クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

歌劇<皇帝の花嫁>(1)

2006年10月17日 | 作品を語る
交響組曲<シェヘラザード>や<スペイン奇想曲>、あるいは序曲<ロシアの復活祭>といったオーケストラ作品ばかりが有名なこともあって、管弦楽曲の大家というイメージが強いリムスキー=コルサコフだが、この人はオペラ作家としての業績こそ重要である。彼がその生涯に書き上げた歌劇は全15作にも及ぶし、その他に、ムソルグスキーやボロディンらが完成出来なかったオペラを補筆して仕上げた編曲者としての成果にも非常に大きなものがある。

今回のシリーズでまず採りあげるのは、私が全曲を語れる彼のオペラ作品の中でも最も衝撃的な、<皇帝の花嫁>(1899年)である。これは、R=コルサコフが書いた9作目のオペラで、皇帝イワン4世の第3夫人に選ばれた直後突然病死してしまったという実在の女性をモデルにしたものだ。私がこのオペラに触れたのは1964年に制作されたという古い映画版ソフトで、映像では専門の俳優さんたちが演じ、音声にはエフゲニ・スヴェトラーノフが指揮したボリショイ劇場での演奏が使われているというものであった。映画作品としての時間制限があったからと考えられるが、このソフトではいくつかの場面がカットされている。その上モノクロ映像・モノラル音声というつらい条件であったにもかかわらず、感銘度はすこぶる高いものだった。以下、この映画版ソフトを鑑賞した時のメモと作品解説の本を参照しながら、名作歌劇の全曲の内容を見ていきたいと思う。

〔 第1幕 〕 宴会

皇帝の親衛隊員グリゴーリ・グリャズノイ(Bar)が住んでいる屋敷の広い客間。グリャズノイが一人、苦悩を歌う。彼はノヴゴロド商人ソバーキン(B)の娘マルファ(S)を好きになったが、彼女にはすでに貴族のイワン・ルイコフ(T)という相思相愛の許婚がいた。ソバーキンにやんわりと求愛を断られたグリャズノイは、「かつては腕ずくで女でも何でも略奪した俺だが、この失恋でまるで駄目な男になってしまった」と嘆く。しかしその後、何とかマルファを自分のものにしたいと心の中で良からぬ策略を巡らす。

そこへ彼の客人たちが大勢入ってきて、宴会が始まる。そのメンバーの中には彼の悪友である親衛隊員マリュータ(B)、マルファの許婚ルイコフ、そして皇帝の侍医を務めるボメーリイ(T)らが混じっている。

(※この宴会の場面は、映画版ではかなりの部分がカットされているようだ。親衛隊員たちの民謡風フゲッタ、あるいは、明るく礼儀正しいイワン・ルイコフが回りから乞われて歌い出すアリオーソといったようなナンバーがもともとはあるらしい。楽曲解説に「外国での見聞を語る美しいアリオーソ」と紹介されているルイコフの歌が聴けないのは、ちょっと残念。)

やがて宴たけなわとなり、皇帝賛歌「栄光あれ」が合唱で力強く歌われる。

(※「スラーヴァ!スラーヴァ」と盛り上がるこの皇帝賛歌は、ロシア・オペラのファンなら、「おおっ、これが出たか」と思わずニンマリすること間違いなしの有名曲である。例えばムソルグスキーの<ボリス・ゴドゥノフ>やボロディンの<イーゴリ公>でもすっかりお馴染みだし、ちょっとマニアックなところでは、チャイコフスキーの<マゼッパ>第3幕の冒頭シーンでも聴かれるテーマだ。)

その宴会の席に、リュバーシャ(Ms)が姿を現す。彼女は、マリュータとその仲間の親衛隊員たちによって遠くの町から略奪されてきた女性である。町の人たちはマリュータらによって虐殺され、彼女自身も、今はグリャズノイの愛人として生きている。ここでマリュータに命じられた彼女が無伴奏で歌う民謡風の歌曲は美しいものだが、旋律も歌詞内容も痛ましい悲しみに満ちている。「お母さん、私のために婚礼の支度をしてください。お母さんの決めた人と結婚します。もう逆らいません。愛する人とは別れました・・・」。

