今回は、グリンカの歌劇<ルスランとリュドミラ>の第3回。最後の部分である。
〔 第4幕 〕~続き
ルスランが吹く角笛の音が聞こえてくる。ついにチェルノモールの居所をつきとめたルスランは、悪しき魔法使いに戦いを挑む。チェルノモールはリュドミラを深い魔法の眠りに落とすと、ルスランとの対決に向かう。しかし、魔法の剣を持つルスランによって、チェルノモールは倒される。
(※この戦いは直接舞台上で演じられるのではなく、合唱団がその様子を歌うことで表現される。ここに出て来るパワフルな音型を聴くと、あの<ボリス・ゴドゥノフ>で聴かれる音楽の祖型を見たような気分になる。)
ついにリュドミラのもとに辿り着いたルスランだが、強い魔法で眠らされている彼女はどうやっても目を開けない。激しく苦悩した後ルスランは、キエフに帰って善良な魔法使いたちの力を借りようと決心する。
〔 第5幕 〕
キエフに帰る一行が、途中、谷間で休む。月の夜。ラトミールがゴリスラワへの愛情を歌っていると、チェルノモールに使われていた奴隷たちが急を知らせに来る。「リュドミラがまたしても、さらわれてしまいました。そしてルスランが、その後を追って行きました」。そのラトミールのもとに、魔法使いフィンが現れて助言する。「これは魔女ナイーナの、最後の一撃じゃ。しかし、心配はいらん。お前はこの指輪を持って、先にキエフに向かうのじゃ。必ずルスランに会える。そうしたら、この指輪を彼に渡しなさい。これこそ、リュドミラを目覚めさせる魔法の指輪なのじゃ」。
一方、卑劣漢ファルラーフは、深い眠りに落ちたリュドミラをキエフに連れ帰ってきている。しかし、魔女ナイーナの力を借りてリュドミラを手にしたファルラーフではあったが、彼女の眠りを覚ますことまでは出来ない。「ナイーナのインチキ魔法に騙された」と、やたら文句を並べるファルラーフ。やがてルスランが、ラトミールとゴリスラワの2人を伴って帰ってくる。ファルラーフはびっくりして、姿を隠す。ラトミールの手から魔法使いフィンの指輪を受け取ったルスランが、眠れる王女リュドミラを目覚めさせる。人々の歓喜の合唱が盛り上がるところで、全曲の終了。
(※このラスト・シーンでようやくリュドミラは目覚めるが、その彼女が歌い出すのもコロラトゥーラを駆使したイタリア・スタイルの曲だ。この歌に続いて、ゴリスラワ、ラトミール、ルスラン、そしてスヴェトザールによる喜びのアンサンブルが始まる。―という訳で、「合唱は概ねロシア風だが、独唱と重唱はやっぱりイタリア風」、これがグリンカ・クォリティなのであった。)
(※喜びの重唱を印象的なピアノ・ソロが締めた後、いよいよ最後の大合唱が始まる。有名な序曲の、あの猛然たる出だしのテーマである。「偉大なる神々に栄えあれ!聖なる祖国に栄えあれ!ルスランとリュドミラに栄えあれ!」と歌い出す力強いコーラス。これは実にロシア・オペラらしくて良い。そして冒頭の序曲と巧みなシンメトリーを構成するこの合唱を聴くと、「ああ、これで全曲がまとまったなあ」と、聴く者は一種の統一感を味わうわけである。)
―以上で、歌劇<ルスランとリュドミラ>のお話は終了。お疲れ様。
(PS) ドキュメンタリー『指揮者ムラヴィンスキーの肖像』
<ルスランとリュドミラ>が話題になると、「序曲は、ムラヴィンスキーが最高」というセリフを思わず口にするクラシック・ファンがたくさんいそうな気がする。確かに、かつて録音された同曲の演奏の中でも、ムラヴィンスキーのものは群を抜く名演だと思う。ただし言うまでもない事だが、その演奏はあくまで独立したコンサート・ピースとして同曲を完璧に仕上げたものであり、決してこれからオペラが始まることを告げるような演奏ではない。ムラヴィンスキーとオペラは蓋(けだ)し、水と油である。
