カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

僕は学習部長に向かなかった

2017-06-15 | Science & nature

 中学生の時に、何故か僕はクラスの学習部長というのをさせられたことがある。それで部長として目標を掲げなければならないという決まりがあって、特に信念があった訳では無いが、適当に「朝自習の徹底」という目標にした。当時学習部長は、先生のお手伝いとしてプリントを輪転機にかけたりするようなことをやっていた。僕は長らく新聞部で新聞を作る事ばかりやっていたので、まあ、そういうことで学習部になったのかもしれない。それにまあみんなは勉強が忙しいし、まったく勉強する気が無い人間には、適任だったということだろう。この朝自習の時にやる小テストというのがあって、せっかくなので、これを作るのに結構燃えたという記憶がある。何しろ僕は元新聞部だ。活字を書いたりするような事と似ていればなんでもいい。いろいろ問題集を引っ張って来て、漢字テストをはじめとする様々な小テストを量産した。だいたい10問程度のものだが、学習進行具合にあわせて、どんどん、どんどん問題を作る。それはもう、朝自習の時間を目いっぱい使ってもらわなくてはもったいない。
 ところが、この所為で自分のやりたい学習時間が削られて困る、という意見が出だした。小テストは本来朝自習の中の一つのやり方に過ぎなくて、個人の課題となる勉強を妨げてはならない(大意)、ということらしかった。それはもっともで、僕は嫌いな人の意見はまったく聞かないが、比較的まともそうな子もそのようなことを言っていたので、先生に掛け合って、完全自習で好きなことを一定期間させるという了解を取り付けた。
 結果はすぐに成績に表れた。クラスの平均点はどんどん下がって行った。今考えると当たり前のことだが…。自主性のある一部の人間を除くと、ある程度の強制のない時間に、身を入れて勉強するような奇特な人間など居ないのだ。
 さらに今考えると、小テストは実はかなり有効だったのである。人間の脳は、反復して無理に力ずくで覚え込むより、実用的にテストを繰り返した方が、記憶力は増大する。それは必要であるという脳の錯覚を利用したもので、テストに出された問題を、たとえ答えにたどり着かずとも考えたことで、その答え自体を重要と思って勝手に暗記してしまうらしい。
 小テストをたくさんやった時期はそれなりにいい調子だったものが、本当の自習を徹底したことで、大きな落差をつくって成績が低下したということらしい。自習のやり方については多くのクラスメイトから感謝されたが(楽だし)、結局相対的には皆の為にはなっていなかった。その後も学習部長を続けられたものかは、もはや記憶にない。壁新聞用の4コマ漫画のネタを、うんうん唸りながら毎日考えていたという記憶はあるのだけれど…。
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僕も涙して観ました   植物図鑑 運命の恋、ひろいました

