クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

歌劇<ハルカ>(2)

2006年02月02日 | 作品を語る
前回の続きである。モニューシュコの歌劇<ハルカ>の後半部分、第3&4幕のあらすじから。

〔第3幕〕

前奏曲に続いて、晩課を告げる教会の鐘の音。村人たちの合唱。「つらい日々が繰り返される。今日のこの日を、頑張って生きていこう」。その後、キビキビとした踊りの音楽が始まる。それがひとしきり盛り上がった後、ハルカとヨンテックが登場。ハルカはまるで、夢遊病者のようになっている。領主ヤヌシュの遊びの種にされた彼女のことを、ヨンテックは人々に語って聞かせる。怒れる農民たちの合唱。

(※第3幕は演奏時間としては短いものの、内容的には注目点が多い。まず、冒頭で聴かれる村人たちの合唱に続く舞曲。これは「山人の踊り」と呼ばれる活気に満ちた音楽だが、これも原典となるヴィルノ版にはなかったらしい。深刻な社会派ドラマの色彩が強かった初稿から、幾度かの改訂を経て、より普遍的な国民歌劇に変化していった当作品の、一つのチェック・ポイントになっているように思える。)

(※もう一つの注目点は、「殿様連中のお遊びは、こういう結果を招く」と、やり場のない怒りを歌う農民たちのコーラス。その最後の部分では、あのヴェルディほどには音楽が“鎧(よろい)武装”してはいないものの、かなり力強い盛り上がりと激しい畳み掛けのアクセントが聞かれる。この部分の響きをどう感じるかについてはそれぞれにあろうかと思うが、一つ、客観的に言えることがある。それは、《「国民歌劇」なるものが国際的にその存在をアピールするためには、西欧的な語法を用いることが非常に大事である》ということだ。ここで言う西欧とはイタリア、フランス、及びドイツを指しているのだが、この点についてはまた別の機会に話を補ってみたいと思う。とりあえず、今回採り上げているモニューシュコについて言えば、彼のもう一つの代表作である歌劇<幽霊屋敷>の、その第4幕第1場で聴かれるハンナのコロラトゥーラ・アリアが極めてイタリア的に書かれているということが指摘出来るだろう。もっと具体的に言うなら、その歌はロッシーニ的な書法で書かれているということである。)

〔第4幕〕

短い前奏曲に続いて、一人佇(たたず)むヨンテックのアリア。「かわいそうなハルカ。彼女はあの不実な主人のことばかり考えている。・・・私は彼女に、何もしてやれない」。その近くで辻音楽師が、領主ヤヌシュの婚礼を祝う明るい曲を奏で始める。やがてハルカが一人、丘を下りてやって来る。それに続いてゾフィアとヤヌシュ、ゾフィアの父ストルニク、ストルニク家の重臣ヂェンバが連れ立って村に現れる。ヂェンバは村人たちに、領主ヤヌシュの婚礼を祝って歌うように命じる。ゾフィアはハルカの存在に気付くが、ヤヌシュは、「いいから早く、教会へ入ろう」と婚約者をせかす。

(※村人たちの、「お二人に、長いお命とお幸せがありますように」という合唱の言葉に重ねて、ヨンテックが「ついでに、良心の呵責もな!」と叫ぶのが印象的だ。一介の農民に出来る精一杯のやり返しなのだ。さらに、それを聞きとがめたヂェンバが、「今、何か言ったのは誰だ」と言うのに対して、村人たちが「誰も、何も言っておりません」と控えめに、しらばっくれて答えるところが面白い。)

やがて、教会からオルガンの響きと、祈りの合唱が聞こえてくる。正気を失ったハルカは教会に火をつけようとするが、気を取り直す。そして、「愛しいヤヌシュ、美しい奥様とお幸せに。でも時々は、私のことを思い出して祈ってください」と歌い、川の激流まで歩を進める。ヨンテックが必死になってそこへ駆けつけるのだが、時すでに遅く、彼女は川に身を投げてしまった。その後教会から出てきた婚礼の一行も、ハルカが溺死したことを知る。しかし、重臣ヂェンバは人々に、「領主様の婚礼を祝って、皆で楽しく歌うのだ」と命令する。人々が歌う(と言うより、歌わされる)お祝いの合唱が始まるところで、全曲の終了。

(※この部分はやはり、ハルカのアリアが聴き物である。「私の子供は飢えで死んでしまう。母親はここにいるのに、父親はあの向こうに・・」と歌い始めて、やがて教会に火をつけようと奮い立つまでが、まず非常に劇的だ。しかし、それ以上に、「火をつけたりしたら、罪もない人たちまで巻き込んでしまう」と正気を取り戻し、「私は死にます。ヤヌシュ、あなたのことを許します」と歌うあたりが、さらに聴く者の胸を打つ。このアリアの後半部分ではハープの音と、教会のオルガンの音が重なって来るのだが、まるでハルカの魂の浄化を描いているかのように聞こえる。最後に全曲を締めくくる音楽では、特にティンパニの激しい連打が印象的だ。)

(※ところで、平岩氏の論文の48ページに、<ハルカ>の原型とも言えそうな詩が一つ、紹介されている。ポーランドの詩人ミツキェヴィチのバラード『金魚』(1820年)というものである。そちらのサイトで実物を御覧いただければ一目瞭然だが、その詩に登場する娘はハルカそのものである。その中で彼女が、「私も仲間に入れて」と呼び掛ける相手、シフィテジャンカというのが、どうもスラヴ伝承に登場するルサルカのことらしい。やはりハルカとルサルカには、浅からぬ因縁があったようだ。)


さて、主人公(または、それに準ずる人物)が最後に水死するというオペラ作品には、今回語ったモニューシュコの歌劇<ハルカ>の他にどんな物があっただろうか。ベルクの<ヴォツェック>、ブリテンの<ピーター・グライムズ>、ディーリアスの<村のロミオとジュリエット>、ショスタコーヴィチの<ムツェンスク郡のマクベス夫人>、ヤナーチェクの<カーチャ・カバノヴァー>といった有名作がとりあえず思い浮かぶが、あとワグナーの<さまよえるオランダ人>も一応加えておいていいかも知れない。その流れに乗って次回のトピックでは、上に挙げた有名なオペラ作品以外の物から、「主人公(または、それに準ずる人物)が最後に水死するオペラ」として普段あまり語られることのない、隠れた名作を一つ、ご紹介してみたいと思う。
コメント (2)
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