クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

歌劇<イオランタ>

2006年02月27日 | 作品を語る
前回語った歌劇<三王の恋>の主役であったアルキバルドは、全幕通して盲目の人物だった。一方、かつてこのブログでも語ったことのあるエディプス王(※2005年10月19、23、27日の記事)は、物語の最後に盲目となった。(その点では、サン=サーンスの歌劇<サムソンとデリラ>のサムソンも、ほぼ同様。)そこで今回は、物語の間中ずっと盲目だった主人公が最後には目が見えるようになる、というそんなオペラ作品を採り上げてみたいと思う。チャイコフスキーが書いた最後のオペラ、<イオランタ>(1892年初演)である。

このオペラは、あの有名なバレエ<くるみ割り人形>との二本立て上演をするために書かれたものだそうだ。今では考えられないことだが、当時はそんな贅沢な二本立てをやっていたらしいのである。アンデルセンの童話をもとにしたヘンリク・ヘルツの戯曲『ルネ王の娘』が題材になっているとのこと。しかし、日本にもファンの多いチャイコフスキーの作品ということで、歌劇<イオランタ>についても、いろいろと語っているサイトがすでに複数存在する。内容がそれらと一部重複するかも知れないが、当ブログでは簡単なあらすじの紹介をしてから、これまでに聴いて知っている3種類の全曲演奏についてのコメントを書くという形にしてみたいと思う。

―歌劇<イオランタ>のあらすじ

プロヴァンスを統治するレネ王の娘イオランタは、生まれた時から盲目だった。しかし王は、彼女にその不幸な事実を知らせたくなかった。そこで、彼は人里離れた荒野に特別な庭園を作らせ、娘に盲目という事実を覚らせないようにと乳母や侍女たちに命じ、大事に育てさせた。しかし、年頃になったイオランタは、自分に何かが欠けていることをうすうす感じており、「みんなによくしてもらっているのに、私からは何もしてあげられないのかしら」と、心に悩みを抱いている。

レネ王は、娘が結婚する前にその目を治してやりたいと、名医エブン=ハキアを連れてくる。医師は彼女を診察した後、「治る可能性は、あります。しかしまず、本人が盲目であるという事実を自覚し、見えるようになりたいと強く願わなければ、何も始まりません」と、王に告げる。王は考え悩むが結局、不幸な事実はやはり娘には知られないようにしておきたいという結論に達する。

一方、幼少時にイオランタの婚約者と決められていたブルゴーニュ公ロベルトには、今は他に好きな女性がいる。王様の命令だから仕方ないと思いつつも、本当に好きな相手のことは忘れられない。そのロベルトと、彼の友人である騎士ヴォデモンが山越えの途中で道に迷い、そうとは知らず、イオランタの住む庭園にたどり着く。ヴォデモンは、横になって休んでいるイオランタを見て一目惚れ。激しい恋心を燃やす。やがて、目を覚ましたイオランタと会話を始めるのだが、そこで彼はこの美しい娘が盲目であることを知る。

ヴォデモンが言う「赤い色」、「見る」、「光」といったような言葉の意味が全く理解できず、イオランタは激しく動揺する。しかし、その一方で、彼の言葉に強く惹かれる気持ちも芽生えて来るのだった。やがて、レネ王が医師エブン=ハキアを連れ、イオランタのもとへやって来る。ところが、どこの馬の骨とも知れぬ若造が娘と接触していて、それもあろうことか、彼女に盲目であることを気付かせてしまったという事実を知って、王は驚き嘆く。医師は、「これは救済ですよ」と、王に告げる。イオランタは最初、「父上のお望みならば、私は治療を受けますわ」と幾分引いたような態度を示す。しかし医師は、それではいけないと言う。王は、名案があると医師に囁いたのち、いきなり騎士ヴォデモンに死刑を宣告する。「警告の立て札を見た上でここに侵入して来たのだから、当然だ。娘の目が治らなかったら、お前は極刑だ」。

ヴォデモンに心惹かれ、「見る」ということを知りたいイオランタは、自らの意志で治療を受けることを申し出る。そして、医師とともに上の階に上って行く。王はその後ヴォデモンに、「君はもう自由だ。さっきの話は、見えるようになりたいという気持ちに娘をさせるための芝居だったのだ。もう行ってよい」と告げる。しかし、心からイオランタに惹かれているヴォデモンは、彼女と結婚したいと王に伝える。王は、「もう娘には、幼い頃から決まった許婚(いいなずけ)がおるのだ」と答える。

そこへ、ヴォデモンの友人(であると同時に、イオランタの結婚相手に指定されていた)ロベルトが登場。レネ王に、「王のご命令ならイオランタ様を妻といたしますが、実は私には、伯爵令嬢のマチルダという、愛する女性がおります」と正直に申告する。その真っ直ぐな態度に感じ入った王は婚約の話を見直すことにし、「イオランタの目が治ったら、君に委ねよう」と、騎士ヴォデモンに向かって言う。騎士は、「彼女の目が治っても治らなくても、私の愛情に変わりはないです」と力強く王に答える。

やがて、医師エブン=ハキアに手を引かれながら、イオランタが目隠しをした状態で階段を下りてくる。明るい青空の下で、医師が目隠しを取る。目に飛び込んでくる光の洪水に、イオランタは圧倒されてよろめき、恐怖心さえ訴える。しかし、医師に励まされて彼女は空を見上げ、その光の美しさを生まれて初めて実感する。その後、顔に触れて父親を確認し、さらに自分に光と愛をもたらしてくれた騎士ヴォデモンの姿をその目で確認して、イオランタは大きな幸福に包まれる。最後は、神への感謝を歌い上げる全員の喜びの合唱で全曲の終了となる。

―という訳で、この歌劇には悪人が一人も出てこない。お話もまさにハッピー・エンドの、おとぎの世界。医師のエブン=ハキアに至っては、「どうやって、イオランタの目を治したんですかあ?」と訊いてみたくなるような、魔法使いみたいな存在だ。いかにも、バレエ<くるみ割り人形>との同時上演によく似合う作品だったと言えるだろう。一つ厳しい見方をすれば、自分の娘を隔離して育て、盲目という事実に気づかせないようにしたレネ王の行為は、結果的には彼女を抑圧することになっていたかも知れない。が、少なくともそれは悪意による所業ではなかったし、最後は医師の前で過ちを認めたのだから、この王を悪人とまでは言えないだろう。

次回は、歌劇<イオランタ>の聴き比べ。採り上げるのは僅か3種の全曲盤だけだが、トピック一回分の内容は十分にあるので、そのような運びにしたいと思う。
コメント (2)
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