2017-06-14 | 映画

植物図鑑 運命の恋、ひろいました/三木康一郎監督

 原作、有川浩の小説。2月の寒い日、アパート前の駐輪場に行き倒れている様子の青年を、まるで子犬を拾うようにアパートにかくまい、そのまま半年一緒に暮らしだす。ただし、この青年は生活力が高く、料理が上手で野草にやたらに詳しい。山野草を取って来て料理し、バイトに通い弁当も作ってくれる。ミステリアスだが不思議な青年の魅力と共に、若い二人が引かれあって行くことは必然的である。女の方も不動産の仕事では、顧客のクレームに悩まされる毎日で、あまり上手くいって無い風に見える。しかし私生活では、山野草の恵みをふんだんにとった満ち足りた食生活を送っているのである。
 前半は寂しい一人暮らしの女に、降って湧いたようなファンタジーの世界が繰り広げられる。しかしながら男には樹(いつき)という名前以外秘密が多く、女の方も積極的には彼の背後にある世界を聞き出そうとしない。この関係が壊れてしまうのが、恐らく怖いのだ。そんな中、樹のバイト先の女性関係が勝手に気になりだして猛烈に嫉妬し、お互いの関係がぎくしゃくしてしまうが、それを機に一気に二人の関係が深くなるのだったが…。
 まるで少女マンガのような出来すぎた恋愛世界か繰り広げられる。女の方は、性格が悪いという訳では無いのだろうけど、おとなしくいわゆる我がありながら積極的な性格ではない。何かを積極的にやるということもないし、起こっていることにすべて受け身で暮らしている感じだ。樹のことを深く愛しているにもかかわらず、その存在自体に怯えている。半年一緒に暮らすという約束の意味や、樹の表面以外のことを一切知らないままに、その時々を受け身に過ごしているだけなのだ。そのツケは後で大いに払うことになってしまうが、そのような人物がストーカー行為で警察に捕まったりしたりして、なかなか考えさせられる展開にもなっていく。普通の人の異常性というか、そういうちょっとした歯車の変わり方で、人生というものが大きく変わってしまうのだ。でもまあ、正直言って、ここまで苦しめるようなことをしなくても良かったんじゃないかと、僕は樹君には言いたいですけどね。事情を話しても、恐らくは分かってもらえたんじゃなかろうか。
 多少お話が盛り上がる為ともとられる演出が過剰なところもあるかもしれないが、僕は恥ずかしがりながらも非常に楽しんで観ることができた。女性向けのファンタジーとしては、ほとんど完璧ではないだろうか(それと一部の男性向けに)。
 でもまあ残念ながら、こんな男は、普通に考えていないだろうね。本当に悲しいことに現実は厳しい。居たとしても、イケメンである可能性もきわめて低い気がする(これは偏見だけど)。要するにこのような男ならば確実に女子にモテるというモデルでありながら、男が到達するには、大変にハードルが高いのである。そのために最低10年くらいは修業が必要で、恐らくその修行中に精神的に苦痛が増して断念してしまうのではないか。結局誰もなりえない孤高の王子様が居たというファンタジーなのだろう。
 女子たちは現実逃避しながら、涙して観た方がいい。それでもたぶん十分楽しいですから。
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ピースサインで写真に写るな

2017-06-13 | net & 社会

 ピースサインが危ないらしい。平和のしるしが何故? いやいや、写真を撮る際についついやってしまう定番のポーズというか、普通にやっている指の形である。それで写真がネットにUPされると、本人の顔の隣に本人の指紋が写ってしまう。今や携帯のカメラといえども、技術が進んで画素数が高くなっている。拡大して解析すると指紋が盗まれるかもしれないという。指紋で個人の認証をしているセキュリティなど、それで盗まれる可能性もあるという。顔と一緒に指紋が分かるので、悪用する人にとっては大変に都合がいい訳だ。
 一方で拉致された子供の瞳に犯人の姿が映っていて、それが決め手になって逮捕できたという例もあるという。まさに動かぬ証拠が犯人の趣味の為写真によって暴かれた。
 そのような技術が進むことで、良いこと悪いこと、が同時に起こる。要するに使い方だが、のんきに生活することが、出来なくなっていくような印象を受ける。少なくとも子供などには、ピースサインで写真に写ることを、やめるように注意する必要があるかもしれない。
 しかしながらそのような豆知識を知ったからといって、もはや自分には知りえない技術革新は進んでいくだろう。防衛するには、自分だけアナログ生活を続けるよりなさそうだ。それで楽しい人ならいいが、仙人のような人が増えることはなさそうに思える。
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生命である限り親から何かしら遺伝してる   遺伝子の不都合な真実

2017-06-12 | 読書

遺伝子の不都合な真実/安藤寿康著(ちくま新書)

