クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

歌劇<ラパチーニの娘>

2004年11月03日 | 作品を語る
バラやユリといった植物の話に乗せて今回は、植物園を舞台にした一つの幻想物語について語ってみることにしたい。

中学時代にコミック版で読んだナサニエル・ホーソーンの幻想短編『ラパチーニの娘』は、当時の私の心に、小さくはない感銘を残すものだった。

{ 植物学者であり、また毒物の研究家でもあったラパチーニ博士は、自分の娘を愛するあまり、「悪い男にやられぬように」と彼女を毒とともに育てた。やがて年頃になった娘は、一人の青年と恋に落ちる。しかし、交際が進むにつれて相手の青年は、自分の体に異変が起き始めていることに気がつく。彼が吐いた息で花が枯れ、虫が死ぬのである。青年は解毒剤を手に入れて正常な体を取り戻すのだが、娘は彼に勧められた薬を飲んで絶命する。幼い頃から毒とともに育ち、細胞のすみずみまで毒になりきっていた彼女にとっては、その解毒剤こそが毒であったのだ。 }

ダニエル・カターン作曲による歌劇<ラパチーニの娘>の世界初録音となるハイライト盤が、現在廉価で入手できる。このCDの英語の解説書にホーソーンの名は全く出て来ないのだが、原案はおそらく、同作家の短編ではないかと思われる。

現代メキシコの作曲家カターンは世界各地で音楽を学んだ人らしいのだが、特に日本のネオ・ロマンの音楽から多くを吸収したらしい。それかあらぬか、トラック1の「ベアトリスのアリア」の管弦楽前奏は、あの吉松隆の音楽を髣髴とさせるし、トラック2「ジョヴァンニのレチタティーヴォとアリア」で聴かれる木管の伴奏なども、まるで虚無僧の笛か何かのような、すぐれて日本的な情趣を漂わせているものだ。また、濃密で壮麗な響きに彩られた終曲も大変印象的である。

エドゥアルド・ディアスムニョス指揮によるメキシコシティ・フィルは、共感のこもった熱い演奏を聴かせる。歌手については博士役のバリトンが弱く、いささかめり込んでいるのが残念だが、娘役、青年役ともに初録音の歌唱としては十分水準に達した出来だと思う。オーケストラの好演を思えばむしろ、これが全曲録音でなかったのが惜しまれるほどだ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ハイネ | トップ | マンドラゴラ »

コメントを投稿