クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

ミトロプロスの<運命の力>と<エルナーニ>

2009年02月09日 | 演奏(家)を語る
今回は、ミトロプロスがライヴで遺した2つのヴェルディ・オペラについて。

―ヴェルディ : 歌劇<運命の力> (1953年6月14日 フィレンツェ・ライヴ)

ライヴゆえの粗さとか、録音年代に起因する音の古さとか、そういった欠点は勿論あるのだが、それらのマイナス・ポイントを完全に吹き飛ばすほど、これはとてつもない名演。まず、歌手陣が素晴らしい。イタリア・オペラ戦後の黄金時代を象徴するようなメンバーが揃っている。中でもマリオ・デル・モナコのドン・アルヴァーロ、レナータ・テバルディのレオノーラ、そしてチェーザレ・シエピのグァルディアーノ神父は絶品。特に、テバルディが大変な迫力だ。後日扱う予定の<トスカ>でもそうだが、ライヴ・ステージでの彼女の燃え方というのは、本当に尋常ではない。周知のとおり、このお三方は、F・モリナーリ=プラデッリの指揮による有名なデッカの1955年盤(ステレオ)にも出演していて、そこでもそれぞれに安定した名演を聴かせている。しかし、このライヴの熱気には特別なものがあって、ミトロプロスの激しい指揮ぶりともども、スタジオ録音にはないエネルギーが伝わってくる。

その他の脇役陣も良い。ドン・カルロを演じるアルド・プロッティは力強い声としっかりした歌唱によって、おそらくこの人のベスト・フォームと言ってよい名演を披露している。プロッティと言えば、NHKの招聘によるイタリア歌劇公演の中で、特にデル・モナコと共演した<道化師>でのトニオ、あるいは<アンドレア・シェニエ>でのジェラールといった役柄で忘れがたい名演を残してくれたバリトン歌手だが、その日本公演以外の録音となると、案外パッとしたものがない。(※デッカの有名な<オテロ>全曲で歌っていたヤーゴは大味だったし、デル・モナコとカラスの共演による<アンドレア・シェニエ>・1955年スカラ座ライヴでのジェラールも、日本での名演に比べるとかなり落ちるものだった。)その意味でも、このライヴ音源は貴重なものと言えるだろう。

プレツィオジッラを歌うフェドーラ・バルビエリも熱演だ。声質の点ではちょっとこの役にはどうかな、と思われなくもないが、歌唱自体は大変立派なもので、M=プラデッリ盤で同役を歌っているジュリエッタ・シミオナートといい勝負じゃないかと思えるほどの出来栄えを示している。(※ちなみに、私にとってのベスト・プレツィオジッラは、ジェイムズ・レヴァインのRCA録音で歌っている若きフィオレンツァ・コッソット。)フラ・メリトーネ役のレナート・カペッキも、良い味を出している。M=プラデッリ盤のフェルナンド・コレナも素晴らしいが、ここでのカペッキ氏も上々の名演。というわけでこのライヴ、出演者にめり込みがないのである。古い音源ゆえ、ファースト・チョイスには向かないかもしれないが、オペラ・ファンなら一度は聴いておきたい白熱の名演だ。

(PS) 「運命の力」というタイトルの意味について

一つ、おまけの話。オペラ研究家の永竹由幸氏が、「運命の力」という作品タイトルに関連する文章を、『ヴェルディのオペラ』(2002年・音楽之友社)という本の342~343ページに書いておられる。登場人物名をこちらで補う形にして一部抜粋させていただくと、次のような感じである。

{ これはスペインが滅ぼしたインカ帝国の末裔(=ドン・アルヴァーロ)が、傾きかけたスペイン貴族の一家(=カラトラーヴァ侯爵と娘のレオノーラ、そして彼女の兄ドン・カルロ)を没落させていくという、因果応報の運命の力の話なのである。 }

永竹氏の言葉に則ってみれば、最後にドン・アルヴァーロが絶望して自殺を遂げるオリジナル台本(F・マリア・ピアーヴェによるもの)よりも、彼が最後までしっかり生き残る改訂台本(A・ギスランツォーニによるもの)の方がより効果的にテーマを表現できている、と言えるかもしれない。実際、今日の上演では後者が普通に使われており、ミトロプロスの当フィレンツェ・ライヴでもそうなっている。

―ヴェルディ : 歌劇<エルナーニ> (1957年6月25日 フィレンツェ・ライヴ)

この<エルナーニ>も凄い演奏で、私が指揮者ミトロプロスを見直すきっかけとなった重要な音源の一つである。ここにもやはり、当時のほぼベストと言えるような名歌手たちが揃っている。まずタイトル役のマリオ・デル・モナコ、そしてスペイン国王ドン・カルロを歌うエットレ・バスティアニーニが素晴らしい。時に勢い余って音程がゆれたりするライヴらしい瑕(きず)はあるけれども、こんな超弩級の歌唱を聴かせてもらって何の文句があろうか、というものである。