 副題「すべての能力は遺伝である」。人間の能力には、遺伝の影響がそれなりに大きいことは事実らしい。しかしそのような事実を前にすると、少なからぬ混乱を覚える人が多いということが書かれてある。要するに生まれながらに能力が決まっているという解釈をしてしまうからである。人間は遺伝の影響を避けがたく受けるが、しかしそれが優れていたり劣っていたりという具合に単純に考えてしまえない複雑な能力を受けついでいるに過ぎない。そもそもすぐれているかどうかというのはその時に社会や文化が規定している物差しに過ぎなくて、それに当てはめてすぐに能力を表すような単純な遺伝子というのは、なかなかないのが現実ではないか。様々性質が絡まって、例えば多少辛抱強い性格にたまたまなって、他人より少しばかり辛抱して研究を続けられたというような人だから、科学的発見を出来たような人がいるのかもしれない。そもそもそういう人がある研究に興味を持ったのは偶然かもしれないし、そういうこと以外だったら、たいしてものにできなかったかもしれない。遺伝したものがその後どのように活かされているのかというのは、やはりその後の環境や本人の考え方によるところが大きいだろう。それを遺伝子が邪魔をするということは必ずしも言えなくて、多少の向き不向きのあるようなところはあるかもしれなくても、その方向性を決定的に生前から決めているような要素をいう意味で捉えられている訳では無い。
 しかし政治的な問題は、例えば白人より黒人の方が学習遺伝に対する違いがみられるような研究結果が現れると、激しく動揺することになる。研究者そのものに差別主義者的なレッテルを貼ってしまうようなことになる。要するに神経質になる訳だが、たとえそのような結果や傾向がみられるにしても、その研究そのものが正当に行われたことであるならば、一定の結果として認め、さらにだから効果的に学習できるような手法を探した方が、はるかに合理的な研究が進むというものだ。精神的に苦痛を覚えたり不快になってしまったとしても、事実として浮かび上がってくる遺伝の影響の大きさは否定できない。そのような遺伝的な性質を踏まえて、合理的に自分自身が、その性質を利用して使いならした方が、圧倒的に合理的な教育を享受できるということである。
 書かれている表題はショッキングであるが、内容的には素直なところのある研究報告ではないか。さらに研究は進んでいるにせよ、明確にどの遺伝子を特定して操作するという最先端の話でもない(多少は語られるが)。過去の優生学の気持ちの悪さから目を背けてしまいがちな遺伝の不思議を楽しんでみてはいかがだろう。
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ヤギさん。銀ブラ。

2017-06-11 | 散歩
 さてさて、今回の出張も空の旅。最近は飛び立ってしばらくすると電子機器使用してよいとアナウンスがある。前は電源切ったままだったけど、いろいろ助かる。忙しい人はパソコンで仕事らしきものをしている人もいるけど、なんとなく怪しい。



 タイミング遅れたが、富士山もチラ見えした。



 朝の羽田行きは混雑が激しいらしく、飛び立つまで滑走路で15分待ち。着くのも合計20分くらい遅れた。乗り換えのタイミングも悪くて、中央特快数分で乗り遅れてしまった。






 打ち合わせには遅刻してご迷惑かけました。
 さらにランチで小相談もあった。将来のことだが、うんと考えさせられた。





 午後も会議やってホッとするけど疲れた。
 ホテルの部屋は無駄に豪華。ツインだし。窓から見えるのは駐屯地など。







 懇親会はフランス料理フルコース。これはなんとなく写真撮り忘れた。
 二次会、三次会と楽しかった。けれど久しぶりに25時半くらいまで飲んで疲れた。


 翌朝、飯食って散歩。



 ヤギさんも草食ってた。実は昨日のホテルの部屋から見えた白いものは、このひとたちだった。









 実はこのホテル。交流戦のプロ野球選手が泊まっているとのこと。そういえば昨夜ホテルの周りにうろつく人が結構いて、なんとなく不審な感じだった。ファンの人々だったんだね。
 ちなみに巨人軍は12連敗したそうで、これは新たな歴史なんだそうだった。進退問題にもなるのかもしれませんね。僕は野球には関心ないけど、勝負の世界は厳しいですね。
 エレベータやロビーなんかには、巨大な体つきの若い選手が結構うろついてた。みな若く僕と目があうとにやにやしてました。聞くところによると、昨夜は球場で遅くまで反省会やったらしいけど、スポーツ選手は見た目は明るいと思いました。