この旧ソ連時代の大指揮者エフゲニ・ムラヴィンスキーについてのドキュメンタリー番組が、2003年度にイギリスで制作された。それをNHKが日本語吹き替え版で放送してくれたのを、かつてTVで観たことがある。このような人物のドキュメンタリーだから観ていて楽しいというものではなかったが、孤高の芸術家の光と影、その両面が少しばかりでもうかがい知れたのは収穫だった。もともとは裕福な貴族の家に生まれ、幸福な少年期を送ったムラヴィンスキーだったが、例の革命後は人生が一変する。ここでは政治関係の話は一切省くが、とにもかくにも、極めて特殊な世界に生きていた(あるいは、生かされていた)音楽家だったんだなあと、つくづく思う。
日本でもお馴染みの指揮者クルト・ザンデルリンクがしばしば画面に登場し、思い出話を語っていた。このザンデルリンク氏や当時親しかったという楽員の言葉によると、ムラヴィンスキーは表立ってソヴィエト共産党への批判を行なうことはなかったものの、内心では色々な思いを抱えていたらしい。しかし一方で、これほど恵まれた立場にあった指揮者も珍しい。チケットの売れ行きや、スポンサーのこと等を気にする必要は一切なく、確固たる地位を保証された中、自分の音楽だけをとことん追究していくことが許された。
そう言えば、その番組の中で一つ、とんでもないエピソードが紹介されていた。ムラヴィンスキーが崇敬していたというブルックナーの交響曲を手がけた時の話である。4回目のリハーサルの時、大指揮者はびっしりと注釈の書き込まれた楽譜を持ってきて楽員たちに配り、細かく指導し始めたそうだ。それまでの練習で十分な仕上がりを感じていた彼らは、皆ひどく驚いたという。そして、それ以上に驚嘆させられるのは、そのリハーサルが文字通り完璧に仕上がった後、ムラヴィンスキーは演奏会の本番をキャンセルしてしまったというのである。その理由は、「最終リハーサルで、完璧なブルックナーが出来上がった。本番ではもう、これ以上の物が出来る余地はない。だから、やめる」である。西側世界でそんな事が考えられるだろうか?繰り返しになるが、ムラヴィンスキーという人はそういう特殊な世界で生きていた指揮者なのである。
1938年に若い彼がレニングラード・フィル(当時)の主席指揮者に就任した時、このオーケストラはガタガタだったらしい。そこへ国家の後ろ盾を受けて鉄の規律を持ち込み、自らにも厳しい生き方を課したムラヴィンスキーは、以来、半世紀にも及ぶ年月の間それを通した。彼の峻厳な顔つきは、その人生の履歴書とも言えるものだろう。だから、夫人が1970年代に撮影したというホーム・ビデオの映像に見られるムラヴィンスキーのほころんだ笑顔というのは、ある意味、最も貴重な遺産と言えるものかも知れない。
その番組に出演していた音楽プロデューサーのヴィクター・ホフハイザー氏が言う。「5分でも遅刻した楽員は即クビになるか、2週間の停職になりました」。さらに、当時の楽員であったA・ポリアニチコ氏は、次のように述懐する。「僕が初めてレニングラード・フィルに入った時、先輩に言われたよ。『ムラヴィンスキーの指揮で演奏する時の音は、大きすぎても小さすぎてもいけない。速すぎても、遅すぎてもいけない。巧すぎるのもダメだ。皆とおんなじように弾かなくちゃいけない』とね」。現在録音で聴くことの出来る、あの<ルスランとリュドミラ>序曲の超絶的な鉄壁演奏は、こういう人たちが作ったのだ。
【2019年2月21日 おまけ】
ムラヴィンスキーの1965年盤<ルスランとリュドミラ>序曲 ←これが噂の、鉄壁演奏。
〔 第4幕 〕~続き