宴会が終わって、客人たちは帰途につく。しかしグリャズノイは医師ボメーリイを呼び止め、相談を持ちかける。「女がある男を好きになるような媚薬、惚れ薬みたいなものをお前は作れるか」。ボメーリイは、出来ると答える。「形状は粉末になる。酒盃に混ぜて女に飲ませるんだ。ただし、男本人がそれをやらねば効果は出ない」。二人のやり取りを立ち聞きしていたリュバーシャは、「彼に好きな女が新しく出来たんだわ。私は捨てられる」と絶望する。

ボメーリイが去った後、リュバーシャとグリャズノイの口論が始まる。「私は娘としての恥じらいも忘れ、家族のことも故郷のことも、何もかも忘れて、すべてをあなたに捧げたのよ。それなのに・・」。そんな彼女に冷たく応じて、グリャズノイは出かけて行く。朝の礼拝の鐘が鳴り響く。リュバーシャは、「その女を必ず見つけ出して、彼から引き離してやる」と決意する。

(※皇帝の侍医という設定で登場するボメーリイだが、実際の役どころは、“悪魔的な薬剤師”といった感じである。声がまた性格的なテノールで、何とも怪しげで陰気な雰囲気が漂う素敵な男だ。w )

〔 第2幕 〕 惚れ薬

映画版では第1場はまるごとカットされているが、ここでは悲劇のヒロインであるマルファの家と、医師ボメーリイの家がすぐ向かいの近所であることが舞台上で示されるようだ。夕暮れ時に、修道院での勤めを終えた人々が帰ってくるところ。そこに親衛隊員たちが現れて出陣の誓いを歌い、人々の間に不安が広がるという展開らしい。

映画は、次の第2場から始まる。修道院から出てきたマルファが親友のドゥニャーシャ(Ms)に、婚約者イワン・ルイコフとのなれそめを歌って聞かせる。「昔、彼とはお隣同士だったの。今でも思い出すのは、あの緑溢れる大きなお庭。・・・私、彼に花輪を編んであげたのよ。・・・誰もが私たちを、お似合いの二人って言ってくれたわ」。

(※村の賑やかな風景を描く第2場冒頭の音楽には序曲<ロシアの復活祭>で聴かれるものとよく似たパッセージが現れ、晴れやかなムードが演出される。いかにも、R=コルサコフ節だ。また、ここで歌われるマルファの幸福感溢れるアリアは、実に美しいものである。)

それから二人は、並んで川べりを歩き出す。そこへ伴を連れて馬に乗ってきた不気味な男が通りかかり、マルファたちをしばらくじっと見つめてから去って行く。マルファもドゥニャーシャも、この男の異様な雰囲気とその恐ろしい目つきに強い不安を感じる。

(※この場面では、オーケストラが例の皇帝賛歌を奏でるのですぐに察せられるのだが、マルファをじっと見つめたこの男こそ、時の皇帝イワン4世、つまりイワン雷帝である。このオペラの中では声を出さない役だが、映画版ではさすがにそれらしい風貌の役者さんを起用している。目つきが怖い。)

雷帝が去った後、マルファの父ソバーキンと婚約者イワン・ルイコフが舟に乗ってやって来る。マルファとドゥニャーシャも川岸からその舟に乗り、揃って皆で家に向かう。船頭がゆっくりと舟を漕ぐのに合わせて、やがて4人は幸福な重唱を始める。

(※舞台上演と違って、この第2幕は映画ならではのロケーション撮影が大きな効果を生み出している。冒頭の人込み風景も雰囲気満点だし、馬の上からマルファをじっと見つめる雷帝の恐ろしい顔もくっきりと映し出される。また、川を舟で下る4人による楽しげな四重唱も、川べりのおだやかな自然風景と溶け合って何ともいえない幸福感を醸し出す。なお、R=コルサコフが書いたこの四重唱には、先達グリンカの作品に聞かれたようなイタリア臭さみたいなものはない。)

―さて、幸福感に満ちた明るいアンサンブルを聴かせる4人だが、そのうちのドゥニャーシャはともかく、他の3人にはこの後、世にも過酷な運命が待ち受けているのだった。この続きから最後の幕切れまでの展開については、次回・・。

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