 研修会やって、官庁にご挨拶いって来た。



 ご挨拶はあんがいすぐ済んで、解散。時計を見ると午後3時すぎ。飛行機の時間まで余裕があるんで、銀ブラすることにした。

 やっぱり四丁目交差点に来てしまう。









 日本人より外国人の方が多いかな、という感じ。とにかくぶらぶらする。



 歌舞伎座の資料館見ようと思ったけど、ちょうど公演の開場時間だったのか凄い人だかり。ちょっと身動き取れそうにないので断念した。





 若山美術館に行ってみた。



 「小野耕世、マンガづけの少年時代」展、というのをやってた。手塚マンガより古い時代の漫画の紹介。なかなか面白かった。





 もう少しだけ歩いてみて、やっぱり浅草線がいいかな、と思い直して戻って空港いった。











 家に帰ったら、食卓に紫陽花が咲いてた。





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ヒトラーは僕かあなただ   帰ってきたヒトラー

2017-06-10 | 映画

帰ってきたヒトラー/ダーヴィト・ヴネント監督

 原作小説があるらしい。現代のドイツに何故かよみがえったヒトラーが、テレビのお笑い芸人として話題を呼び、一世を風靡する。しかし一部犬を射殺する映像がリークされ、一転批判されると、隠遁するなか小説を書き、それがベストセラーとなってしまう。さらに映画化されて、復活してしまうという、現代風刺的ドラマ。映像も一部ドキュメンタリー・タッチになっており、観るものも一緒に混乱の渦に晒されているような感覚になる。演出的にドッキリカメラみたいな緊張感が続いて、妙な効果があると感じた。
 いわゆる過去の負の歴史の産物であるヒトラーだが、現代社会に降り立つと、何故か現代風の時代のニーズに、意外とマッチしている。言っていることは以前と変わらずクレイジーであると思われたものが、本音の部分で人々の共感を呼ぶし、また納得させられる人も多いのである。もちろん激しく反抗する人もあるし、単に笑い飛ばす人もある。中にはシンパシーを感じていながら、容赦なくヒトラーにこき下ろされる人までいる。痛快と言えばそうだが、非常に綱渡り的に危なっかしく、しかし人々は目が離せない。いい人とは言えないまでも、実は今も時代の寵児として、普通に活躍できる人なのではないか。むしろ我々は彼を欲しているのではないか。
 今のEU内におけるドイツの不満というのは、次代を越えてナチスの時代のものとこれほど似通っているという風刺が、何より鮮烈だ。これはドイツだけの問題では無くて、だから英国が離脱し、他国の極右政党が台頭するというような事が起こっている。大陸を別にして米国の大統領はどうなったか。ヒトラーが現実に現れてもおかしくないということか。
 ヒトラーものの映画は、恐らく映画史上最も多いだろう部類だと思うが、このように現代的に成功したものは少ないのではないか。現代的でなおかつそれなりにヒトラー像として歪んでいない風に見えるところが、映画として大変に成功している。基本的にコメディだとは思うが、痛い思いをする人もいるのではないだろうか。
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エリカ様を見習う

2017-06-09 | ことば

 テレビ見てたらエリカ様が、「私って〇〇じゃないですか」といって話す女にイラッとすると言っていた。なんとなくわかる気がするが、確かに時々聞く言い回しである。
 意味としては「私は〇〇のようなところがあるのですが…」「私は〇〇という考え方をするのですが…」の変形であろうとは予測できる。そういう前提をまずは分かって欲しい、ということと、そうである自分の確認であろう。しかしながらイラッとくる最初の原因は、そういうところがあるということをまだ知らない間柄であるのに対して、知ってるでしょ? という感じが横柄に聞こえるためであろうと思われる。相手が知ってて当然は、自分が何か既に立場が上というか、それだけ有名人というか、気に掛けられているのであるという表明にも聞こえる。そんなの知らないよ、と言いたくなる場合は、要するにイラッとするわけだ。
 さらにこれは合いの手を求めている話しぶりというのがある。「…じゃないですか」の後には、「はいはい」とか「ほうほう」とか「うんうん」とか、言わなければならないような要求が見える。要するに「私の話に(強引に)関心があるでしょ、あなた」というような心情が透かして見えるということだ。それなのに、こんな風な話しぶりの人に限って、たいして面白い話で無かったりする場合も多いということでは無いか。期待させやがってなんだよ、ということか。しかし結論の前にイラッとするので、どうせそんな話だろ、というような徒労感が先に来る感じというのがあるのではないか。
 要するにこのような言い回しの段階で、その先の話が猛烈に聞きたくなくなるのである。エリカ様は素直に、もう聞いてない、と言っていた。基本的に素直な人らしい。
 しかしながらそのような話しぶりをする人であるということが分かれば、以後仲良くしなくてもいいというサインであるとも考えていいのではないか。これは合わない人であるな、ということがよく分かる。仕事上義理があるのなら仕方ないが、友達になれないのなら仕方がない。誰とでも仲良くするような生き方なんて、堅苦しくって仕方ないじゃないか。
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鼠小僧、吉良様、勝海舟

2017-06-08 | 散歩
 博物館前に、なぜか亀に乗った人が。実はこれ、亀では無く贔屓という伝説の生き物らしい。まぎらわしい生き物がいたものだ。で、乗っているのは、徳川家康像だそうです。



 信号渡ってしばらく行くと公園がある。



 実はすみだ北斎美術館目当てで来たのだ。



 東海道五十三次の特別展もあったが、残念ながら写真はダメだった。実物はほとんど10センチ四方の作品。こんなに小さい絵だったんだね~。なんだかマンガの原点みたいな印象を受けた。