ルスランが吹く角笛の音が聞こえてくる。ついにチェルノモールの居所をつきとめたルスランは、悪しき魔法使いに戦いを挑む。チェルノモールはリュドミラを深い魔法の眠りに落とすと、ルスランとの対決に向かう。しかし、魔法の剣を持つルスランによって、チェルノモールは倒される。
(※この戦いは直接舞台上で演じられるのではなく、合唱団がその様子を歌うことで表現される。ここに出て来るパワフルな音型を聴くと、あの<ボリス・ゴドゥノフ>で聴かれる音楽の祖型を見たような気分になる。)
ついにリュドミラのもとに辿り着いたルスランだが、強い魔法で眠らされている彼女はどうやっても目を開けない。激しく苦悩した後ルスランは、キエフに帰って善良な魔法使いたちの力を借りようと決心する。
〔 第5幕 〕
キエフに帰る一行が、途中、谷間で休む。月の夜。ラトミールがゴリスラワへの愛情を歌っていると、チェルノモールに使われていた奴隷たちが急を知らせに来る。「リュドミラがまたしても、さらわれてしまいました。そしてルスランが、その後を追って行きました」。そのラトミールのもとに、魔法使いフィンが現れて助言する。「これは魔女ナイーナの、最後の一撃じゃ。しかし、心配はいらん。お前はこの指輪を持って、先にキエフに向かうのじゃ。必ずルスランに会える。そうしたら、この指輪を彼に渡しなさい。これこそ、リュドミラを目覚めさせる魔法の指輪なのじゃ」。
一方、卑劣漢ファルラーフは、深い眠りに落ちたリュドミラをキエフに連れ帰ってきている。しかし、魔女ナイーナの力を借りてリュドミラを手にしたファルラーフではあったが、彼女の眠りを覚ますことまでは出来ない。「ナイーナのインチキ魔法に騙された」と、やたら文句を並べるファルラーフ。やがてルスランが、ラトミールとゴリスラワの2人を伴って帰ってくる。ファルラーフはびっくりして、姿を隠す。ラトミールの手から魔法使いフィンの指輪を受け取ったルスランが、眠れる王女リュドミラを目覚めさせる。人々の歓喜の合唱が盛り上がるところで、全曲の終了。
(※このラスト・シーンでようやくリュドミラは目覚めるが、その彼女が歌い出すのもコロラトゥーラを駆使したイタリア・スタイルの曲だ。この歌に続いて、ゴリスラワ、ラトミール、ルスラン、そしてスヴェトザールによる喜びのアンサンブルが始まる。―という訳で、「合唱は概ねロシア風だが、独唱と重唱はやっぱりイタリア風」、これがグリンカ・クォリティなのであった。)
(※喜びの重唱を印象的なピアノ・ソロが締めた後、いよいよ最後の大合唱が始まる。有名な序曲の、あの猛然たる出だしのテーマである。「偉大なる神々に栄えあれ!聖なる祖国に栄えあれ!ルスランとリュドミラに栄えあれ!」と歌い出す力強いコーラス。これは実にロシア・オペラらしくて良い。そして冒頭の序曲と巧みなシンメトリーを構成するこの合唱を聴くと、「ああ、これで全曲がまとまったなあ」と、聴く者は一種の統一感を味わうわけである。)
―以上で、歌劇<ルスランとリュドミラ>のお話は終了。お疲れ様。
(PS) ドキュメンタリー『指揮者ムラヴィンスキーの肖像』
<ルスランとリュドミラ>が話題になると、「序曲は、ムラヴィンスキーが最高」というセリフを思わず口にするクラシック・ファンがたくさんいそうな気がする。確かに、かつて録音された同曲の演奏の中でも、ムラヴィンスキーのものは群を抜く名演だと思う。ただし言うまでもない事だが、その演奏はあくまで独立したコンサート・ピースとして同曲を完璧に仕上げたものであり、決してこれからオペラが始まることを告げるような演奏ではない。ムラヴィンスキーとオペラは蓋(けだ)し、水と油である。
