クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

アタウルフォ・アルヘンタ

2005年04月05日 | 演奏(家)を語る
夭折したことが惜しまれる才能豊かな指揮者と言うと、例えば飛行機事故で亡くなったグイド・カンテッリや、海水浴で溺死したイシュトヴァン・ケルテスといった名前がすぐに思い浮かぶが、スペインが生んだ天才指揮者アタウルフォ・アルヘンタもまた、その例にもれない一人である。

私がアルヘンタの非凡な才能に初めて触れたのは、若きイエペスのギター独奏によるロドリーゴの<アランフェス協奏曲>であった。アルヘンタが指揮したこの録音でのオーケストラ伴奏は、ちょっと他の演奏からは得られないような感激を与えてくれたのである。端的に言えば、余人には決して出せないであろう野趣に満ちた響きと、全編に漂う豊かな雰囲気といったところだろうか。土着の香りを残して洗練され過ぎない弦の響きがまず、素敵だ。有名な第2楽章は、木管の音色が絶妙な味を醸し出していて、特に秀逸。何だか異郷の夕暮れみたいな光景が、目の前に浮かんでくるような気がする。ギターの聴き比べというのをしたことがないので、ここでのイエペスが他と比べてどうであるかみたいなことについては何も言えないのだが、優れた演奏だと思う。若々しいひたむきさが、伝わってくる。表現の振幅も豊かだ。

それに続いて印象的だったのが、前回語ったゴンサロ・ソリアーノとの<スペインの庭の夜>。先に語った通り、これは録音の不備によってだいぶ損をしているものだが、アルヘンタの指揮によるオーケストラ・パートは大変素晴らしいものである。弦が独特のざわつきを聴かせる第1楽章の出だしからして、もう他の指揮者には作り出せないような世界がいきなり始まる。むわ~っと、むせかえるような熱気と香り。何とも言えない、南国の熱い空気感。こんな音を出して、こんな伴奏を聴かせてくれるような指揮者が果たして、将来とも出て来るものだろうかと思えてしまう。

上記の二作だけでもアルヘンタという指揮者のただならぬ才能は十分に実感されるのだが、もう一つ、『エスパーニャ!』と題された一枚のアルバムも要注目の逸品だ。シャブリエの狂詩曲<スペイン>やR=コルサコフの<スペイン奇想曲>では、この人のド派手な色彩感覚がまさに場を得て、鮮烈無比である。あくまでもスペインの側に立った解釈・表現に徹しているのが、実に爽快。この人独特の、どこかヘラヘラしたサウンドも、ここでは貴重な個性として受けとめることが出来る。最後に収められたドビュッシーの<映像>は、一般的には失敗演奏とされているものだが、私はこれもまた興味深い記録だと思う。最初の「ジーグ」で聴かれるやたら鋭い金管の音や、最後の「春のロンド」でのじりじりと熱い弦の音など、どう好意的に解釈しても、およそドビュッシーには聴こえない異様な世界である。しかし、逆に言えば、ここにこそ他の誰にも真似の出来ない感性、この指揮者ならではの異形の才能を私は感じてしまうのだ。ドビュッシーを聴こうとするのでなく、アルヘンタの特異な才能を聴こうと思って臨めば、それなりに納得できる材料があると、私には思えるのである。あと他のCDだと、どんな経緯でデッカでなくEMIからの発売になっているのかはわからないが、ファリャのバレエ音楽<恋は魔術師>あたりも、まずまずの出来栄えだった。

しかし、国内発売されたことのある録音という前提で言うと、上記の他にはあまり良いと感じられるものが見当たらない。私が聴いた物だけの話になるが、パリ音楽院管との<幻想交響曲>と<ファウスト交響曲>、スイス・ロマンド管とのチャイコフスキーの<交響曲第4番>やリストの交響詩<前奏曲>等、どれも特異な音像がこの人らしさを窺わせてはいるものの、少なくとも私の感じる限りでは、とてもそれらの作品の「個性的な名演」などという月並みなほめ言葉を贈ってやれるようなものではなかった。有体に言ってしまえば、どれも説得力不足で、ひたすらに変だったのである。

<幻想交響曲>はパリ音楽院管からザラついた響きを引き出し、特に終楽章の結尾部あたりではこの人ならではの異常なサウンドを聴かせてくれるのだが、全体に説得力がない。私なりにその理由づけみたいなことをするならば、「低音がないから」ということになるだろうか。ミュンシュの物などを好例とする優れたベルリオーズ演奏というのは、勿論中高音の派手な響きもあるけれども、そこにしっかりした低音の支えがあってこそ成り立つ話だと思うのである。アルヘンタの音はひたすらヘラヘラとして腰が軽く、浮ついたような軽薄な印象を与えてしまっているのだ。<ファウスト交響曲>しかり、である。繰り返しになるが、この演奏もオケから引き出した響き自体は、個性的で面白い。しかし私は、その指揮棒に発する表現に説得力というものを感じないのである。