 写真撮っていい模写の方が立派で、もちろん有名なのも迫力あった。







 北斎はデビューも遅く、晩年になっても描き続けたんだそうだ。





 ところでこの美術館、建物がモダンでいろいろ歪んでいた。










 もう少し足をのばそう。



 読みはヨコアミだそうだ。横網町公園。関東大震災で避難した人々が、火災によって犠牲になってしまったそうだ。後に空襲の犠牲者も納められているという。合掌。











 いったん外に出て信号渡って旧安田庭園。







 ものすごい日差し。公園内では観光の人々とは別に、木陰でくつろぐ人々もたくさんいました。



 日差しと戦いながらしばらく歩くと、特徴的な屋根が見えてきました。



 わんぱく相撲で引率で来たのは、既に20年以上前になるのでは…。 懐かしいというか、変わってないというか。あんがいよく覚ているような気がしました。
 本場所は終わってるけど、けっこう観光客がいるようでした。残念ながら相撲博物館はお休みだった。



 ガードくぐっていくと。手形のレリーフなど。



 回向院が見えてきた。









 目的は鼠小僧次郎吉の墓参り。



 長年捕まらなかった運にあやかって墓石の欠片を持ち帰ると、金運などが良くなるという。それでほんとの墓が傷つけられるために、「お前立」という代わりの墓石を削るようになっているらしい。ちょっと削ってみたけど、もうこれは手が粉だらけになっちゃったよ。



 裏通りへぐるっと回っていくと。



 忠臣蔵で有名な吉良邸跡(上野介 義央)。元のお屋敷は広大で、ここはその八十六分の一に過ぎないとのこと。忠臣蔵ですっかり悪役にされてしまった吉良上野介だが、地元の三河では大変な名君とされています。多くの事業で成功を収めたほか、赤い馬にまたがって領内を自ら見回る気さくな人だったらしい。そうだからこそ吉良様と慕われ、幕府でも重用された殿様だったのだろう。赤穂浪士は逆恨みで、酷いことをしたものです。







 博物館の龍馬はパスしたけど、勝海舟は見ておこう。



 案内看板には「トンビが鷹を生んだ」とか書いてあったが、要するに下級武士だったが、勉強して出世して幕末に重要な役割を果たし、明治になっても重用され伯爵になった訳だ。咸臨丸船長として邦人初の太平洋横断も見事でありました。



 まあ、場所としては普通の公園。ママ友たちが子供を遊ばせてだべっておられました。




 大江戸線にするか迷ったけど、結局JR、浅草線乗り継いで空港まで。暑かったけど楽しかったです。



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日本の昔は娯楽だ 江戸東京博物館

2017-06-07 | 散歩
 さて、今日はお出かけ。



 この駅はやり過ごす。







 四ツ谷~。




 そんで向かったのは両国。間違えて東口から出ちゃって、コインロッカー見つけられず。気を取り直して、とりあえず見えてるデカいところから行ってみよう。



なんか、ほんとにでかいな。





 竜馬展もやってるらしいが、僕はパス。人気があるみたいで凄い人だかり。僕はいらんでしょう。



 長いエスカレーターを上る。会場は6階なんだってさ。





 やっとついて中に入ると、ワオ!







 ここを紹介する目的じゃない番組でたまたまここを見たことがあって、なんとなく気になってたんだけど、所詮作り物じゃね~って内心馬鹿にしてたかもしれない。でも、とんでもないですよ。ものすごく楽しい。よくできてる。現代人が楽しむために、実に工夫が上手い。外国人と中学生とご年配の人がたくさんだったけど、僕のような中年でもはしゃぎますよここは。時間を忘れて散策して回ったです。



















 天秤棒担いだり籠に乗ったりできるんだけど、僕は一人なんで残念ながら見るだけにした。写真撮って欲しかったなあ。
 そうそう、とにかく写真を気兼ねなく撮っていいというのもいいのかもしれない。美術館とか博物館とか、撮影がやかましいところが多い中、なんといってもほとんど作りものだから(もちろん本物もたくさんあるけど)、気兼ねなくみんなパシャパシャ撮ってる。みんな楽しくみんないい。









