クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

ハイネ

2004年11月01日 | エトセトラ
ハインリッヒ・ハイネ(1797~1856) ドイツの詩人。

前回、ゲーテの詩とシューベルトの名に言及したことで、ハイネの名が思い浮かんだ。もっとも「ドイツの詩人」とは言っても、そのアイデンティティは決して一筋縄のものではなかったようだ。

ハイネはドイツとフランスで暮らしたが、そのどちらに於いても彼は特殊な一匹狼であり、風変わりなアウトサイダーであったと伝えられる。即ち、「ドイツにあってはユダヤ人=排斥された者であり、フランスにあってはドイツ人=外国人であった。つまり、どこにあっても彼は異邦人だったのだ」ということである。(※マルセル・ライヒ・ラニツキィの指摘。)

シューベルトは、あまりに早く訪れたその晩年に、ハイネの詩と出会った。歌曲集<白鳥の歌>の「アトラス」から「ドッペルゲンガー」までの6曲がそれにあたる。いずれも尋常ならざる深みと劇性を内包した傑作揃いだが、とりわけ最後の「ドッペルゲンガー」の孤絶した世界には、鬼気迫るものがある。

シューベルトにもう少し命の炎があったら、どんな作品がその後書かれていたかを考える時、このハイネの詩との邂逅は、小さくないヒントをもたらしてくれるような気がする。(※ゲーテの研究をなさっている教授から「ミュラーやシラーといった人たちの詩への作曲に比べて、ゲーテの詩については、シューベルトは十分に踏み込んだ曲は書けていなかった」というお話を学生時代にうかがったことがあるが、天才歌曲作家がもっと生き長らえていたとしたら、ゲーテの深奥に踏み込んだだろうか?)

歴史はしかし、馥郁たるロマンに横溢する珠玉のハイネ歌曲集を、次の世代のロベルト・シューマンに書かせたのであった。

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