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クラシック音楽オデュッセイア

2025年正月、ついに年賀状が1通も来なくなった“世捨て人”のブログ。クラシック音楽の他、日々のよしなし事をつれづれに。

ピグマリオンとガラテア

2007年07月29日 | エトセトラ
先頃オッフェンバックの傑作<美しきエレーヌ>を語ったので、今回は、その周辺のお話。まずは、<美しきエレーヌ>の向こうを張って、スッペが作曲した<美しきガラテア>(1865年)について。作曲家フランツ・フォン・スッペ(1819~1895)と言えば、<軽騎兵>や<詩人と農夫>などの序曲が特に有名だが、この<美しきガラテア>の序曲も素晴らしい名曲である。ポール・パレー&デトロイト響の名演を、LPレコードの時代から私はどれほど愛聴してきたことだろう。ところで、このオペレッタのヒロインであるガラテアはギリシャ神話に登場するキャラクターだが、彼女を巡るお話は以下の通り、至ってシンプルなものである。

{ ピグマリオンは腕のいい彫刻家だった。しかし、現実世界で出会う女性たちに、彼はいつも幻滅していた。彼女たちのいやなところばかりが、目についてしまうのである。ピグマリオンが理想の美を実現した女性像を大理石で彫り上げた時、彼はその彫像に恋をしてしまう。ガラテアと名づけられた美しい像に、彼の想いと憧れは募る一方。ピグマリオンは、女神アフロディテ(=ヴィーナス)に祈る。「あの彫像に、命を与えてください」。ある日、いつものように冷たい石の女性を抱いた彼は、そこにぬくもりと柔らかさを感じる。彼の願いが聞き入れられたのだ。人間となった彫像ガラテアはピグマリオンの妻となり、二人の間にはやがて息子も生まれる。 }

―喜歌劇<美しきガラテア>のあらすじ

ピグマリオンは自分が信仰している女神ヴィーナスの神殿へ出かけていて、留守。彼のアトリエでは、召使のガニメートがのんびり歌いながら、羽を伸ばしているところ。そこへ、美術品コレクターであり、芸術家のパトロンを自認しているミダスという男が登場。彼はガラテアの彫像を見たくて、やって来たのだ。ガニメートと押し問答をしているところへ、ピグマリオンが帰宅。「留守中に、勝手なことをするな」と、彫刻家はミダスを追い出す。

その後ピグマリオンは、ガラテアの像に命を与えて下さいとヴィーナスに祈る。願いはたちまち叶えられ、ガラテア像は生きた人間になって歌い出す。続いて、ガラテアとピグマリオンの二重唱。突然ガラテアは、「おなかがすいた!酢漬けキュウリ付きの古代ギリシャ風シュニッツェルが食べたい」とピグマリオンに要求。それを手に入れようと、彼が買い物に出かけて行くと、入れ替わりに召使のガニメートが入ってくる。

ガラテアはこのガニメートの姿を見るや、いきなり一目惚れ。積極的に彼に迫る。そこへミダスが懲りずにまたやって来て、美しきガラテアを見て一目惚れ。ありったけの宝石や装飾品を、彼女にプレゼントする。しかし、彼は全く相手にされない。どんなに大金を積んでも、効果なし。

やがて、食べ物をどっさり抱えたピグマリオンが帰宅して、食事となる。ガラテアは陽気に、『酒の歌』を歌う。その後、酔った勢いで口論が始まり、怒ったピグマリオンが部屋を出て行くと、ガラテアはガニメートと抱き合って接吻を交わす。「それじゃ、二人で駆け落ちしよう」と彼らがその気になったところへ、ピグマリオンが戻る。あきれ返った彼は、「ヴィーナスよ、この女をもとの彫像に戻してください」と祈る。するとたちまち、ガラテアはもとの大理石像にもどる。ミダスが彼女に与えた宝石も貴金属も全部、ただの石になってしまった。「あぎゃあ~っ!俺は破産だ~」と嘆くミダスの歌。そして、一同のヴィーナス賛歌で幕。

―というわけだが、このトホホなパロディ劇に付けられた音楽は、有名な序曲を除けば、はっきり言ってイマイチ。ガラテアが歌う『酒の歌』の前後で聴かれるのが、序曲の冒頭部分。ここは、「おっ!」と惹きつけられるものの、後が面白くない。女声合唱を背景にしたピグマリオンのアリアも多少立派だが、それに続く二重唱は平凡。後のヨハン・シュトラウスⅡ世やフランツ・レハールらに代表されるウィーン・オペレッタのプロトタイプ的な側面を一応持ってはいる作品なのだが、ウィーン物に必須と考えられている“優美なワルツ”というお約束品目は、ここには出て来ない。同じスッペによる喜歌劇<ボッカッチョ>は浅草オペラのお得意演目にもなっていたとおりで、全曲楽しめる作品だが、<美しきガラテア>は残念ながら、駄作の部類に属するものと言わざるを得ない。

ちなみに、私が聴いた全曲盤は、クルト・アイヒホルンが指揮した1974年のDENON盤。これはセリフ部分を省略し、音楽ナンバーのみを収録したものだった。ピグマリオン役のルネ・コロはそれなりに健闘していたが、声が荒れたアンナ・モッフォのガラテアにはまるで魅力なし。で、オーケストラの音もブカブカ。「彼の録音なら、全部そろえたい」みたいな熱心なコロ・ファンは別として、一般の方々にお勧めしようとは全く思わない。