 だんだんと時代は下っていく。







 途中、発掘の説明があって、熱心に聞きすぎて写真撮るの忘れた(その後トイレに行きたくなって足早にその場を去ったのだった)。島原の百花台も紹介されてたよ。



 東京も楽しいね~。























 何故か飛ばして見てなかった歌舞伎に戻ったりもした。結構広いのでこんなことになる。







 昔の人も、娯楽には熱心だったんだろうね。



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日本庭園を歩く

2017-06-06 | 散歩

 今回も朝散歩からスタート。まだ、朝食ビュフェまで時間があるんだよね。

 赤坂プリンスクラシックハウス。



 立派なシカも居た。






 デカい建物のエスカレーター利用して抜ける。

 貸しボート屋があって、釣りしてる人がたくさんいた。堀には藻が大量に発生してて、釣り難そうだった。



 おそらくホテルーオータニのウラの方だと思うが、紀尾井町通りを上る。





 左手の坂を上っていく。



 で、ホテルニューオータニ。





 中の方に歩いて行って、噂の日本庭園を見ようという魂胆。





 ツツジは今からかな。







 まだ、誰も居ない建物の、チャペルを抜けて戻った。





 まさに、赤坂見附跡。



 あれが、泊まっているホテル。


 ビュッフェは人だかり。何とか席を確保して食べた。




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有楽町で逢いましょう

2017-06-05 | 散歩
 今回の散歩の出発も新橋から。この日は京急線で人身事故があったらしく、久しぶりにモノレール使ってやって来た。



 いつもの道を歩いてたけど、まだ時間があるんで外れてみた。
 このビル、虎ノ門ヒルズっていうようだ。中は、また今度ね。



 日差しが強い。



 多くの人が境内でサンドイッチなど食べてた。装飾も変わってる神社で、金刀比羅宮というらしい。ビルの谷間の憩いの場になってるのかな。




 会議は滞りなく。自己紹介もちょいウケして気分よく終了。付属して役がまた増えたようなところが気にならない訳ではなかったが、ものごとはあんまり深く考えない方が幸福なこともある。だいたい考えてたらこんなところには居ない。もう少し後で困る時に考えてみよう。
 ということで、一度ホテルに寄る。21階の部屋はなかなか良い眺め。








 夜は友人イケチカさんと久しぶりに会う予定。実はFB見てコメントくれたのが縁で会うこになった。まだ、30分くらい余裕があるので、ついでに散歩。





 日比谷神社。



 そしてサラリーマンの聖地へ。



 路地に烏森神社。










 ポッポ前で待っててくれと言われたので、待ってみた。僕の方が先に気付いた。見た目はちょっとだけの違い。後で分かるが、話す内容はほとんど変わってなかったよ。いや、前からオヤジギャグ炸裂の人だったかもね。最初はなかなか内容が解らなかったけど、慣れて楽しくなりました。



 一駅移動して有楽町の駅前のとあるビルのビアガーデンで楽しく飲みました。会わなかった間に、お互いいろいろ境遇が変わっているのは当たり前だけど、年を食ったのも当たり前だけど、基本的に話している内容はあんまり変わってないような不思議な感じでした。楽しい時間はあっという間でしたね~。







 もう一軒一人で引っかけようかとも思ったけど、スーパーに寄って(コンビニではない)、部屋飲みして寝ました。












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底辺の生き方と抜け出し方   トラッシュ!

