった感じ。
最後に一つ。このCDのジャケット表紙下部に書かれた“Desert Island Collection”という一句を目にした時は、噴き出して笑った。これを日本語にすれば、「無人島コレクション」である。誰がこんな物を、無人島にまで持って行きたいなんて思うかあ!(爆)
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