で、そのお二人と並ぶか、あるいはさらに凄いのが、エルヴィーラ役のアニタ・チェルクェッティ。この人の声と歌唱は圧倒的である。チェルクェッティと言えば、G・ガヴァッツェーニの指揮によるポンキエッリの<ジョコンダ>全曲(L)でタイトル役を歌ったものと、あとはアリア集みたいなものしかスタジオ録音では残されていないので、このようなライヴ音源は非常に貴重なものだ。それも、単に資料的な価値という消極的な理由からではなく、内容の点で貴重なのである。テバルディやニルソンなど、往年の名歌手たちはしばしば、スタジオ録音での歌唱と生演奏でのそれの間に大きな違いを見せていた。理由はおそらく単純明快なもので、「スタジオ録音は今後何十年と聴き継がれていく記録だから、ちゃんと整ったものを残しておきたい。逆に、生のステージは基本的にそのとき限りのイヴェントだから、思う存分にやれる」という意識があったのだろうと思う。今回の<エルナーニ>で超人的な声を聴かせるチェルクェッティもまさにそういうタイプで、スタジオ盤<ジョコンダ>では、録音マイクを前にして幾分かしこまっていたのではないかと思えるのだ。それがこのライヴでは、エンジン全開。並みいる男性強豪に引けをとらないどころか、時に彼らを圧倒するほどの存在感を示すのである。

ミトロプロスの指揮も極めてホットなもので、暗い音色と硬質な響きによって作品が持つ悲劇性を力強く表現している。前奏曲に続く開幕の合唱など、出だしこそ幾分せかせかした印象を与えるものの、全体を覆う熱気と興奮が、少しぐらいの欠点などすぐに忘れさせてくれる。録音はさすがに古いが、鑑賞にはとりあえず差し支えのないレベルと言ってよいと思う。

(PS) ドン・シルヴァのカバレッタについて

最後にちょっと、付け足し話。歌劇<エルナーニ>の聴きどころの一つに、第1幕の終わり間際に出てくるドン・シルヴァのカヴァティーナがある。「不幸なお前!この美しくて無垢な百合を、お前のものと信じていたなんて」と始まる有名な一曲だ。で、実はその後、「この年寄りにまだ復讐の剣が残っている限り、汚辱は拭うぞ。さもなければ、地に倒れるまでだ」と勇ましく歌いだす壮麗なカバレッタが続くこともあれば、それを飛ばしてあっさりと次の場面に進んでしまう場合もある。これはどういうことだろうか。

上記永竹氏の著作によると、もともとシルヴァの役は脇役バスが担当するという前提で書かれたと考えられるそうなのだが、件(くだん)のカヴァティーナが非常に良いものだったため、主役級のバス歌手がこの役を歌うようになっていったようなのだ。で、その結果として、ヴェルディが主役バスにふさわしい聴かせどころを与えるために新しくカバレッタを書き足した、という経緯があったみたいなのである。

さて、その『ドン・シルヴァのカバレッタ』を聴ける<エルナーニ>の全曲録音は、今どれぐらいあるのだろう。もう随分前に、リッカルド・ムーティの指揮によるスカラ座での全曲演奏(※ドミンゴ、フレーニ、ギャウロフといった豪華メンバーが揃っていたもの)をNHK-FMで聴いたことがあったのだが、残念ながら、そこではシルヴァのカバレッタはカットされていた。原典尊重派で知られるムーティだから、まあ当然の選択だったのだろう。しかし、せっかく美声のギャウロフを起用しているのにもったいないなあと、当時思ったものである。今回取り上げているミトロプロス盤も同様で、ボリス・クリストフが担当する同役のカバレッタはやはり、カットされている。

今現在私が知っている狭い範囲で言えば、ルチャーノ・パヴァロッティが主演したリチャード・ボニングのデッカ録音(1987年)で、とりあえずシルヴァのカバレッタを聴くことができる。歌っているのは、パータ・ブルチュラーゼ。内面性はともかく、いかにもこの人らしい恰幅の良い歌唱になっている。ただ、このボニング盤、全体的には今ひとつの出来栄えだ。パヴァロッティが意外に健闘している点はそれなりに買えるのだが、ジョーン・サザーランドのエルヴィーラは全くの“お人形さん歌唱”にとどまっており、およそ感銘が薄い。レオ・ヌッチの力演も、バスティアニーニの牙城を揺るがすには遠く及ばず。ボニングの指揮は、オーケストラや合唱団から壮麗な響きを引き出す点では冴えた手腕を発揮しているものの、<エルナーニ>のドラマが持つ暗い悲劇性といったシリアスな要素は十分に表現しきれていないようだ。録音は文句なしに優秀なのだが。

あとは、どうだろう。私がこのゴキゲンな歌を初めて聴いたのはもう20数年以上も前のことで、ソースはやはりNHKのFM番組だった。あれは確か、エツィオ・フラジェッロが歌ったものだったと記憶している。ということは、おそらくトマス・シッパーズのRCA録音から抜き出してのオンエアだったのではないかと思う。そちらの全曲演奏を聴いたわけではないので自信はないが、多分それだったんじゃないかな・・。

―次回は、ミトロプロスが指揮したR・シュトラウスの2作品。

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