2017-06-04 | 映画

トラッシュ!/スティーブン・ダルトリー監督

 副題「この街が輝く日まで」。リオデジャネイロの貧困スラム地区の少年たちは、ゴミをあさる(資源ごみのようなものだろうか)ことで生計を立てている。そのゴミの中から偶然財布を拾うのだが、これは政治家の秘書だった男が様々な秘密の鍵を握っているものだった。財布を追うのは悪徳警察の組織で、スラムの子供という弱い立場の人間がどのように対抗しながらその秘密を暴いていくのか、という展開。
 最初は面白かったのだけれど、段々と制作側の妙な正義感とか偏見が見て取れてシラケた。せっかく命を張って大人社会を信用せずに頑張っていたのに、最終的にはあいまいに政治的な巨悪に勝つような幻想を抱いているように感じられる。いや、そうであるのなら、もう少し裏をかいてやりこめるような手段を、何か一ひねり講じるべきでは無かったろうか。ブラジルの腐敗は問題が多いという告発もあるんだろうけど、西洋社会の偏見も大きく、そこが監督たちの目を曇らせている原因だろう。お金のありかを探るなら、紛失した財布を探すより、他に方法はいくらでもありそうである。まあ、それではこの物語は面白くはならないのだろうけど。
 しかしながら、刑務所のヒミツの鍵を握る爺さんにまで行き着く展開くらいまでは、面白かったのは確かである。子供ならではの役割の妙があって、いわば大人社会を出し抜いていくのである。しかしあんがい手の内はそれなりにたどられていくあたりは、あちらの警察は有能すぎるという感じがするわけだ。スラムの子供らのその他大勢感があるからこそ、敵を出し抜けると思うのだが、ずいぶん最初のところから、名前や顔が割れてしまう。それはスリル間のあるところではあるが、普通ならそれでほとんど終わりだ。実際に最大の危機は、ずいぶん最初の頃にあるのだけれど、それもほとんど奇跡で乗り越える。それは見当はずれの子供を一人くらい殺さなかったくらいで、何とかなるような大人の同情がある所為だとは思うが、むしろそれくらいで済まされるのならば、その悪の警察組織は、あんがい脆いのではないかと逆に考えてしまった。どちらも危ういからこそ必死であるという展開が、この物語の緊張感を最後まで保たせると思う。だから結局荒唐無稽なクライマックスになってしまったのが残念だった。
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「ハミルトン」が愚かしさの代名詞になりませんように

2017-06-03 | culture

 ブロードウェイで社会現象的な大ヒットなっている「ハミルトン」というミュージカルを取り巻く話題というのを見た。内容は、現代アメリカの対立。アメリカの建国の父であるメンバーの一人で10ドル紙幣の顔にもなっているハミルトンという人の伝記ものを、ラップなどを用いて斬新な演出をしていることがウケたということと、これを演じている人たちのほとんどが非白人ということ。さらに反トランプということのようだ。エンタティメント系が反政府というか革新的な思想であるというのは、まあアメリカに限らずありふれていることだが、これが今の拮抗した政治バランスの中での新たな政治問題として脚光を浴びているということらしい。ちなみにあまりにも売れているので、チケットは通常ルートでは入手不可だという。
 さらに事件は起きて、トランプ政権の副大統領のペンスという人が、娘と共に観劇した(しかしながらこれは昨年の11月の話らしい。まあ、すでに古いには古い)。客はブーイング。しかし最後まで観た後、カーテンコールの時に出演者の一人がペンス氏に向けてメーセージ文を読んだ。主要な閣僚として、トランプのように差別的にならずに人種を越えて考えて欲しいということらしい。これに対して怒ったのはトランプ大統領で、ツイッターで失礼だから謝罪しろとつぶやいた。当のペンス氏は大人の反応で、観劇は楽しんだし、メーセージを受ける行為についてはノーコメントとした。やり取りを見た人が判断したらいい、ということらしい。要するに俳優側もトランプも、子供みたいなことは止めたらいいということじゃないか。
 このやり取りを受けてトランプ支持者側は、売れに売れているミュージカルを、ボイコット運動したりしている。でもやっぱり人気は落ちることなく、むしろもっと売れているのかもしれない。しかしながらやはりこれに嫌悪を覚える大衆が、反ハミルトンを形成しているということらしい。
 なんにでも意見を言えることは、アメリカの素晴らしさであるとは思う。思うがやはり単純で未熟だ。自分が正しいは相手が明確に間違っていることと同じだ。だから自分が正しい場合は相手を罵倒する。それがやはり正しさのゆるぎないところにもなるということだろう。拮抗しているので、これが最大限の激しさとなる。どちらの正しさの声も最大限デカくなっている可能性もある。日本のように負けた方が吠える(必ずしもそうとばかりではないにせよ)という図式とはちょっとばかり違う。はたから見ていて思うのは、どちらも限りなく愚かしく馬鹿だ。
 一神教がいけないのかどうかは分からない。対立によってどちらかが負けると、それでいいという手段である。もちろん負けた方は、次の勝に向かって勝負を懸けるだけのことだろう。
 自分だけが絶対に正しいというのは、宗教的には正しいということだろう。それは真実として科学的に正しい訳では無い。さらに結局最終的に正しかったとしても、それは正義でもないだろう。強いということが言えるだけのことである。このような幼い近代は、アメリカだけのことでは無い。残念ながら人間の精神性は、このような幼さへ向かって時代を歩んでいる。人間の本質がこのような愚かさであるというのは、今のところ信じたくない事実である。
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女心の難しさが滑稽に描かれた名作   眺めのいい部屋