スイス・ロマンド管を振ったチャイコフスキーとリストなど、しょうもなく“へらちょんぺ”な演奏で、もう聴き通すことさえつらかった。また、オーケストラがどこだったかは忘れてしまったが、トゥリーナの<セヴィリア交響曲>についても(※CDが国内発売されただけでも貴重な出来事ではあったが)、もっと良い演奏が可能なんじゃないかと思われ、あまり感心できなかった記憶がある。(※これはバルセロナ・オリンピックのタイミングに合わせて、CD会社がスペイン物の企画をした時のものだったと思う。)それと、ファリャの<三角帽子>組曲。これも、特別有り難がる程の演奏とは思えない。全曲盤だったら、また違ってきたのだろうが・・。

ある評論家の言葉によると、「アルヘンタの個性が空回りすることなく、幅広い説得力を獲得しはじめたのは1957年だが、残念な事に、その翌年に彼は急逝してしまった」ということになるらしい。

ところで、アルヘンタは生前、ファリャの歌劇<ペドロ親方の人形芝居>やグラナドスの歌劇<ゴイェスカス>各全曲、さらには相当数にのぼるサルスエラの全曲録音(BMGアリオラ・スペイン=スペインRCA盤)を遺していたらしいことを最近知ったのだが、それらについては残念ながら全く未聴である。少数の例外を除いて、指揮者を語る上でオペラは欠かせない。だから私の場合、まだこのスペインの天才指揮者を十分に語りきれる程の材料は持っていないということも、認めねばならないだろう。

最後に一つだけ、「これはいつか、絶対手に入れたい」と私が切に願っている一枚のCDについて書きとめておきたい。アルヘンタの指揮を中心に、ゴンサロ・ソリアーノのピアノ独奏、若きテレサ・ベルガンサのメゾ・ソプラノ独唱という顔ぶれで、「スペイン音楽の夕べ」みたいなプログラムで行なわれたシャンゼリゼ劇場ライヴ(1957年)である。かつてストラディヴァリウスというマイナー・レーベルから出ていた発掘音源だが、知る人に言わせると、これは相当に良いものであるらしい。特に<恋は魔術師>あたり、先述のEMI盤などとは比較にならない程の冴えと盛り上がりを聴かせているとか。ううむ、ほ、欲しい!もし絶版なら、是非復刻してほしい。

(PS) アルヘンタの死

どのCDのブックレットに書いてあったかは忘れてしまったが、アルヘンタはイギリスの名ホルン奏者だったデニス・ブレインと同じく、自動車大好き人間だったらしい。フィルハーモニア時代の若きカラヤンと車の話でよく盛り上がっていたというブレインは、自動車事故で尊い命を散らしている。そしてアルヘンタもまた、大好きな車の中で44歳という短い人生を終えてしまったらしい。ただ、その解説ブックレットによると、ブレインのような交通事故による衝突死というのではなかったようである。

仕事から帰ってきたアルヘンタは、家に入る前にもう少し車の中にいたいからと、ガレージの愛車の中で一休みしていた。エンジンをかけたまま、ちょっと仮眠をとるぐらいのつもりでいたのが、そのままぐっすり・・・。翌朝、排気ガスが充満するガレージの中で、彼は冷たくなっていたというのである。つまり、一酸化炭素中毒死。他の資料では、「交通事故」とか、「病を得て、夭折」みたいな書き方をしているものもあるので、実際のところがどうだったのか、はっきりとはわからない。しかし、もしそのブックレットに書かれているとおりだったとしたら、「何で、そんな死に方を・・」と、やるせなくなってしまうばかりである。

【2019年5月5日 追記】

●アルヘンタの1957年シャンゼリゼ公演より~ファリャ <恋は魔術師>全曲


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2 コメント

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まったくですよね。 (ニャンコスキー)
2005-04-13 12:53:35
ホントに「あぁ、どうしてそんな…」という最期なんですよね、この人は。

あんな事故さえ無ければ、もっと素晴らしい演奏を聴くことができたのに。

この人の指揮で聴いてみたい曲が沢山あるのに…!
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コメントを有難うございます。 (当ブログ主)
2005-04-16 18:21:46
アルヘンタさんには、もっと長生きしてもらって、いろいろと遺しておいて欲しかったですね。現存するもののうち、オペラ関係をいずれは聴いてみたいなあ、と思っております。
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