この旧ソ連時代の大指揮者エフゲニ・ムラヴィンスキーについてのドキュメンタリー番組が、2003年度にイギリスで制作された。それをNHKが日本語吹き替え版で放送してくれたのを、かつてTVで観たことがある。このような人物のドキュメンタリーだから観ていて楽しいというものではなかったが、孤高の芸術家の光と影、その両面が少しばかりでもうかがい知れたのは収穫だった。もともとは裕福な貴族の家に生まれ、幸福な少年期を送ったムラヴィンスキーだったが、例の革命後は人生が一変する。ここでは政治関係の話は一切省くが、とにもかくにも、極めて特殊な世界に生きていた(あるいは、生かされていた)音楽家だったんだなあと、つくづく思う。
日本でもお馴染みの指揮者クルト・ザンデルリンクがしばしば画面に登場し、思い出話を語っていた。このザンデルリンク氏や当時親しかったという楽員の言葉によると、ムラヴィンスキーは表立ってソヴィエト共産党への批判を行なうことはなかったものの、内心では色々な思いを抱えていたらしい。しかし一方で、これほど恵まれた立場にあった指揮者も珍しい。チケットの売れ行きや、スポンサーのこと等を気にする必要は一切なく、確固たる地位を保証された中、自分の音楽だけをとことん追究していくことが許された。
そう言えば、その番組の中で一つ、とんでもないエピソードが紹介されていた。ムラヴィンスキーが崇敬していたというブルックナーの交響曲を手がけた時の話である。4回目のリハーサルの時、大指揮者はびっしりと注釈の書き込まれた楽譜を持ってきて楽員たちに配り、細かく指導し始めたそうだ。それまでの練習で十分な仕上がりを感じていた彼らは、皆ひどく驚いたという。そして、それ以上に驚嘆させられるのは、そのリハーサルが文字通り完璧に仕上がった後、ムラヴィンスキーは演奏会の本番をキャンセルしてしまったというのである。その理由は、「最終リハーサルで、完璧なブルックナーが出来上がった。本番ではもう、これ以上の物が出来る余地はない。だから、やめる」である。西側世界でそんな事が考えられるだろうか?繰り返しになるが、ムラヴィンスキーという人はそういう特殊な世界で生きていた指揮者なのである。
1938年に若い彼がレニングラード・フィル(当時)の主席指揮者に就任した時、このオーケストラはガタガタだったらしい。そこへ国家の後ろ盾を受けて鉄の規律を持ち込み、自らにも厳しい生き方を課したムラヴィンスキーは、以来、半世紀にも及ぶ年月の間それを通した。彼の峻厳な顔つきは、その人生の履歴書とも言えるものだろう。だから、夫人が1970年代に撮影したというホーム・ビデオの映像に見られるムラヴィンスキーのほころんだ笑顔というのは、ある意味、最も貴重な遺産と言えるものかも知れない。
その番組に出演していた音楽プロデューサーのヴィクター・ホフハイザー氏が言う。「5分でも遅刻した楽員は即クビになるか、2週間の停職になりました」。さらに、当時の楽員であったA・ポリアニチコ氏は、次のように述懐する。「僕が初めてレニングラード・フィルに入った時、先輩に言われたよ。『ムラヴィンスキーの指揮で演奏する時の音は、大きすぎても小さすぎてもいけない。速すぎても、遅すぎてもいけない。巧すぎるのもダメだ。皆とおんなじように弾かなくちゃいけない』とね」。現在録音で聴くことの出来る、あの<ルスランとリュドミラ>序曲の超絶的な鉄壁演奏は、こういう人たちが作ったのだ。
【2019年2月21日 おまけ】
ムラヴィンスキーの1965年盤<ルスランとリュドミラ>序曲 ←これが噂の、鉄壁演奏。
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