2017-06-02 | 映画

眺めのいい部屋/ジェイムズ・アイボリー監督

 原作は何か文芸作品らしい。歌曲やクラシック音楽が場面場面で効果的に使われ、貴族の格調高き雰囲気を伝えているが、基本的には恋愛を通じた滑稽話である。それがどういう訳か結構面白いので、名作めいた楽しい話になっている。西洋人は日本人と比べて見栄や虚栄が多く、裏表が激しい。嘘ばっかりついていて、正直者とのコントラストが際立つということがあるようだ。まあ、だから映画でそれらの滑稽さを笑う構図になっている訳だ。
 イタリアのペンションで、予約していた川のみえる部屋で無かったことに不満のある二人の女性に対し、同じく英国からの旅行客である父子が部屋を換わろうと持ちかける。一度は警戒から断るが、知り合いの神父の仲立ちもあり換わってもらう。観光地だから時々お互い出会うが、ちょっとした事件などもあり、急速に若い二人は意識しだすようになる。そうしてピクニックに出かけたときに、男の方は激情に駆られてキスしてしまう。そういうことがあった為に、結婚前の女性を連れた旅だとして女の方の二人は急に旅を切り上げ英国へ帰る。帰ってしばらくすると、何故か娘は地元の教養的な男性とすぐに婚約してしまう。ところが婚約者が知り合いに近くの借家を紹介した父子が、その時キスを交わしたジョージだったのだ。
 観ている時は旅先から帰ってそんなに時間のない中他の男のプロポーズを受けることに不自然を覚えたが、要するに旅先の浮ついた恋のようなものを自ら否定するような心情があったのかもしれない。若い女性というのはそういうものかも、などと思う。劇中建前ばかりで言うこととすることがちぐはぐすぎるおばさん(従妹)のシャーロットに、娘のルーシーが似ていると母親が言うのだが、要するに自分の本心というものを体面や恥ずかしさから悟られたくないばかりに、周りには嘘ばかりついてしまう女心を描いた作品ともいえるだろう。非常にめんどくさいが、それがまた滑稽で大変に楽しい。男たちは鳥のようにはしゃいだり、排水溝のように落ち込んだりしている。恋愛が成り立つかどうかは、要するに女心次第なのだ。
 蛇足だが、セックスシーンなどは無いものの、男性ヌードはボカしなしで観ることができる。その場面は、僕は映画史的にも非常に楽しいものだと思うのだが、どうなんでしょうね。笑いどころの多い名作っぽくもあるような優れた作品でありました。
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伊王島の灯台

2017-06-01 | 散歩
 毎年今の時期、長崎の南側に用事がある。午後からは会議だったので、午前に行くと、あんがいすぐに用事は済んでしまった。車だと比較的ご近所なので、伊王島まで足を延ばすことにした。
 実は伊王島には船で行ったことしかない。その上会議だったし日帰りだった。当時のまったく気がきかない都合の所為で、特に印象が無い。そんなことでは、まったく伊王島に失礼かもしれない。一応観光化しているという噂も聞かないではないし、ググってみると何と橋が架かっているように見える。橋が架かってることも知らなかったのだから、これは行かなければどうにもよくないのではなかろうか。





 天気も良くて、ほんとに海がきれいだった。









 
 畔の岩這(いわばえ)というらしい。宮崎の鬼の洗濯岩のようなものかな。










 せっかくだからもうちょっと端の方まで行って、灯台観て行こう。車だしね。
 
 近くの駐車場に車止めて歩くこと2分。いい天気過ぎてものすごく暑い。ネクタイ姿だし、嫌になってきた。

 そうして、なんだかたくさんクマバチが飛んでて怖かったけど、灯台見えてきた。






 残念ながら登れなかったので、もう少し先に行って小展望台に上がった。







 残念ながら灯台記念館は休みだった。





 暑くてもう歩く気になれない。まだ時間あるけど車に戻った。

 クマバチは帰りもブンブン怖かった。







 鳥居が見える。



 細いトンネルも抜けた。



 香焼に戻って、なんだか展望台が見えたので、やっぱり登ることにした。
 実は木々の木陰が続いていたので、これなら暑くないかな、と思ったのだった。

 で、伊王島を望む。



 反対側の三菱工場を望む。



 この展望台ちょっと変わってて、東京までの距離を示してくれていた。誰が参考にするのだろうか。







コメント
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