早起きは三文の得という。なんでもお金で換算する思想というのは、多少のいやらしさはあるものの真実めいてはいる。しかし三文だが、二束三文という言葉もある通り、非常に安いというたとえでもある。現代で換算するのは難しいが、仮に一文を30円前後と考える場合が多いので、三文は100円弱くらいまでを含んだ感覚ということにしよう。早起きしたら100円。個人差もあるが、まあまあかな、という感覚は分かる。コーヒーくらいは飲める感じだ。おにぎりも食べられるし、パンもOK。早起きの得としては、確かに絶妙の金銭感覚かもしれない。
で、早起きしたんで、少しは得して、いいスタートが切れた。これでこの得はすべてか、ということも思う。早起きしたせいで寝不足で、その後調子が悪かった。そんな場合はずいぶん損しているんじゃないか。そもそも早起き出来ずに寝ていたいというのは、寝不足の疑いがある。十分睡眠をとるというのは、大前提問題だが、そもそもスッキリおきられる人というのは少数派ではないか。だいたい人間というのは24時間という地球の物理的な時間と体内の時間とにずれがあると言われている。体内時計は普通の人で約25時間くらいか。だから夜は予定より眠くなるのが遅くて、だから睡眠が不足した時刻である早起きを強いられる。すっきり目覚めなくて、日中もある時間帯は眠い。あんまりそんなことが常態化していると、普通に体を壊してしまうのだろう。
では長い目でみると、出来るだけ遅く寝たぶん、遅く起きた方が健康的ではないのか。しかしこれが困ったことは、そんなことは社会的文化的にそもそもの前提として許されることでは無いということだ。分かっていても守ることは倫理に反する。
ではやはり早起きするための前提の方を何とかしなければ解決できない。早起きするためにやれることは、第一に早寝をすることだ。まず寝ないことには起きることが無い。そうして一定の水準の睡眠時間の確保には、逆算した根拠なしに実証できない。
要するに、これのハードルが高いのが真相ではないか。さらに個人差がありすぎる。また人によっては早く寝ること、あまり眠たくなくて無理に寝ることが、苦痛な場合もあるだろう。寝られないのが怖いので、眠たくなるまで頑張ってしまう。結局朝はつらいままだ。
それで、眠たくなるにはどうしたらいいだろう。という問題が起こる。よく眠る為には日中活動を充実すべきではないか、ということだ。もうここまで書くと、多様性は爆発するのでめんどくさい。一つだけ言えることは、早起きや、早寝や、日中の充実は、ヒトの一日のサイクルとしては、当たり前だが連動している。どこかがおろそかになると、どこかに支障が出るという相関関係にあるということだ。
結局好きにやればいいのだが、その自分の好きにやる方法を、上手く決められない人が多いのではないか。とりあえず三文の得で早起きして、日中もその調子で頑張って、夜になったら疲れて寝たらいい、という後の文章が省略されているということだろうか。そういうことなら、まずはお金につられるのも、悪くは無い話である。