―さて、ピグマリオンと言えば、フランス・バロック期の作曲家ジャン・フィリップ・ラモー(1683~1764)が、<ピグマリオン>(1748年)というオペラ・バレエを書いている。参考までにちょっとそのあらすじを書き出しておくと、序曲に続いて彫像を前にしたピグマリオンの哀歌がまず歌われる。そして、彼に好意を持つ女性セフィーズが登場し、彼への想いを伝える。しかし、彼女は全く相手にされず、失意のうちに去って行く。再び一人になったピグマリオンが彫像への憧れを訴えていると、ついにヴィーナスに彼の祈りが通じ、彫像が生きて語りだす。両者の幸福な語らいの後、女神自身が登場して祝福の言葉を贈り、そこから各種の舞曲が続く。―といったような展開である。全体にいかにもフランス・バロックらしい雅(みやび)な音楽が流れる作品で、グスタフ・レオンハルト&ラ・プティット・バンド、他による名演のCDが現在廉価で入手できるようになっているのが有り難い。

―話は変わるが、この有名なギリシャ神話を題材にして書かれた近代の戯曲にジョージ・バーナード・ショーの『ピグマリオン』がある。尤も、ショー作品に於いては、ピグマリオンに擬せられた人物であるヒギンズ氏は学者であって、芸術家ではない。彼はイライザという粗野な花売り娘に言語教育を施し、彼女を上流社会でも通用するようなレディに仕上げる。が、これは芸術の創造ではなく、言わばモルモットの飼育であった。二人の間に愛が実ることはなく、狷介(けんかい)なヒギンズ氏は結局自分の殻に閉じこもってしまう。この『ピグマリオン』は、後に<マイ・フェア・レディ>というミュージカル作品の元ネタになった。オードリー・ヘップバーンとレックス・ハリスンの主演による映画は大ヒットとなったが、そこでは文豪の原作に見られる悲観的リアリズムみたいなものはきれいに払拭されていた。(※1)

―最後にもう一つ、関連のお話。私が中学~高校生の頃愛読していた漫画の一つに、山本鈴美香の『エースをねらえ!』がある。宗方コーチが活躍する第1部(コミックス第1~10巻)の中で、今回語った「ピグマリオンとガラテア」的な要素を感じさせる言葉を、主人公である岡ひろみの独白を通じて読むことが出来る。

{ 歯をくいしばってたえぬくことを知り、あいてを思いやること、たたかうこと、愛することを知り、無我夢中でここまできて ― じぶんのどこがすぐれているとも思わない。ただコーチに見いだされ、コーチの手で彫刻されてきただけ ― コーチののぞむとおりの選手になりたい! } 【 山本鈴美香・著『エースをねらえ!』 集英社マーガレット・コミックス第6巻「ひろみの青春の巻」(1975年)より、162~163ページ。 】

細かい話は省略するが、宗方の全霊を賭けた愛情を一身に受ける主人公のひろみが、「コーチによって、自分は彫刻されてきた」と語るセリフには、ピグマリオン神話のテーマが姿を変えて引き継がれていることを感じる。ちなみに、この漫画は数回にわたってTVアニメ化され、劇場用アニメにもなり、さらに何年か前には実写ドラマにもなった。最後の実写版は第1回放送のみ観たが、お蝶夫人を演じる女の子の“技あり”の髪型に笑わせてもらったことぐらいしか今は記憶に残っていない。w アニメ作品については、1973年(昭和48年)に放送された第1シリーズのみ、結構熱心に観た。第2シリーズ以降は野沢那智さんの若やいだ声に変わってしまう宗方コーチを、第1シリーズでは中田浩二さんが担当していた。この中田さんという方、顔を出す俳優としては時代劇の悪代官を演じるようなギョロ目のブ男(失礼!)だが、声は抜群の二枚目。私の世代では、『忍風 カムイ外伝』(1969年)の主人公が懐かしく思い出される。(※しかし、アニメ版・『ヒカルの碁』で佐為の魅力的な声をやっていた千葉進歩さんもそうだが、声の二枚目が必ずしも御本人の顔と一致しないのはいったい、どうしたことか。w )

いずれにしても、『エースをねらえ!』は原作のみ付き合うに足る名作で、アニメもドラマもいささか外面的で内容浅薄な物ばかり、と言ってよいように思う。尤も、「ある男の厳しい指導を通して、一人の平凡な女子高生が人間的に大きく成長し、ついには世界で活躍するようなテニス選手になる」というこの作品のプロット自体が、今ではかなり無理の感じられるものになってしまったようにも思える。少なくとも私にとっては、懐旧の縁(よすが)としての価値しかなくなってしまった。また、夭折する宗方仁の後を継いで親友の桂大悟が活躍する第2部は、途中から作者の山本鈴美香氏が重い病に倒れてしまったため、かなりの部分をはしょって急ぎ足で仕上げたような形になっている。(※例えば令子アンダーソンなど、とりあえず出てはきたものの、これといった活躍の場がなかった。)そのあたりも、残念なところである。

―今回は、この辺で。

(※1)参考文献『欧米文芸 登場人物事典』(大修館書店)~322、323ページ「ピュグマリオン」の項

【2019年3月17日 追記】

ポール・パレー&デトロイト響によるスッペの喜歌劇<美しきガラテア>序曲

上述の通り、スッペの<美しきガラテア>はオペレッタ全曲としては駄作の部類に属するものだが、序曲は名曲。そして、その最高の名演が、こちら↓である。パレー&デトロイト響のコンビには多数の名盤が存在するが、中でも、《スッペ序曲集》はピカイチの逸品。マーキュリー・リビング・プレゼンスの鮮烈な名録音も考え合わせると、できればYouTubeではなくCDを入手していただき、ステレオ・コンポで存分に鳴らしてほしいというのが、当ブログ主の本音である。


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